2012年の年末にNHKBSで、オリバー・ストーン監督の映画『JFK』の再放映があった。久しぶりに3時間を超える映画を見た。日本での『JFK』の公開に合わせ、シナリオも収録されたこの本が刊行されたのは、1993年だった。年末の本棚の整理でようやく見つけだした。900頁を超える本で、ソファーで、寝転んで読むには、重たすぎる。しかたなく、机の上で、読むことになったのだったが。再読して、改めて、『JFK』の映画がもたらしたアメリカの報道メディアの狂乱ぶりを再確認したのだった。前月の12月10日に私のブログで、1993年頃のテレビ三大放送網の会社役員構成からみて、もうまともな報道はありえないだろうことは納得していたのだったが、湾岸戦争の報道もひどかったが、ストーン監督の映画『JFK』攻撃のすさまじさは、多くの貴重な資料となって残された。すでにアメリカの大本営報道はここまでになっていたのだ。今年2013年11月22日は、ケネディが凶弾に倒れてから節目の50年である。アメリカは果たしてこの間民主主義の自浄能力、メディアは批判能力を発揮してきただろうか。『JFK』をめぐる1991から1992年頃の映画公開前後の言説を振り返る。
概要前書きでも触れたが、1963年11月22日は、ケネディ大統領が、凶弾に倒れた日である。また1993年はケネディ没後30年の年に合わせ、多くのケネディ回顧の本が刊行され、また暗殺をめぐる報道特集記事なども多く企画された年であった。
オリバー・ストーン監督は、1993年の30年に合わせたのかはわからないが、機が熟したとみて、1991年にはJFKのシナリオの第一草稿も出来、JFKの撮影を開始している。
話題作ではよく製作の進行に合わせて、宣伝も兼ねて、製作現場の情報もコンタクトをとり、報道機関が取材するのであるが、「JFK」については、なんと、シナリオの草稿段階のものが、コピーされ盗まれて、新聞社に渡り、その草稿について、作品攻撃することから、論争の火ぶたが切って落とされたのだった。
それにしても、通常の映画は新聞の文化欄・映画欄に記事が掲載され、「映画作品」として、評価され、批評されるのであるが。なぜか、『JFK』 の場合は慣例は超慣例的に全く無視された。
この本『JFK』の編集者のフランク・マンキーウィッツは、前書きに相当する「討論について」という文章で、
「数ある新聞の中で、老巧で、穏健なはずのニューヨーク・タイムズが、およそ、約30回の記事と特集頁と投書欄と注釈と補遺と社説とコラムをどうして下等極まりない(JFK)攻撃にあてたのだろう」
といっている。さらに、
「1963年当時から、ケネディ大統領暗殺を巡る問題に疑惑の目を向けたことも無ければ、記事にしたことも、調査したこともなかったジャーナリストたち、ー トム・ウィッカー、ジョージ・ウィル ー が、米国民に嫌悪を抱かせるために、これほど破壊的なエネルギーを捧げた理由は何なのか? ニューヨーク・タイムズは社説で『JFK』に対する反論を掲げ、注釈を加えながら、特定の立場で、この映画を攻撃し、特集を組み、編集人宛にきた『JFK』を非難する投書を載せ、好意的な反応は無限に採用を遅らせた。」
さらに、
「ハリウッドからの特派員からのニュース記事として、、ワーナー・ブラザースがこの映画の製作開始を許可した理由を疑問視し、スタジオ側に検閲を示唆する内容の記事を載せた。」
なんと新聞が検閲の勧めをしているわけだ、権力の監視をしないでどうする!「ニューヨークタイムズ」さん! 映画監督が特定の思想をもたないでどうする!
「最後には、<ヴァラエティ>に都合よく転載されるのに間に合う日に、ー すなわち<ヴァラエティ>を愛読する映画人参加のアカデミー賞投票間際の日 ー すでに何度もこの映画の不平を表明してきた、ウォーレン委員会顧問ディビット・ベリンによる激しい非難を改めて掲載した。」
オリバー・ストーン監督の『JFK』を攻撃したのは、老舗の「ニューヨーク・タイムズ」だけでなく、「ワシントン・ポスト」が1991年12月17日にはウォーレン委員会の委員だったジェラルド・フォードとウォーレン委員会顧問ディビット・ベリンの共同で、『JFK』非難の記事を掲載している。1964年の政府公認報告書『ウォーレン報告書』と同様の3発の銃弾・オズワルドが犯人のまま。 「ワシントン・ポスト」は、30年前の政府公認の報告の検証もせず、同じ顔ぶれで、オリバー・ストーンを攻撃させたのだった。 「ワシントン・ポスト」 調査報道はどうした!
やはり「ワシントン・ポスト」の<大統領の陰謀>報道は、「ディープスロート」なるリークによる、やらせ報道だったのか?
とにかく 「ニューヨークタイムズ」 「ワシントン・ポスト」をはじめ、
「ウォールストリートジャーナル」 「タイム」 「タイムズピカユーン」 「ニューズウィーク」 「ロサンジェルス・タイムズ」 「シカゴ・トリビューン」 「シカゴ・サンタイムズ」などがオリバー・ストーン監督の『JFK』の大攻撃の大合唱に加わった。そしてその言説が、記録として残った。
それらの攻撃の新聞・雑誌記事は、キネマ旬報社刊 中俣真知子・袴塚紀子訳 1993年12月9日発行の 『JFK ケネディ暗殺の真相を追って』 に掲載されている。
ある映画をめぐって露わになった、「アメリカの報道メディアの表現についての惨憺たる状況」が、900頁の厚みをもって示されているともいえる。
もちろん、オリバー・ストーン監督によるそれぞれのメディアへの反論や、「全米記者クラブ」でのスピーチも掲載されている。また、映画をみたアメリカの若い学生の率直な感想も記されている。これが、大新聞の攻撃記事より優れて、建設的なので、ますます新聞の当初の思惑を超えて、新聞のアホくささが、透けて見えてしまったのが、大いに笑える。
アメリカの大手新聞・メディアが、足並み揃えて徹底攻撃した割には、映画は興業的にも大ヒットし、世界中で、鑑賞された。この本のシナリオには典拠した文献や、重要なせりふのそれぞれに参考になる文献リストも添えられ、映画で不明だった細部に自分で、調査にあたれるように注が施されている。
映画JFKの最後 オリバー・ストーンが、次の世代へと引き継ぎを期待する言葉をクレジットしている。
「過去を調べよ」
「過去の出来事はプロローグである」
「絶えざる用心が自由の代償だ」
「この作品を
真実を探求しようとする精神を持つ若者たちに捧げる。」
ブログ人たる私はもう若者ではないが、ケネディの生きようとした対話の構想の時代に少しばかり同時代を生きていたと感じる者である。
1963年のJFKの死の時は私はまだ幼すぎて、悲しみと恐怖は一過性のものにすぎず、自分のものとして生きられなかった。
しかし、1968年のマーチン・ルーサー・キングの死、RFK(ロバート・ケネディ)の死に至って、何かが見えてきたと強く確信させ、促されるものがあった。
決定的だったのは、ジョン・レノンの死 である。特に政治的に左翼でもなく、過激ともいえない人物が、アメリカの戦争産業・経済にとっては、最大の疎ましい人物になっているという逆説!
アメリカでは 平和を口にすると犯罪になる!と、私はジョン・レノンの死で、ついに、疑いから確信に変わった。
今考えると、レノンの死の頃は大統領選挙で民主党のカーターから共和党のレーガンへと勝敗が決した直後の頃と重なっているのがよく見える。、
ライト・ウィングがニクソン政権でやりそこねたことを、三文役者のレーガンを看板にして、実質は、副大統領ブッシュ以下寡頭政治集団のしたい放題が始まるように見える。いまでは、イランでのアメリカ大使館人質解放に失敗させ、カーターの外交のまずさを演出し、カーター政権下での人質解放させないよう裏金で、イランと交渉していたのは、共和党や、一部政府機関にも関わる人物に及んでいたことが知られつつある。
過去の出来事を注意深く耳を傾けようようと思うようになったのは、その頃からだ。
JFKの死と同じように、注意深く調べて、確認しよう。レノンの死も。彼の死も多くの人の協力で再探求が必要だと思う。
彼らの死は 非暴力・平和・戦争 がキーワードだ。JFKも然り。
希望のためには絶えざる過去の探求や・警戒も必要だ。
オリバー・ストーン監督のJFKの映画を見た人、特に1963年以降、生まれた人にこの本を薦めたい。
映画的・美的完成度、あるいは、長口上のシーンの冗長さなど、日本の映画評論家には割と不評で、キネマ旬報批評家投票ではあまりよい評価を受けなかったのだが、一般の映画ファンの投票では、この年圧倒的に支持されたと記憶している。
私は、アメリカの映画作家ではジム・ジャームッシュや、ジョン・セイルズの作品で好きな佳作があるのだが、アメリカのメインストリームの映画産業界で、「ラテンアメリカに取材するドキュメント」を作れる作家はあまりいない。(私が疎いだけなのかもしれないが)
今年は、11月22日に向け多くのJFKの記事と報道・出版が行われるはず。
JFKの死から、もうすぐ50年を迎えるアメリカ。
民主主義の実践として、
国民の60パーセントが
JFKの死に陰謀の疑いを持っているアメリカ国民は、国家安全保障上の理由から未だ公開しない未公開文書を公開させることができるのか。試されよう。
もはや、敵対していたソ連が存在しないのなら、その当時の重大な国家安全保障上の危機も存在しない。と考えるべき。
危機が存在するとしたら、アメリカ政府機関の一部が、謀議に関係していた決定的な証拠が未公開の資料の中に存在し、国家の信頼がすべて失われる恐怖以外にない。のではないか。
どうして、オズワルドの給与明細書が、未だに情報公開されないのか、かれはアメリカ情報社会の末端をになう人物であったのではないか。という疑いを払拭できないでいる。
オリバー・ストーン監督は、この映画で、国家へのクーデターが、行われたのではないかと言っている。アメリカの大手新聞雑誌は、上述したように、JFK攻撃の大合唱。メディアも何かを恐れているようだ。憲法に規定する、思想表現の自由の自由にも抵触しそうな勢い。
ヒトラーは、自らの国家が、よい国家だと、民主主義国家だとは、どこにも言っていない。強い国家かか、弱い国家であるかであるというようなことは言っている。
アメリカが自由な民主主義的なまっとうな国家だというためには、国民の60パーセントが陰謀がからんでいると思っているJFK事件の疑いをまず晴らすべきと思うし、常識的にみて、一切が死に絶えるまで公開しない内容の中身は、大変よくないものとみてよいのではないか。
国家の調査記録が、2029年、2039年まで公開できないとなれば、このような国家に、地球の未来を預けるのは、よくないなと私は常識的に考えるに至ったし、このような国家を民主主義国家と考える思考の枠組みを考え直すべきと思う。今年は、しかと、「民主主義である条件とは何かを」、JFKに関わる言説の行方をみながら考えるとしよう。
この項秋まで、断続的に続く