ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

産土神(うぶすながみ)に会いに行く(後編その2)

2011年08月18日 22時01分47秒 | 日々の神計らい

「あの~・・・この写真の女性を探しているのですが」
「ほぉ。かなり古い写真ですなぁ・・・」
「はい。約50年前ですから」

な~んて、『母を訪ねて三千里』のようですね(笑) 今回は女性を探しているわけではありません(笑)

 西宮神社の後、廣田神社に向かいました。当初は西宮神社だけ参拝する予定でしたが、自宅を出発する5分前に、突然、「廣田神社と門戸厄神(もんどやくじん)にも行こうかな」と思ったので、急いで地図情報だけプリントアウトして来ました。西宮駅で地図とバス案内板を見ると、阪神バスで廣田神社に行けることがわかりました。詳しく下調べをして旅に出るのもよいですが、適当に現地で行き当たりばったりの旅をするのも楽しいものです。ちょっとした“冒険”です♪

 で、廣田神社に参拝。神話にも登場する神社で、1800年以上の歴史があり、旧社格は官幣大社。主祭神は天照大神荒魂(あまてらすおおみかみあらみたま)です。その昔、廣田神社を中心とする神社群は、京から西国への街道上にある神社ということで「西宮(にしのみや)」とも呼ばれていたそうです。「西宮」地名の由来ともなった廣田神社です。

 昔の写真と同じ風景もありました。ありがとう参拝。

  そして、今度は、バス停で路線図と地図を見比べると、阪急バスで門戸厄神近くまで行けることがわかりました。小学5年までいたエリアですから、なんとなく土地勘が働きます。少し歩くことになりますが、それもよいでしょう。

 汗をかきかき、門戸厄神に着きました。・・・ ・・・ ら、お寺さんでした。今の今まで、神社とばかり思っていました(^^;ゞ・・・門戸厄神東光寺(とうこうじ)、正式には松泰山東光寺というそうです。高野山真言宗別格本山。あらゆる災厄を打ち払うという厄神明王(門戸厄神)をお祀りしているということです。『門戸厄神』としか呼んでいなかったので、お寺さんとは思ってもみませんでした。持っている写真にもしっかり鳥居が写っています(明治時代に神仏分離がありましたが、それ以前の名残で寺に鳥居があることもあるそうです)。

 境内を探してみましたが、鳥居はありません。ま、写真と同じ場所を探さなければならないわけではありませんから、このままお参りして帰ってもよいのですが、ちょうど、若いお坊さんがひとり、掃除されていたので、昔のことは知っているのかな?と思いつつも、聞いてみました。

 「たぶん、門戸厄神の写真だと思うのですが、この鳥居はもう無いのですか?」
 「古い写真ですね・・・。奥の院のところに鳥居はありますよ!」 お坊さんが、案内してくれました。

 それは、本堂のウラにひっそりとたたずんでいました。

 写真と同じ鳥居です。お坊さんによると、昔、寺の入口から、ここに移設されたそうです。このひっそり感が、昔をたどる写真の旅の感動を倍増してくれた感じです。「半世紀前に、この鳥居と写真を撮ったのかぁ・・・」感慨にふけります。

 「生かして頂いて、ありがとう御座位ます」 こうして、産土神たちへの感謝のお参りができました。

 まだ午前中。さぁ、この後は、もうひとつの楽しみだったオプションタイムです(笑) 奈良に向かいます。

(つづく)

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