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本日の到着便 柄谷行人「反復強迫としての平和」『世界』 2015年9月号 その1の1

2015年08月08日 | 柄谷行人

              ▲柄谷行人 「反復強迫としての平和」 『世界』 2015年 9月号掲載 31頁~45頁

 

本日の到着便  柄谷行人「反復強迫としての平和」 『世界』 2015年9月号 その1


2015年6月に予定されていた、ソウル・延世大学での「平和」に関する国際会議のために準備された、講演の草稿
『世界』9月号の特集は「安保法案」、「戦後70年」

 

 ▲ 『世界』 2015年 9月号 定価800円+税

特集は2本「安保法案」と「戦後70年」

 ▲ ▼ 『世界』2015年 9月号 目次

 ▲ 『世界』2015年 9月号 目次

安保法案の特集は、7月の特集「戦争立法を問う」・8月の特集 「違憲」安保法案を廃案に」から連動している。

『世界』9月号で、一気に読ませたのは、柄谷行人 「反復強迫としての平和」 

あとフランクフルト派哲学者、ユルゲン・ハーバーマス「歯車の中の砂粒ーヨーロッパに関する決定をするのは、銀行ではなく市民のはずだ」が元気な姿をみせてくれている。

対談は2本「いま非戦を掲げる」 田中優子×西谷修 と「跋扈する歴史修正主義をかきわけて」 内海愛子×高橋哲哉

 

柄谷行人 「反復強迫としての平和」 の講演草稿の項目は

1 カントの平和論が意味するもの

2 歴史的段階としての新自由主義

3 フロイトの転回と平和論

4 憲法九条と無意識

5 結語

 

  ▲ 柄谷行人 「反復強迫としての平和」 『世界』 2015年9月 36頁

学校の教科書には、こんな表などないので、柄谷行人を読んだことのない人にはびっくりかもしれないが、近代から現代を柄谷流に展望するには、このざっくりとした表は重要

 

追加 

柄谷行人 「反復強迫としての平和」 の講演草稿

のブログ主の私的抄録

1 カントの平和論が意味するもの

「平和は昔から議論されてきたが、現在まで、意味をもつような平和論が出て来たのは、・・・・カントの平和論」

「『永遠平和のために』を刊行したのは、1795年」

カントが考えたこと、それまでカントはルソーの市民革命を支持してきたが、カントは何かが足りないと考えた。

「一国だけで、革命が起こるなら、それは周囲の旧体制(絶対王政)の国家から干渉を受けて、挫折してしまう、それを防ぐため、諸国家の連合が必要だ、と彼は考えた」

「1789年にフランスだけで市民革命が起こった。周囲の国、特にオーストリアなどはこの革命を倒そうと軍事的に干渉してきた。それに対する革命防衛戦争が始まり、その中で頭角をあらわしたのがナポレオン」

「カントが平和論を公開したのはこの時期。そのため、この書は戦争の問題だけが注目され、それが本来市民革命とつながることが忘れさられています。」

「第一次世界大戦後、二つの世界史的な出来事があった。一つはロシア革命、もうひとつは、国際連盟の設立。前者はマルクス、後者はカントの思想に基づいているといっていい。この二つは、カントの観点からも、マルクスの観点から見ても、分離すべきものではない。」

一国だけでは国家を揚棄できないので、マルクスは国家の揚棄は世界同時的でなければならないと考えたが、

「カントが一時的平和と区別して、「永遠の平和」を強調したとき、彼は、それが、各国での市民革命に支えられなければならないと考えていたのであり、その意味で、世界同時市民革命を考えていたことになります。」

「したがって、カント的理念とマルクス的な理念はつながっています。にもかかわらずそれらはまったく無関係なものと見なされた」そしてそのことが、第一次大戦後の世界史的事件をいずれも失敗に導いた。」

「ロシア革命は一国だけで起こり、すぐに周囲の国家の干渉を受けた。彼らは国家を揚棄する革命をしたのだが、国家を強化しなければならなかった。そのことが、社会主義革命を歪めていったのです。」

「他方で、国際連盟は、事実上、帝国主義国家の連合体」「それを提唱した米国が入らなかったため機能しなかった。」

「国際連盟は、無力で次の大戦を止めることはできなかったけれども、1945年に国連というかたちをとった。」

「それらの背後にカントの理念があることはいうまでもないこと」

「カントの理念はかなりの程度、実現してきたのです。なぜでしょうか。」

「それは、カントの理念が単なる理想主義ではなかったからです。」

「カントは甘い理想主義ではなかった。彼はむしろ、ホッブスと同様の見方をしていました。つまり人間の本性(自然)には「非社交的社交性」があり、それをとりのぞくことはできないと考えていました。これは、フロイトの言葉でいえば、攻撃性に該当すると思います。」

「カントは、諸国家連邦が、人間の理性や道徳性によって実現するとは考えなかった。彼は、それをもたらすのは逆に、人間の、「「非社交的社交性」の発露、いいかえれば、戦争であると考えた。」

「このような考え方は、ヘーゲルの「理想の狡知」に対して、「自然の狡知」と呼ぶことができる」

第一次世界大戦後の、国際連盟は、

「単なる理想主義によってではなく、いわば「自然の狡知」によって達成されたということに」

「2003年イラク戦争の際に、米国のネオコンのイデオローグ、ロバート・ケーガンは、米国の軍事行動に反対した国連を、「古いカント的な理想主義」として非難しました。彼はそれに対してホッブスを対置したのですが、ヘーゲルが200年前に述べたことをくりかえしたしただけです。」

「彼が意図したことは、米国の優位を世界史的に正当化することです。」

「それ以来、国連は一層無力になり、世界各地での戦乱を止める力を持っていません。」

「その意味で、われわれはあらためて永遠平和論を問うべき時期にあるのです。」

 

カントとマルクスを柄谷行人が「交通させる」と、フランス革命の失敗は「一国市民革命の失敗」にも見えるということだね。またカントは、単純な理想主義者ではなく、「非社交的社交性」という問題、人間の冷酷な攻撃性という心性をも見据えた歴史から、永遠平和を展望しているのだ。ということだ。

湾岸戦争のときには、気がつかなかった視点であり、カントが構想した(せざるを得なかった)世界史的構造が、また再び目の前に現れているということ。なのか。

 

以下の柄谷行人 「反復強迫としての平和」の抄録、コメントは 近日中 UP予定

2 歴史的段階としての新自由主義

3 フロイトの転回と平和論

4 憲法九条と無意識

5 結論

 

柄谷行人 「反復強迫としての平和」のコメントは 近日UP予定

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 



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