消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

コト殺人事件、義父の汚名を雪がん!

2018年06月16日 19時55分28秒 | コト殺人事件と坂本せいいちさんのこと
  血のつながらぬ義父の冤罪
  一生かけて汚名晴らさん!
  坂本さんの闘いはつづく!


   

 昭和初期の古い殺人事件(青森県五所川原・コト殺人事件)は冤罪だ! として、長期にわたって世論に訴えている坂本せいいちさん(仙台市在住)のことを、おらのブログで何回か書いてきました。
  その記事のひとつはこちら

 しかし、だいぶ時間が経って、単なる過去記事のひとつになっていきました。
 ところが最近gooブログ編集ページ「リアルタイム解析」のアクセス履歴を見て、首を傾げていたのです。一週間ばかり前から同記事へのアクセスが“異常”に増えていることに気がついたからです。

 そうしたところ、一昨日になって「こびす」さんというお方から同記事へコメントをいただき、アクセス増の理由がわかりました。
 この天候の悪い時期に、坂本さんがまたまた上京して、東京霞ヶ関の東京地裁・高裁前でビラ配りをやっているのです。
 そのビラを見た人たちがネット検索でおらの記事にたどり着いていたのでしょう。

 こびすさんのコメントとおらの返コメを、一部再録してみます。

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司法制度の問題 (こびす)
2018-06-14 11:24:09
昨日、東京裁判所前でビラをいただきました。何時もの批判ビラと違い切々と訴えた文面に感動しました。
昭和11年の事件ですから再審は難しかったのでしょう。
でも、坂本さんの訴えは今も無くならない冤罪事件への警鐘として価値あると思います。
私の母は選挙違反犯罪者としてひどい取り調べを受けました。
拷問は有りませんが、罵声、嫌がらせ等人権蹂躙甚だしく、母は言われるままに自白しようと思ったそうです。一番辛かったのは教え子に対する脅迫だったそうです
選挙違反でさえ無罪の母が酷い仕打ちを受けたのですから殺人事件ともなれば刑事の綿密なでっち上げの生贄になることは明らかです。
私は本人訴訟で民事事件で奔走していますが裁判官のいい加減さに腹が立ちます。
こちらは一生懸命に準備書面を作るわけですが裁判官は斜め読み程度である事が弁論準備の席上でわかりました。
重要な証拠を読んでいないのです。指摘したら、そうでしたかだって。
弁論準備と称した場で和解に持っていこうという魂胆がありありでした。

準備書面のちょっと気になる箇所だけ読んで、心証を構成し、判決文を作ってしまう。
これが現実でしょう。
違法金銭を争う事件なのに、この程度の金額は容認できるとした女性裁判官がいました。
個人の生活感覚で判決したのです。
控訴審で簡単にひっくり返りました。(以下略)

おどろき、です! (izukun)
2018-06-14 21:25:32
こびすさま
コメント、ありがとうございました。
思わず投稿くださった日付を確認してしまいました!
きのう現在、坂本さんはまた軽トラックで上京し、ビラ配布をしているんですね。
夜はどこかの埠頭で仮泊しているものと思います。
しかし、すごい!

近々、関連原稿をupしたいと思います。
わざわざご連絡ありがとうございました。
感謝であります。

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 びっくりしたのは、高齢に達した坂本さんの“執念”ともいうべき意気込みなんですが、もうひとつの偶然にも驚かされました。

 というのは、こびすさんのコメント投稿があったのは、2018-06-14 11:24:09 でした。
 そして、おらが「腐れパソコンの結末! USBメモリにおさまる!」という記事を投稿したのは、同じく2018年06月14日 11時16分15秒 だったのです。
 極めて接近した時刻に相次いで、坂本さん関係がロードアップされていたのです。

 なんで、腐れパソコンと関係があるんにゃ?

 というのは、古い半分壊れたパソコンから取り出されたデータは、「魔切り」というタイトルのおらが初めて書いた小説の原稿データだったのです。
 9年も前になるでしょうか、坂本さんの著書を出した後、おらは得意のいい加減さで「そのうち、コト殺人事件がらみの小説を書いて、世論に訴える」と坂本さんに約束したのでした。その後、「魔切り」というタイトルの小説を一応書き上げたものの、そのままになっていました。「魔切り」は、犯行に使われたことになっている、未発見の刃物の名称です。

 魔切りのデータは長い間古いノートパソコンの中で眠っていました。
 ところが、或る動機からおらはこの2月以降、別の小説のようなものを書き始め、原稿用紙500枚を4月末日になんとか書き上げました。
 そんなことがおらには刺激となって、書き上げたままになっている「魔切り」のデータを探し始めたのです。

 そのデータ復元の記事アップとこびすさんのコメントが重なったことに、何か不思議な因縁を感じ、いま「魔切り」をなんとかしたいと本気で考えているおらなのです。

 こびすさん、ありがとうございました。




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