その美しい宿「さか本」は、
能登半島の先端、珠洲の町はずれ、
畑と民家の間の細い道をたどり、
風にさざめく緑のトンネルをくぐっていくと、
静かに姿をあらわし、我々を迎えてくれる。
部屋にはテレビもエアコンも冷蔵庫もなく、
自然の中に身をゆだねる心地よさを
存分に味わいながら、そのひとときを過ごす。
豊かな自然につつまれた館は、
春の桜、秋の紅葉のころの美しさは格別だが、
夏は蚊帳の中で眠る楽しさ、
冬は囲炉裏や薪ストーブでほっこりする幸せ、
どの季節に訪れても、心を満たしてくれるものがあるのだ。
私がいつも楽しみにしているもののひとつが、
玄関に飾られる一輪の花。
一輪挿しは、簡単なようで難しい。
今日の客をもてなす気持ちを表す一輪、
これは、という一輪を選ぶのは、
なかなか緊張感をともなう作業だと思う。
で、この日は、庭のサルスベリを一輪切って
黒っぽい珠洲焼の花器に さっと生けてあった。
この華やかな紅色が、
心に灯って、明るい気分にさせてくれた。
.
「さか本」の魅力は、なんといっても
お料理がすばらしく美味しいこと。
能登の海でとれた幸、
能登の野山でとれた幸、
近所の農家がこだわって作った豆や蕎麦、
そして、おいしいご飯。
能登は、今でも当たり前のように
お米を ” はさ ” にかけて天日で干す。
そのお米とおいしい水入れて、
お釜で炊くのだから、もう. . .
手間ひまかけて作られたお料理を、
丁寧に運ぶ子供たちの所作も、また美しく、
集ったみんなの顔も、ほころびっぱなし。
夏の終わりで、静かな館内、
我々は総勢7人だったので、
時々、離れの部屋でもくつろがせて頂いた。
池にせり出した建物で、
蛙や虫の声につつまれながら過ごす。
どこまでが自然で、
どこまでが作られたものかわからないほど
作為的でない風景。
そしてその もてなし方も、自然。
「いらっしゃいませ」と
満面の笑顔で迎えてくれる訳ではない。
あれこれ説明もなし。
でもあたたかい気持ちが、じわっと伝わってくる。
帰りしな、ご主人の坂本さんが、
庭に咲く野花を一輪、
お土産にと手折ってくださった。
それを子供たちが工夫して、
家に着くまで枯れないようにつつんでくれた。
いつまでも余韻の残るやさしさ。
能登はいつもこんな風にあたたかい。
.