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柄谷行人 中上健次 対談 評論 『小林秀雄をこえて 』 1979 河出書房

2015年03月23日 | 柄谷行人

               ▲柄谷行人 中上健次 対談 評論 『小林秀雄をこえて 』 1979年 河出書房当時定価780円

    

柄谷行人 中上健次 対談 評論 『小林秀雄をこえて 』 1979年 河出書房

3.11の震災後、一部は本棚、一部は段ボールに押し込まれ、ずっと柄谷行人の著作はバラバラのままだった。その後、その全部ではないが、柄谷行人の本がみつかったものは、一カ所に寄せていたのだ。もっとほかにもあるはずであるが、手前にまた現在の関心事の本に隠れ、記憶から消え、忘却してしまうので、次なる本が到着する前に柄谷行人の本のいくつかをメモしておこうと思う。

今回は、中上健次 対談 評論 『小林秀雄をこえて 』 1979年 河出書房

 

 

 

  ▲ 柄谷行人 中上健次 対談 評論 『小林秀雄をこえて 』 1979年 河出書房 目次

35年以上も前の、中性紙ではない本なので、紙に酸化が生じていた。紙にしなやかさがなくなり、薄い板のような感じになっている。和紙だったらこのようにはならないだろうが、割れて、木くずのように粉々になる前に、メモをとることにしよう。

 

本日3月23日(月)午後以降には、「日本の古本屋」経由で、注文していた本が届くので午前中にメモをつくろう。

1  『史林 第90巻第1号』  特集:国境  2007年 史学研究会

2  リンドン・H.ラルーシュ 太田龍訳 『獣人ネオコン徹底批判』 2004年 成甲書房

3  コリン・レンフルー 大貫良夫訳 『文明の誕生』 1979年  岩波書店 

コリン・レンフルー の著作『考古学・理論・方法・実践』 の書評が、『考古学研究』 39巻-4号 1993年に掲載されていた。原著の書評だったのだが、穴沢(わ)光さんが邦訳が出るはるか以前に、なかなかの力のこもった書評していたので、いつか読もうと記憶していたのだ。定年退職後、ようやく読みのモードにはいってきたのだ。『文明の誕生』 もしばらく古本屋には高値が続き、買うのを躊躇していたものだ。

『考古学・理論・方法・実践』 日本語訳は、2013年に、東洋書林から出版されている。原著は1991年刊だそうであるから、原著発刊から実に20年以上も経てからの刊行ということになる。(もっとも原著は改版されている版からの翻訳であろうが)書評者は当時通読するのに、4ヶ月も要したと書いていた。そのころ私は日本バブル期に伴う行政発掘で疲労困憊気味で、ほとんど寝るために家に帰宅していた時期にあたる。

『考古学研究』誌の書評で、その本の存在を知ったものの、とても当時の私には、書評者が薦める拾い読みすらする気分にもなれなかったのである。21世紀になり、このごろ、日本でも認知考古学とか、進化考古学とかを冠した論文や著作もでてきているので、考古学の認識理論もある程度定着してきているようだ。これからは、まったなしの調査期限の恐怖なしに、読書することができるようになった。コリン・レンフルーの日本語訳のある著作は値段が高いものが多いのだが、これから順々に読んでみようと思うのだ。

コリン・レンフルー 『文明の誕生』 、『ことばの考古学』  『考古学・理論・方法・実践』 『先史時代と心の進化 』 などが、日本語訳になっている。

もっとも『先史時代と心の進化 』を出版した 武田・ランダムハウス講談社は、翻訳のミスなどで本の回収を行い、会社が存在していないので、入手できるかどうかわからないのだが。4月以降は、考古学の読書録も大幅に増やしたい。

 

さて、今日の本題に戻り、目の前にある柄谷行人山の1冊を掘り崩そう。

1979年に傍線を引いていた跡を辿ってみよう。

この本『小林秀雄をこえて 』を今振り返ってみると、1978年に刊行が始まった『新訂小林秀雄全集』の刊行がほぼ終わり、9月に別巻の刊行をを残すのみの時点で出版しているのがわかる。単独の本ではなく、雑誌収録等の対談や論考を収録したものである。私が購読していた『現代思想』も小林秀雄特集号を1979年の3月に出している。この中にある柄谷行人の「交通について」が、『小林秀雄をこえて 』に再録されていて、この本の中核をなす論になっている。『現代思想』の「小林秀雄」特集で、柄谷行人の「交通」についてを読んで、私はだめ押しに、行人と中上健次の小林論を手にしていたようだ。

1979年の時点では、もう小林秀雄の栄光は、一部保守的な文芸雑誌はともかく、戦前の仏文研究者が少なかった頃なら重用されたかも知れないが、1970年代後半なら、フランス留学も盛んになり、新たな視点で文学もテクストとして、解体のまな板にのせられていった時代である。

もう、どこにも、文学と文壇に巣くっている時代ではなかった。小林秀雄は、退却するほかはなかったのだろう。しかし退却してももはや、安住の地はなかった。小林は、交通を一切断った「やまと」を幻想するほかはなかったのではないだろうか。

しかし「やまと」には幻想するような、「原やまと」 はなかった。「やまと」はどんなに「漢ごころ」を排しても、「東アジアの交流の交錯地」なのである。どれだけ皮を剥いても、「原やまと」には達しない。「原やまと」は存在しない。東アジアの交通と交流の堆積があるばかりなのである。薄皮を剥ぐとそこには、やまとという母岩には達しないのだ。

小林秀雄は、「古事記」にも「日本書紀」にも戻ろうとしない。むしろ、それを知っていたが故に、本居宣長についての幻想をふくらませ、「原やまと」を想像したのではなかったのか。

柄谷行人は、小林秀雄の特徴について、彼の戦後に発表したベルグソンへの論考の紹介の後で次のように言う。

「量子論が生命科学に導入されることによって、、分子生物学が飛躍的に発達したのだが、しかし、それはベルグソンが拒否した「生物の物理学」を唯物論的に追求することによってである。むろん、分子生物学は、、あらためて、「不可能性」に出会うわけだが、しかし、それも「生命科学」の可能性をぎりぎりまで追求したことによってである。「文芸の科学」もやってみなければわからないのだ。」 『小林秀雄をこえて 』 1979年 河出書房 114頁

「ベルグソンのテクストはそのようにして生き返るし、漱石の『文学論』も読み変えられるが、小林秀雄の作品にはその余地はない。たぶん『文学論』はは根本的にまちがっているだろうが、そのまちがい方に、いわば漱石の盲目性にこそ、彼の明察を「読む」ことができる。その意味では、小林秀雄の作品を私は「読む」ことができない。彼の作品は管理されている。そこにはいつも一つの主題しかない。彼の言葉はいつも余計なものをそぎおとして、永遠なるものになろうと身構えている。しかし、彼がそぎおとす余計なものがむしろ重要なのだ。」『小林秀雄をこえて 』 柄谷行人 「交通について」 1979年 河出書房 114頁ー115頁

「あるテクストが不透明な意味をはらみつづけるのは、その構造によってではなく、それがそのようなかたちをとったという「出来事」の偶然性によってである。だが、皮肉なことに小林秀雄の作品は、いつも必然的に・永遠的なものをめざしている。いつ見ても反対のできないような言葉でできあがっている。それは奔放大胆にみえるが、実は小心翼々なのだ。己をすてているかにみえてすてていない。そして永遠的であろうとすることによって、彼の作品はテクストたりえないのである。小林秀雄は偶然性を恐怖しているのだ。」  『小林秀雄をこえて 』 柄谷行人 「交通について」 1979年 河出書房 117頁

「「交通」という視点は、私の考えでは、「歴史の意味」を排除する。そのようにみれば、マルクスの考えは、西洋中心主義でもなければ、多元的文化論でもない。「交通」という概念は、中心とを斥けるのではなく、中心のたえまない移動、中心そのものの偶然性を意味するのだ。」

「マルクスの著作そのものが「交通」によることはいうまでもないが、たとえばヤコブソンとレヴィ=ストロースのアメリカにおける出会いをみればよい。言語学と人類学の異種交配、つまり発明は誰もその当時気づかなかったような場所で生じたのだが、しかもそれは戦争・亡命という残酷な「交通」によってありえたのである。それが生じる確率はほとんどゼロであるが、おこったことはおこったのだ。むろん今日の構造主義は手っ取り早い形而上学でしかないが、思想とは出来事であるのに、それが忘れ去られるからである。小林のいうような、天才たちの作品がじゅず玉のように並んでいるという光景などどこにもない。ハロルド・ブルームがいうように、詩的創造は、過去のテクストの誤読から生まれる。突然変異が遺伝子というテクストの誤読から生じるのと同様に、無からの創造などありはしない。「交通」ということの真の恐ろしさはそこにある」 

『小林秀雄をこえて 』 柄谷行人 「交通について」 1979年 河出書房 126頁ー127頁

1930年代のフランスが、国際政治関係の対立もあり、知的小鎖国時代、いうなれば、フランス小ナショナリズムの時代といってもよいが、小林秀雄は、その時代のフランスの知性・ヴァレリー・ベルグソン・アランの知的交雑種、フランス小鎖国時代の交通の賜物とも言えるのかも知れない。

しかし、完全なる独立思想など存在もしないし、また、その観点は、ごく短い時間の展望上観測されるにとどまる。

改めて柄谷行人の、マルクスの 「交通概念」の 「解釈の強度」 いうなれば、

「マルクスの誤読」 「異種交配の生産性」 の可能性には 賛嘆する。

これは、彼のその後の著作をも貫く、絶えず参照すべき、力働的な鍵である。

これ以後、小林秀雄、小林秀雄の読みは変わったはずである。また日本の批評にも断層が生じたはずである。

 

 ▲ 震災後しばらくぶりで我が家の離ればなれになっていた本が再会した柄谷の本 私は「柄谷山」と呼んでいるのだが、 掘り崩しながら、メモが自家薬籠中の異種交配の生産性をもつのはいつになるのか

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 



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