ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

親として (その9:最終回)

2013年06月20日 22時53分41秒 | 家族・子育て

ワッ と、カミさんが泣き出しました!

 カズマくんの乗った飛行機を見送るため、空港の展望デッキに上った時のことです。滑走路を離発着する飛行機がよく見えます。カミさんは、その光景を見ているうちに切なくなったようです。「なんで、名古屋に行かないといけないのよ!」と急に泣き出しました。今まで押さえていた感情が、ワッと出てきたようです。ベンチに座り、5分ほどタオルハンカチに顔をうずめていました。母親の気持ちとは、そういうものですね。できれば一緒に、できれば近くに暮らして欲しい。宮崎での学生生活の時には、そのような気持ちがなかったのですが、社会人として“巣立つ”段になり、子離れするのに、心を整理する時間がいるようです。

 今回、大学院を中退するのも、名古屋で就職させていただくのも、息子の決断を尊重しました。私の判断は間違っていなかったか?

 私は、日頃、こう考えています・・・自分自身が実践できていると思っているならば、目の前に起きる現象は、全て受け入れる。全てOK。全てアリ。それでよい。実践とは、「ありがとうございます」という感謝の気持ちを忘れず、不平・不満・グチ・泣き言・悪口・文句・イヤだ・キライだ・気に入らないを言わない。感謝のひとつの表れとして、先祖への感謝=先祖供養をおこなう。神棚を祀り、日々生かされていることに感謝する。日々生きていることを、アタリマエではなく、感謝の視点でとらえる。喜ばれる存在になる。そして、笑顔、笑うことを意識し、笑う時は、お腹をかかえるようにして、内臓を震わせて笑う。などなど、実践の内容は、このブログでお伝えするところです。逆に、実践ができていなかったらどうなるか?いわゆる、踏んだり蹴ったり、やることなすことウラ目になったり、執着が強くなり、生き方がしんどくなる。
 こういった実践を、なんの見返り(ご利益)も期待せず、ただひたすら淡々と愚直に続ける。“完璧”を考える必要はなく、できる限り続ける。カミさんも、私の実践を見ていて、そこから発生する現象のおもしろさを実感しています。カミさん自身がずいぶんラクになりましたから、カミさんも、なんだかんだ言いながらも、時々ブレながらも、実践しています。そして、これは精神論では続きません。目に見えない存在、世界を“実感”することが重要です。おかげさまで、人智を越えた世界を実感しています。

 なので、この一年、息子の件も、静観でした。

 そういうえば、宮崎の引越しの時、こんなことがありました。万年床の布団をはずし、その下に敷いていた敷物とホットカーペットをはずした瞬間、私は凍りつきました(笑) フローリングの床が人型に黒ずんでいたのです。黒カビがはえていました(@0@) カズマくんの寝ているカッコウがそのまま黒ずんでいたのです。つまり、大学院に行かなくなり、布団の中にいる時間が多かったのでしょう。起きていても、冬の間は寒いため、布団に入ったまま、パソコンゲームをしていたようです。
 ただ、寝汗でカビがはえたワケではなさそうで、アパートの構造上の問題のようです。1階でしたので、床下の冷たい空気と反応し、床上の人間が横になっている部分が暖かいことにより、その部分だけ、床が“結露”状態になり、濡れ続けたようです。私が一晩、寝袋で寝ましたが、同じように、寝袋のところだけ、床が濡れていました。その状態が、半年ほど続いたのでしょう。
 その黒ずみを見ていると、カズマくんの悩みの想念が感じられました。もんもんと布団の中で、思い悩んだことでしょう。私たちには、落ち込んでいる姿を見せることもなく、キレることもなく、不機嫌な顔もせず、淡々と接していました。たいしたものです。ありがとう。

 その黒ずみは、二人でせっせと雑巾がけし、なんとかキレイになりました☆

 そして・・・

 気分一新で、カズマくんは、名古屋に飛び立っていきました☆

 名古屋に行き、かれこれ2ヶ月。電話で話したことはなく、業務連絡メールのやりとりだけですが、毎日早朝2時起きの新聞販売店仕事に「慣れましたか?」のメールに、こんな返信がありました。

 「ぼちぼち慣れてきました。早起きだし、マンションの配達が多く、上り下りでいい運動になってるから、学生時代より健康的かもしれません」

 元気でやっているようです☆