▲ 60年末~70年代前半を中心に80年代初め頃までの雑誌
私的読書年表小史 60年代後半~70年代 雑誌篇 その2の2
前回の私的読書年表小史 60年代後半~70年代 雑誌篇 その2の1では同人誌『犯罪』 まで取り上げたので
ここ
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今回は『現代思想』から
▲今回はここ『現代思想』 から
『現代思想』は、創刊から40年も過ぎ今では、岩波書店刊行の『思想』と並んで、本屋さんで買える思想・哲学分野の本ですっかり定着しているスタンダードなものになっている。しかし当時は、左派系の競合する思想雑誌も多く、よりアカデミズムが強く感じられ、実践的課題が弱いと攻撃されていたことがあった。しかし、バブルが崩壊し、20世紀の世紀末を過ぎて21世紀になってからは、世界的な大事件の解明や、現代の思想的課題に取り組む思想家や、テーマが増加しているようにも見える。アカデミズムからは離れない岩波書店の『思想』誌のスタイルとは、やや異なった方向が感じられる最近の『現代思想』誌である。
現代思想や、哲学の専門分野を専攻していない学生にとって、当時この雑誌に掲載される論文は、難解で、哲学的用語を理解しないと、先へ進めないものも多く、読むのに、平凡社の『哲学事典』を傍らに置いていた。それでも、デリダや、フーコーを読むには平凡社の哲学事典は、答えてくれないものも多く、手前勝手に解釈をして先に進まないと読了できないので、その理解したと思っていたもの、意味として受け取っていたものは(誤読は時には必要だし、誤読を避ける完璧な方法というものはないかも知れないし、誤読が生産性を生み出す場合も多い)今考えると、はなはだ心許ないのだ。20世紀末に岩波書店が『岩波 哲学・思想事典』1998年、弘文堂が『フランス哲学・思想事典』1999年に刊行した。自分の誤読とその意味について反省ができるようになってきたのは、40年の時間があったからなのかも知れない。
生の意味とは死の瞬間に至るまでの争闘・炎であるとバタイユ風に断じれば、その瞬間まで、たとえ短く感じられようともまだ考えるには充分な時間が残されているとも言える。
現代思想の初期のころは、まだまだ、マルクスや、フランクフルト派、アナーキズムの特集もあり、寄稿者も雑誌の編集者の要請に応じていたのだろう。編集者が、テーマにそって相談をした研究者はいたにせよ、時代が孕む時代の要請に答えてきたことは確かで、アカデミズムの領域からはあり得ないテーマや特集号も多かった。(岩波書店の『思想』や、日本哲学会の『哲学』などに比して)
▲ 左端『現代思想』創刊号 および間もない1973年、1974年の現代思想
幸い青土社から、『現代思想の40年』という本が出ていると聞く。通巻にすると何号の『現代思想』が出ているのか確かめてみたい。単純に42年×12= 516号 これに臨時増刊号がある最初の数年は年に一度増刊号のペースなのだが、最近では2冊、3冊が当たり前になっているので、仮に42年×2冊=84冊となり、通常巻の号数を加えると、516+84で約600号となる。
1960年代後半から1970年代にかけて雨後の筍のように活発だった創刊ラッシュの雑誌で、生き残っているのは青土社から出している『ユリイカ』と『現代思想』くらいしか思い当たらない。いい悪いは別として、新しい読者を獲得しているのはまちがいのないところだ。もっとも『ユリイカ』誌は、編集者に若い世代に交替したのか21世紀ちかくなってサブカルチュア方向ヘシフトしてきたあたりから、特集される号に全く読んでいない知らない作家も多くなり自然に購読を停止してしまったのだが。
今回は60年代末から70年代にかけての雑誌を扱うので、話を戻してみる。
『現代思想』 ウィトゲンシュタイン特集号
▲ 上左が1985年12月臨時増刊号 右が1998年1月のウィトゲンシュタイン特集号
▼ ウィトゲンシュタインの研究は日本ではいつから盛んになったのか、正確にわからないが、法政大学ウニベルシタス叢書シリーズの中で『論理哲学論考』が訳されたのが1968年、大修館のウィトゲンシュタイン全集が刊行されはじめたのが、1975年だと思うので、最初の注目は、『論理哲学論考』が翻訳出版された1968年だったのではないだろうか。哲学会の『ウィトゲンシュタイン研究』が1968年、また大修館のウィトゲンシュタイン全集が1975年にはじまっているので、『理想』誌の特集が1975年とウィトゲンシュタインの書籍の刊行年とぴたりと合うようだ。
哲学会編の『ウィトゲンシュタイン研究』は、発行部数が少ないのか、何度神田の古本屋街を探しても見つからず、探し出すまでに何年もかかってしまった。出版当時は900円だったのだが、手に入れたとき3800円の売価がついていた。本にようやく出会うも、高過ぎて、買う気力が萎えてしまいその日は買わなかったのだ。しかしどうしてもあきらめがつかず、後日同じ本屋を訪れついに入手したのだが、うれしいような、悲しいような、1日3食どころか2食でも金欠になったはず。
重要な思想家、哲学者は、『現代思想』誌40年間雑誌をつづけているので研究者の世代交代、研究の方法の変革もあり、2度以上の特集が組まれている人物も多い。1985年のウィトゲンシュタイン特集号では、前に別の論文を読んでいて既知の研究者が多かったのだが、1998年1月号の特集では名前も知らない研究者が多いのには驚いてしまった。そういえば、1980年代以後、ウィトゲンシュタインに関わるあたらしい本うかつにも読んでいなかった。15年ある分野での情報収集を怠ると確実に浦島太郎になっているのだ。
ヘーゲルや、マルクス、上のウィトゲンシュタイン、下のメルロ・ポンティなどもそうである。
『現代思想』メルロ・ポンティ特集号
▲ 上左が2008年12月臨時増刊号(本体1714円) 右が1974年9-9月号(680円)
▲ 戦前からある思想雑誌 岩波書店の『思想』 左は1969年2月号、右は『思想』1000号記念号、価格は2095円と高いが、1号~1000号の総目次が掲載されている。執筆者索引も完備して資料的価値が高い。また、この号より、しばらく「思想の100年をたどる」という座談会が続き、1000号にわたる、『思想』の86年が、佐藤卓卓己・刈部直・米谷匡史の座談により展望されている。おもしろい。そういえば、中村雄二郎が、『思想』500号を越えたころ、「思想の思想史」だったか?のタイトルで、「思想」の思想史」を繰り広げていた。これはバックナンバーで、神田の古本屋で買った思想に掲載されていたため偶然見つけたので、全部読んだわけではないが、機会があれば、1000号記念の座談会と合わせ、読み比べしてみたい。
上の1969年2月号の『思想』は、巻頭論文が廣松渉の「世界の共同主観的存在構造」である。廣松の主著となる論考の一部で、1960年代後半の思想の地殻変動ともどこかでつながっているかもしれない。山口昌男の編集の本『未開と文明』平凡社も1969年2月刊行である。東京大学の安田講堂・時計台が、学生に占拠され、学生運動の天王山であったのは、1969年1月のことである。『思想』のこの号でもデュメジルの神話学について山内貴美夫が紹介文をかいていて、「神話学」でも新しい読みの試みがおこなわれつつあった。
私が1969年に田舎から出て予備校に通いはじめるころ、高校の図書館にあったのは、『中央公論』と『世界』だけだった。本屋でかろうじて見つけ読んだのは高校3年のころ『展望』、『思想の科学』 『現代詩手帖』 それと『朝日ジャーナル』くらいか。
1969年春に上京してまもなく6月に文芸誌『海』 が創刊、7月には詩誌『ユリイカ』創刊、8月『本の手帖』終巻号特集「滝口修造」 一気に、本や雑誌の視野が開けてきたのが1969年だった。白水社の「クセジュ文庫」を見つけたのもこの年、田舎じゃ、見えるところには、岩波新書、中公新書、講談社新書、それと三一新書くらいしか思い浮かばない。
クセジュ文庫の中に現象学とか、意味論、言語学とかの入門書があり、値段もそれなりに安く、ソフトカバーの読みやすい体裁もあって、雑読の時代がはじまる。
つづく