泉区生活支援ネットワーク

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再起への道 宮城・被災障害者施設の今(1)/しおかぜ(岩沼)るばーと(名取)

2014年06月12日 | 仙南・仙台周辺の情報
「河北新報」2014年06月11日水曜日付け記事より引用)
 東日本大震災で被災した障害者施設の多くは震災から3年が過ぎた今も、再起の途上にある。再建を果たしたものの事業が軌道に乗らない施設があれば、いまだに仮住まいの施設もある。宮城県沿岸部にあった被災施設の道のりから、支援の在り方を探る。(4回続き)

 海から1.3キロ、岩沼市早股地区の農場で、障害福祉サービス事業所「しおかぜ」(定員36人)の利用者が汗を流す。震災時に高さ2メートルの津波が押し寄せた畑では、出荷用のタマネギや小松菜が収穫を待つ。高橋和幸さん(37)は土をふるいにかけながら「忙しいと少し大変。でも、毎日仕事に来るのがうれしい」と話す。
 しおかぜは震災から20日後の2011年4月1日に、被災した事業所を再開した。「利用者は生活リズムを体で覚えている。震災だから家にこもるのではなく『大変な状況でも、みんなが待っている。頑張ろう』という気持ちになって、早く日常を取り戻してほしかった」。施設長の永井一人さん(45)が振り返る。

◎栽培再開に2年
 だが、活動の柱の農作業を再開するまでには、ハードルがいくつもあった。借金して資金を調達し、壊れた4棟のビニールハウスの修繕や塩害にあった農場の土の入れ替えをしたが、福島第1原発事故の影響で堆肥が手に入らず、1年間は耕作できなかった。
 12年春から作付けしたものの、地下水の塩分濃度が上がり、井戸水を使うと作物が枯れた。昨春から2キロ内陸でくんだ水を使うようになり、ようやく野菜と花の生産販売ができた。
 運営面の不安もあった。災害復旧費の国の補助決定が遅く、自力で資金を工面しなければ早期の事業再開はできなかったという。補助対象も施設と備品に限られ、被災直後から施設再開のために働いた職員の人件費は手当てされなかった。永井さんは「有事にこそ、要援護者を支える職員が安心して働ける環境を整えてほしい」と訴える。
 昨年1人当たり受け取った月平均の工賃は、震災前と同じ6000円まで回復した。ことしは作付面積を増やし、月額8000円を目指す。

◎職員の負担増す
 名取市の社会福祉法人「みのり会」は、海から1キロの場所にあった通所施設「るばーと」が全壊した。11年3月末から大学施設や空き事務所を借り、2年間をしのいだ。新事業所を内陸に移転・再建できたのは、昨年4月。老朽化していた仮施設の応急改築費、移転用地の購入費、施設再建費の自己負担分を合わせ、1億2000万円の借入金を抱えて再スタートを切った。
 新施設では、常時、支援が必要な人の生活介護事業や短期入所事業を始めた。利用者は43人と震災前より増えた。医療的ケアが必要な重度障害者も多く「支援の質が求められる」と理事長の鈴木治子さん(70)。職員の負担は増しているという。
 それでも、グループホーム開設を次の課題に挙げる。震災で、親も、帰る家もなくした5人の利用者と50日間、避難生活を続けた。その経験から、障害者と家族が地域で安心して暮らせるよりどころを作りたいという。鈴木さんは「命を預かるのだから生半可ではない。本当の意味での復興はこれからです」と話す。
(生活文化部・足立裕子)

<宮城県の被災障害者施設> 県などによると、140前後の通所・入所施設が東日本大震災で被災。このうち、津波や地震で30以上の施設が全壊した。現地再建や移転でほとんどが事業を再開した一方、プレハブ施設などで仮住まいを続けている施設もある。

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