ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

正観さんをお見送りする(最終回)

2011年12月06日 01時32分31秒 | 時事

翌朝、朝早く、ホテルをチェックアウトし、斎場に着きました。
ちょうど、葬儀の有志スタッフの集合時間だったようで、顔なじみの多くがそこにいました。
よいタイミングでした。
スタッフルームに荷物を置かせてもらい、友人達と近所の喫茶店でモーニングをいただきました。

 10時。正観さんをお見送りする告別式が始まりました。縁ある人たちがたくさん参列していました(およそ500人だったそうです)。弔辞を読んだのは、正観さんが社長を務める(株)SKPの取締役でもあるU氏でした。正観さんがお亡くなりになる直前の信州・上高地ツアーにも参加されていて、その時の様子や、遺影に使われた写真を9月に北海道で撮影したエピソードなどが語られました。色々なことが、この“タイミング”として、計られていた感じがしました。

 ご焼香には長い列ができ、私の番が終わったのは11時過ぎでした。この後、ご家族の最後のお別れや、出棺などの流れになりますが、飛行機の時間のため、私はここで、斎場を後にすることになりました。

 おかげさまで、正観さんをお見送りすることができました。(その1)に書きましたが、土曜の先約と日曜の先約の間に、東京に来ることができました。しかも、土曜日は、飛行機の延着もあり、お通夜が始まって5分のところで斎場到着。帰りも、出棺まで居れるかどうかの時間だったところが、参列者の多さで、ご焼香の時間が延び、当初予定の11時半終了にはならないため、ご焼香させていただいたところで、帰路につきました。

 つまり・・・

 “長居”できないようにできていました。

 東京行きのプランを組んだ際に、薄々それを感じましたが、土曜日の飛行機が延着したことで、それが確かなものと感じました。理由は・・・私の心の中にしまっておきます。

 私がブログを書き出したのは2004年の5月から。どっぷり正観さんと関わっていた時期です。正観さんから『生きるということ』についてのヒント(私にとっての真理ともいえます)をいただいて、それを実践することと、目に見えない存在・世界を実感することと合わさることで、生きる喜び、楽しさ、ラクに生きることをテーマに書き始めたわけです。ブログのキッカケは正観さんだったということです。

 2002年秋の講演会に参加してから1年経った頃。兵庫県にある合宿所・光楽園(こうらくえん)に初めて参加した時の茶話会で、「仕事はパソコンのスクールやサポート業をやっています」と自己紹介をしましたら、正観さんが「ちょうどよい時に、ちょうどよい人が来ましたね」と言ってくれました。正観さんがパソコンを使い出して、インターネットを始めた時期でした。早速、私は正観さんの個室でパソコンをいじり出し、それ以降、正観さんが西日本エリアにいる時のパソコンのサポートをさせてもらうようになりました。正観さんはリサイクルショップで中古の安いパソコンを買ってくるのが好きでした。ひとくせもふたくせもあるパソコンを買ってきては、「使えるようにしてください」とよく私に預けたものです。そして、正観さんやスタッフから頼まれ事を引き受けていると、その流れで、光楽園の合宿スタッフになり、各種イベントで、プロデュース・演出をさせてもらうようになったのです。色んな経験をさせていただきましたし、多くのよき友人仲間ができました。

 ドミノ倒しのような流れで、今生でも正観さんと深くご縁をいただけたこと、うれしく思います。

 ありがとうございます。

 さて、来世では、どんな設定・シナリオでご縁ができますかね。

 また会う日まで・・・

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