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野散 のさん  野を開く鍵 贈与のカオスモス 散種 混沌ー宇宙 想像的・歴史的なもののジャンルなき収蔵庫をめざして 

戦後の『日本歴史講座』 東京大学出版会、『岩波講座日本歴史』など 明治維新前後

2016年11月25日 | 幕末・明治維新

        ▲ 『日本歴史講座』、『岩波講座 日本歴史』など

 

もうすぐ、明治維新から150年 日本の近代・アジアの中の日本近代・そして世界史の中の日本近代

もうすぐ、明治維新から150年

 

我が家に中央公論社の『日本歴史』が、届きはじめたのはいつの頃だったのだろう、高校時代日本史の事項を調べるとき、親父の部屋の本棚から持ち出したのだからその頃には利用していたはずと探してみたら、ようやく出てきた。しかし未だに20年前の引っ越しと2011年の東日本大震災の地震の影響で、日本史のシリーズ、叢書類、講座物が全巻あるはずのものが揃わない状態なのだ。本棚の数と本の数が釣り合わないのが第一原因なのだが、改めようにも、相変わらず本屋の棚の方に手が伸びる。

ようやく、それぞれの講座ものの企画で刊行された日本歴史の叢書類のうち、幕末・明治維新に関わる時代前後のものを分散している部屋の隅から探しあてたので、また埋もれる前に記録しておくことにする。

岩波書店の講座そして日本史研究会・歴史学研究会編集・東京大学出版会から刊行の二つは、ほぼ20年間隔で出版されている。この二つの講座は合わせるとほぼ10年おきに講座が刊行されている勘定になる。研究者の研究状況や研究の変化を展望できるかと密かに期待して、収集に取りかかったのが、1980年代中頃、日本史研究会・歴史学研究会編集の『講座日本歴史』が刊行されて以来である。

我ながら長年にわたり、無用な買い物をしてきたのかと思いつつ、今に至っている。

中世の研究者だった網野善彦さんは、著名な大学研究者になる前のことだが、、常民文化研究所から移り、高校の日本史の教師になっている頃、高校生の授業のための史料作りもあり、平凡社の『世界歴史事典』徹底的に引き、また岩波講座『日本歴史』や、読売新聞社『日本歴史』、中央公論社『日本の歴史』を、最初から最後まで読んだと、1991年に出た岩波書店の『よむ』という書評雑誌の創刊3号に書いていた。

 

 ▲▼『よむ』1991年6月号 網野善彦 「生きた人々に耳をすます」  8-9頁

 

 

 

網野さんのインタビューエッセイが、書かれた頃、今考えれば、日本の経済が高度成長期と並び、順調な時期と言われていた時期?いわゆるバブル期なのだが、この雑誌は珈琲代を節約すると買えた値段だったのか、日本にも面白そうな書評雑誌が出てきたなという印象だった。それで岩波の『よむ』という雑誌を購読していたことがあったのである。この雑誌で、網野さんが、高校教師をしながら中世の史料を丁寧に一行・一行読解する傍ら、岩波の歴史講座ものを含め、日本史を広く深く探求しようという、意気込みを実践していたのだと思う。網野さんは後年、教えていた高校の生徒たちと再会したとき、生徒たちはありし日の授業のこのことを覚えていて、歴史の興味に深く誘われるような、そしてその人の人生を大きく変えてしまうような記憶に残る授業を網野さんがやっていたらしい。

そんな覚醒ともいうべきものを促す授業もあったのかと、私も高校の歴史の授業の記憶を思い起こそうとするのだが、どうも何も思い出すものがない。

むりやりに思い起こそうとしたら、ある日の高校のホーム・ルームの時間が甦ってきたのだ。

大学進学者が多い高校であったため、「大学受験で多く社会科目受験者が出る日本史や世界史の授業に、倫理社会の時間を充てたい」という、担任だった日本史教師の唐突の提案だったのだ。普段は真面目な先生で、信頼もしていた先生であっただけに、もうびっくり仰天、みるみるうちに、私には、怒りがこみ上げてきて、

「どうして、教科書もあり履修科目に入っている授業を、理系科の生徒にだけ受けさせないのか、おかしいじゃないか!文部省が高校生の社会科の内容としてとして必要と認めているからこの教科があるのじゃないの」と意見したことが甦ってきたのだ。

その日、様々な意見を拾ったあと、教師の提案通り、その時間内で、なぜか多数決で、決することになり、倫理社会に充てる授業時間は、社会の日本史等の受験科目に振り分けられることになったのだ。

今考えれば、社会科目の先生たちが、事前に集まり、上部の管理部門から学年・科目主任に指導・指示があったものではないだろうか。理系の社会科の成績不良に喝を入れられたかどうなのかわからないのだが、過熱する受験戦争の中に社会科の先生たちが意思もなく翻弄され、社会科自らの教育そのものを、破壊したような事項ではなかったのではないだろうか。社会科の先生たちは、きちんと討議したのだろうか?

明治の頃の意気盛んな旧制中学生だったら、「校長罷免運動」などが勃発していたかも知れない。

そんな原体験が高校時代にあったこともあって、歴史の教科書や通説に対する関係は、大いに懐疑的な態度が捨てきれない。歴史解釈の根源的多層性や、解釈の両義性に、簡単に決着をつけるられるような、歴史理解や歴史理論などはあるのだろうか・・・・・・・?

近代とは何だろう?近代化とはどういうことなのだろうか、明治維新とは何だったのだろうか?

網野善彦が書き、語ったように、為政者・権力者の歴史ではなく、「生きた人々に耳をすます」ということは、単一の歴史であることを維持できるのだろうか。

 

 

 

 ▲日本史の講座ものの企画 数種、日本史研究会・歴史学研究会編集の日本史講座、岩波講座など

 

日本史の定期刊行雑誌は、1980年代にはいろいろ試して購読したものの、自分の関心領域にぴたりと重なるものは以外と数少なく、『史学雑誌』、『歴史学研究』、『日本歴史』、『歴史評論』誌も、今は購読を止め、関心領域分野の著作で、引用・注記されているもので、どうしても入手したい論考にかぎり、東京の史録書房などで、バック・ナンバーを探している。

歴史学の関心分野のあり方、歴史研究方法の変化など、10年単位で変化するわけではないが、歴史論文の年代による変化の実相を追跡するには、この10年単位の間隔の講座の変化を確認すると、より明確になるかも知れない。

という仮説のもと、戦後刊行された、歴史講座もののうち、岩波書店のものと、東京大学出版会刊行のものは、各4回、計8種、それと近代史に限定されているが、吉川弘文館で、1993年頃に刊行されていた『近代日本の軌跡』全10巻、同じ吉川弘文館の『日本の時代史』全30巻 2002年~2005年などを素材として、著者の世代・年代別、研究関心分野の種別、などを私個人の極私的関心から、論文の山を横断したり、縦断したり、どこに行き着くのかまだわからない。のだが。

 

 

 ▲日本歴史のシリーズ・叢書・講座のいくつか。

上左から、一人1巻で、時代を概観した一般読者向けのシリーズは、歴史好きの家庭には何かが揃っているはずと思うのだが、定期に入手していたのは、以下の4種。通史編のコメントは、講座ものの案内・コメントが終了してからup予定。

『日本の歴史』 中央公論社 1965ー1967年 全26巻+別巻5冊

20巻 『明治維新』 は井上清執筆、1965年刊

左より2番目は、

小学館版『大系日本歴史』 1987ー1989年 全15巻 

12巻は石井寛治 『明治維新』 1989年

左より3・4冊目が

集英社版 『日本の歴史』 全22巻 1991ー1993年

15巻 『開国と倒幕』 が 田中彰 1992年

16巻 『明治維新』 中村哲 1992年

左より5、6、7冊目が、

講談社版 『日本の歴史』 全26巻 2000-2003年

18巻 『開国と幕末変革』 井上勝生 2002年

20巻 『維新の構想と展開』 鈴木淳 2002年

右端の緑色のカバーの7冊は、平凡社、『明治維新史研究講座』 1958ー1969年の6巻+別巻のシリーズ。

 

▼ 日本史の講座もの、論集など (幕末・明治部分中心)

 ▲日本史の講座もの、論集など (幕末・明治部分中心)

▼上の写真左端から

 ▲『日本歴史講座 5』 

 ▲ 『日本歴史講座 5』 目次

色川大吉さんが、1950年代半ば頃、この頃すでに、講座ものに書いていたのは驚き、最近『色川大吉著作集』も刊行が完成して、次は何に取りかかろうとしているのだろうか。色川大吉は、『松本清張全集』の解説で、松本全集は、書いたもの全部を収録したものでなく、その収録内容を選択したのだと書いているのだが、色川大吉さんも、若い頃、相当書きまくっていたのではないかと想像する。著作集の巻数から見て、若書きの頃のものは、著作集には掲載していないものが多いのではと思う。この第1次の『日本歴史講座』では、途上にある、初々しい・ナイーフな色川さんに会えるかも知れない。

 

『日本歴史講座』 全8巻 1956-1957年 東京大学出版会 編集・日本史研究会・歴史学研究会


▼左端から2番目 戦後第1次 『岩波講座  日本歴史』

▲戦後第1次 『岩波講座 日本歴史』 全23巻、初版は1962年頃か、手持ちのものは、第3次予約分、1967年頃、岩波書店

 ▲戦後第1次 『岩波講座 日本歴史』 目次


 ▼左端から3番目 『共同研究 明治維新』

『共同研究 明治維新』 1967年 徳間書店 思想の科学研究会編

 ▲思想の科学 共同研究 明治維新 目次


▼4番目 第2次『講座日本史』

▲『講座 日本史』 全10巻 1970ー1971年 東京大学出版会 歴史研究会・日本史研究会編

 ▲『講座 日本史』 5 明治維新 目次2


▼ 5番目 『論集 日本歴史』

 ▲ 『論集日本歴史 9  明治維新』 1973年 有精堂 原口宗久編

▲ 『論集 日本歴史』 目次


▼ 6番目  戦後第2次 『岩波講座 日本歴史』 

 

▲ 戦後第2次 『岩波講座 日本歴史 』 1975年ー1977 全23巻+別巻3巻 岩波書店

『岩波講座 日本歴史 14 近代1』 1975年岩波書店

▼下は、上記講座 14巻の維新・1975年 目次1

 ▲岩波 1975年 近代1 目次1

▲ 『岩波講座1975年 近代1 目次2

▲ 岩波講座1975 近代1 目次4

 

▼7番目・8番目

   

『普及版 日本歴史大系』 全18巻 1996年頃 元版は1984ー1990年 山川出版社 井上光貞・永原慶二・児玉幸多・大久保利謙編 

『日本歴史大系 12 開国と幕末政治』 1996年 山川出版社 執筆者 坂野潤治・大久保利謙・三谷博・田中彰

『日本歴史大系 13 明治国家の成立』 1996年 山川出版社 執筆者 坂野潤治・高橋直助・高橋昌郎・御厨 貴・我部政男

 

 

▼ 9冊目 戦後第3次 『講座 日本歴史』

▲ 『講座 日本歴史』 全13巻 1984ー1985年 東京大学出版会 歴史研究会・日本史研究会編

『講座 日本歴史 7』 1985年 東京大学出版会

 ▲ 『講座 日本歴史 7』 近代1 1985年 東京大学出版会 目次1

 ▲『講座 日本歴史 7』 近代11985年 東京大学出版会 目次2


戦後メインストリームを形成している?講座ものの日本史講座は歴史学研究会・日本史研究会編集の東京大学出版会のものと、岩波書店からのものがある。名称が、その都度変化しているものもあるので、引用の際は注意が必要なのだが。

東大 第1次 日本歴史講座 1956-1957  全8巻

岩波 第1次 講座日本歴史 1962-      全23巻

東大 第2次 講座日本史   1970ー1971  全10巻

三省堂 『日本民衆の歴史』  1974ー1975 全11巻

東大 『日本国家史』      1975ー1976  全5巻

岩波 第2次 日本歴史    1975ー1977  全26巻      

東大 第3次 講座日本歴史 1984ー1985  全13巻

岩波 日本の社会史      1986-1988  全8巻

岩波 第3次 日本通史    1993ー1996  全21巻+3 

上野千鶴子 『ナショナリズムとジェンダー』 1998年 青土社

上野千鶴子編 『構築主義とは何か』 2001年 勁草書房

東大 第4次 日本史講座   2004ー2005  全10巻

岩波 第4次 日本歴史    2013ー2016  全22巻


2000年以後に出た第4次の講座ものの2種は、東京大学出版会の近代1の「はじめに」と」題された小路田泰直 と岩波日本歴史の吉田裕「近現代史への招待」で、いずれも、上野が書いた、「言語論的転回」について、論評するところから始まっている。日本史学世界では、随分遅れてなのだが、衝撃が伝わったようだ。

「歴史学は哲学ないし批評理論をほんとうは必要としていたのではないか」?と、注目していたのだが、

二人の論考はわりと、史料世界へ回帰する論調だった。今後は21世紀の史学は若手研究者によって、この問題に取り組み、さらに深化していくのではないかと思われる。史料についてのこれまでの有力な一般的解釈に拘泥することなく、論の根拠を示しながら、史料の選択の意味にも触れ、私という歴史的身体が膨大な史料群の中から、自分の足場を確保しつつ惹かれた史料選択をして、横断していく走行記録なのかも知れないのだが。

戦後夥しい数の「明治維新」をめぐる戦後の幕末・維新の近代史研究があるのだが、さしあたり、上の比較的入手しやすい論考と論考を発表した、著者たちの著作群にも時間があれば言及したい。

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なお、「言語論的転回」を上記の東大講座の小路田泰直 と岩波日本歴史の吉田裕「近現代史への招待」は、上野千鶴子の著作論文の言説を拾い、批判を繰り広げているのだが、哲学や、記号論、社会学、文学批評理論の世界では、上野が指摘している通り、かなり前から「言語論的転回」と言われる、哲学分析方法上の共通理解の事項に達していたことがわかる。

『岩波 哲学・思想思想事典』 1998年 453-454頁 で野家啓一が書いている。

「linguistic turn」 言語論的転回

「・・・・・言語論的転回とは主として英語圏における分析哲学興隆を方法的側面から特徴づけた概念である。しかし、歴史的観点からすれば、これは近代哲学のパラダイムに対する反措定と見ることができる。デカルトの<コギト>の自覚に始まる近代哲学は、基本的には自己意識の明証性を出発点とし、観念分析や、意識分析(反省)を出発点として展開された。その結果、意識の私秘性という壁に阻まれて<外的存在>や<他我認識>のアポリアを解決できず、不可知論や独我論の袋小路に陥らざるを得なかった。それに対して、哲学の考察場面を私秘的な意識から公共的な言語と移行し、意識分析から、言語分析への方法的転換を図ることによって、哲学的問題に新たな探求の地平を開こうとしたのが「言語論的転回」であったということができる。」 野家啓一 

 

この後、このブログで、ゆっくりと、明治維新150年以後まで、つづく



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