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野散 のさん  野を開く鍵 贈与のカオスモス 散種 混沌ー宇宙 想像的・歴史的なもののジャンルなき収蔵庫をめざして 

現代人文・関係出版の私的読書年表小史 その1

2013年05月23日 | 私的読書年表小史

▲ 『日本思想体系』全67巻の刊行が始まったのは1970年の道元の巻から、この『古事記』は終わりの方の第66回配本目で1982年2月刊。長大な構想のシリーズで刊行開始から12年目。古事記は、「日本古典文学大系」でも出ているが、思想体系本も岩波から刊行。古事記や、日本書紀は、関連諸学の進展も考慮すると、10年~20年に1回は新編集者を入れて、より深い最新の脚注のある重量級の企画を各社から出してほしいと願う。 

1970 1.20 チョムスキー ・安井稔訳 『文法理論の諸相』 研究社 

発売と同時に買っていない。言語学や記号論や、ソシュール・メルロ=ポンティなどを読みだしてから買った。大修館の『月刊言語』が創刊されたのはいつだったか。この雑誌のおかげで、思想・文学・芸術など、関連した分野をべつな視点からも見ることができるようになった。「メタ思考」というか、「思考への考古学的視線の認識」のようなものか。その後チョムスキーの著書については、言語学についてよりも、アメリカ外交批判の本を買っていくことになった。

どんな文化の人間も、言語を作る能力と創造性は同じ。チョムスキーの、人種を越えた言語の普遍能力の理解と、反戦・平和運動とはどこかで、つながっているはず。

1970 5.25 『日本思想体系』 岩波書店 刊行開始 1982年5.31まで全67巻 

1970年4月に学生になった私は、まだ、古典思想を読む読解力と、知恵は(地方出身の昆虫と登山に明け暮れていた少年には)なかった。大学で、文学科へ越境受講、西郷信綱さんの「古事記」の講義に出席して、古典の面白さを知ったこと、甘粕健さんの「古墳時代論」の講義で、考古遺物と古代史資料の関係に興味が湧いた。すぐに実践して勉強を始めたわけではないが、ずっと後に1980年代になって、地方の資料館に勤務するようになってからその記憶が役にたってきたから不思議。

何はなくても、古事記と、日本書紀を読み、メモを取り、事象の同一性と差異性(なんだか、デリダか、ハイデッカーみたいだが)を確認していくと、考古学的蓄積とリンクできそうな事項があることがわかってきた。また、日本書紀にある朝鮮関係記事も、『三国史記』に、対応しそうな記事があることもわかってきた。あるいは、高句麗の「広開土王碑」の倭関係記事も、「三国史記」 「日本書紀」にも対応する関連する記事があること。多少時間の記録差はあるものの、武田幸男の著書『高句麗史と東アジア』で、指摘していることがわかった。考古学の文献も集めそこねた中で、考古学でわからんことを他の分野に依拠する愚はさけなけらばならないが、あまりに文献的知識も欠けるとほとんど歴史を再構成することもできなくなる。わたしもほどほどのところで、文献と考古学事象の折り合いをつけ、感想を記録し、他の関心分野に手を手をつけたい誘惑に駆られてきた。 

学生時代には、道元の巻と、安藤昌益の巻その他数冊。(買えなかったというのが正解か)それにしてもこの岩波の『日本思想体系』製本がしっかりしていて、100年仕様だ。地震で箱は壊れたものがあるが中の本はしっかりとしていた。孫の代まで使えるね。 岩波の『新 日本文学大系』 全100巻は 「続日本紀」の詳細な注釈が収載されている。日本思想体系の続刊のような趣があるので、勇気をだして買った。退職後の今では買えないシリーズで私には大枚をはたいたと実感がこもる。買っていてよかった。「続日本紀」以降の「六国史」も共同研究で、岩波から出してもらいたいが、刊行始まると10年以上の歳月がかかるだろう。読みも世代継ぎしなければならない。気長に、長生きして待つことにしよう。退職前の頃、すでにもっている巻とダブりを考えても、残りの巻を個別に買って揃えるより全巻まとめて買ったほうが、廉価なことがわかり、購入。

その代わり、岩波の『大航海時代叢書』を買う機会を逃す。第一次、二次、エキストラの巻など合わせると全部で42巻、まずは、自分なりに、日本古代史のいくつかのテーマに執着したあとに、『大航海時代叢書』に手をつけようと思うが、体力がその頃まで持続しているのかわからない。

 西郷信綱さんの講義(1975年頃か)は、古事記の解釈の部分はすっかり忘れたのに、イギリスの留学時代の話、神話学などの関連諸学の脱線話に大いに心惹かれた。ケレーニィなどや、ギリシアの神々への比較神話学の視線を知り、古代史の興味は、考古学・言語学・文化人類学・民俗学など絡み合った謎の巨大な怪物との対話であることに気づかされ、たじろぐ。1~2年の勉強ではもうどうにもならんことがある。古事記一筋で40年やってきたひとのことばは深かった。すぐにも発見をほしがる、見た目だけは立派な安直なレポートを書く気持ちは、消し飛ばされてしまった。

何がほんとうに知りたい分野なのか、わからないでいたのなら学間などは身につくはずもない。 乱読・積読の時代が始まったのだったが。どんな面白い問いがたてられるか否か。・・・・なにかを専業として現役時代を過ごすことはかなわなかったが、何かまだ分からぬ、解明されていない事項がごろごろしていることは、自分なりに40年も雑読しているとそれなりに、分かってきた。当面『古事記』と『日本書紀』の后妃の出自豪族の確認や、『古事記』と『日本書紀』の記述の書き方の変容があり、僅か8年の作成年代の違いの間に何があったのか? ・・・・・ぼちぼち考えているところ。

 ▲岩波書店 『日本思想体系』 全67巻 1970~1982年 構成

 

1970 8.20 江藤 淳 『漱石とその時代』 第1部刊行 新潮社

8.31に 第2部 刊行  今手元にみつからず、確かめられないが、江藤淳の大学時代に書いた夏目漱石論がのちに講談社文庫に入ったものが最初の江藤淳との出会い。『漱石とその時代』 第1部・2部はずっと後から読む。講談社文庫に入っていた大学学部生だったとき書いていた漱石論の江藤の早熟ぶりにびっくり。なんか若いのに老成したような趣。成熟と喪失・小林秀雄論までは読んだが、のちの晩年の知識人くささには閉口。読まなくなってしまった。いつだったか、若手の批評家加藤典洋らを相手に文芸誌で、叱りとばしている江藤をみて、何か怒りを溜め込んでいるなと感じたことがあった。

どうもこれは、今になって私が思うのに、怒りの一つは、「アメリカの影」 なのではないかと考える。あるいは、日本近代化の構造的ゆがみ、日本の近代世界参入の過程のゆがみからきた、彼個人のみ負わせられない構造からくる怒りではないかとしきりに思うようになってきた。

彼が1982年に編集者として出版した 『占領史録』 1981~1982 全4巻 講談社 の解説に、その手がかりがあるように思った。すでに作られていた世界規範に後から参入する周縁国家特有のゆがみ、これは夏目漱石もそうだったはずであるが、江藤淳の生きた日本の近代も同じ構造条件であることはかわらない。、今もってこの人間が準拠すべきと思っている(あるいは思わせられている)多くの価値規範が西欧から、何の根底的な問いもなしにやってくることは同じなのだ。私にも言いようのない、整理のつかない怒りが溜まっているのを感じるときがある。それはなぜか。

 『占領史録』 全4巻 1981~1982 講談社 史料解説は、波多野澄雄、巻末解説は江藤 淳

 

 『占領史録』 第1巻 表紙

 

 

 

「そもそも西欧的近代とは何か」 「根底的な問いとは何なのか」 「西欧は何故に学ぶべき・準拠すべき枠組みなのか」 これらにいやおうなく、留学した夏目漱石たちは直面したことだろう。また、江藤も夏目漱石を追いながらも日本の近代化に、自問し、渡米して、日米外交史を調査しながらもそれの意味するものを吟味していたはずである。

 

 

 



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