消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

弁護士・大塚一男先生のこと

2016年09月30日 13時42分29秒 | コト殺人事件と坂本せいいちさんのこと
過去記事
2011-09-04
13:31:53
               追悼  大塚一男先生


 弁護士の大塚一男先生が亡くなられた。86歳

 今朝、いつも眺めることのない新聞の訃報欄をふと見て、ハッとなった。
 松川事件(テキストの一例として、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6)の主任弁護人を務めた大塚一男先生が亡くなられたことが報じられていたからである。
  http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110904k0000m040037000c.html (ネットの毎日新聞報)
 大塚先生には、結局、一度もお会いできなかったが、そのご厚情にあずかった者として、心より哀悼と感謝の意を表すものである。

 いまから書くことは、具体的な日付等は失念してしまっているので、その点はお許し願いたい。

 文芸社刊『誰がコトを殺したか』(坂本せいいち著) 「本屋に並ぶ私家版」の記事ご参照。こちらをクリック の原稿を書き直しつつ編集している時期、コト殺人事件(昭和11年、青森県五所川原で発生)の予審判事だった「鈴木禎次郎」という人の実像を知りたいと思うようになった。
 あるとき、国会図書館新聞閲覧室で古い新聞をひっくりかえしているうち、鈴木氏は仙台高裁判事時代にあの有名な「松川事件」控訴審を手がけていることがわかった。
 松川事件控訴審判決は「確信をもって言い渡す」と余計な文言が入っているので「確信判決」などと称されるが、大誤判としても有名になっている。

 その関係で鈴木氏周辺を洗っていくと、大塚一男先生の『最高裁調査官報告書 松川事件にみる心証の軌跡』(1986年筑摩書房刊)という本に行きあたった。
 クンちゃんが目をひんむいたのは、控訴審判決の直前に入廷する鈴木裁判長について、同書が「笑顔を見せつつ入廷した」と記していることだった。
 一審より死刑を言い渡される者の数は減ったが、四人の被告人に死刑を言い渡すことになる直前、いわばニヤニヤしながら法廷に入ってくる裁判長ってのはいったいどんなやつなんだろう、という疑問がふくらんだ。こういうやつなら、もっと若造の予審判事時代にはろくなことがなかったんじゃないか、という憶測でもある。

 そこで、大塚先生が所属する「自由法曹団」に電話をして、応対に出た事務局の女性に先生の連絡先を教えてくれるよう頼んだ。クンちゃんの長い経験では、こんなとき、応対に出る人はだいたいこちらの用件のすべてを細部まであれこれ質したのち、それはできませんね、とか答えるのが多い。(ふざけんな、おまいに用があるわけじゃないんだよ!というのが多い。)
 ところが、あれこれ要らんことを聞かずともこちらの意を了解した事務局の森脇圭子女史(退職)は、折り返しで、先生の連絡先を教えてくださったうえ、松川関係のエッセンスである資料をも送ってくださった。
 このような経緯で大塚先生に連絡がつき、折りいって短時間ご面談をお願いしたいとの趣旨を伝えると、折りいらんでいいからどんな用か言いなさい、という単純明快なお答え。

 そこで、控訴審判決当日の鈴木裁判長の描写の確認と、先生著作の関係記事を『誰がコトを殺したか』に転載したい旨伝えると、「私がこの目で見て書いてんだから、大丈夫だよ」とおっしゃり、転載については「運動が前進することを願っていますよ。好きに使ってください」というありがたいお言葉であった。

 そののち、何回か手紙のやり取りをしたが、結局お会いすることもかなわず、完成した『誰がコトを殺したか』をお送りしたことに対するお礼の葉書をいただいたのが最後になってしまった。

 このような経緯で、『誰がコトを殺したか』の巻末資料として、前記筑摩書房刊本の記事と、あとでわざわざ郵送してくださった「得意絶頂の鈴木判事とその心理」と題する先生著『私記 松川事件弁護団史』(1989年日本評論社刊)の関連記事が収録されたのである。
 
 いまは天上で憩うておられる先生を偲んで、思い出を記した。



   追記・9月8日朝、前日に東京都三鷹市内でおこなわれた大塚先生のご葬儀について、参列したおひとりから、次のご報告をメールでいただきました。


          昨日、大塚先生の告別式でした。
          お好きだった歌「ふるさと」が流れる中、
          お花にあふれ、
          お孫さんの「じいじい、だいすき」と書かれた手紙が棺に入り、
          優しいお顔で逝かれました。

          お経の無いお葬式もよいものだとおもいました。
 
 
    



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