過去記事
2012-02-01
21:22:54
(写真=駿河銀行提供)
“絶不調”の中で
身も心も不調なる2012年の年明け、となったクンちゃんですが、これは年齢のせいもあってか、きりがないと言えばきりがないですなあ。
かといって、そういつまでもうだうだしてられんわ、というわけです。
この間、来る2月14日に予定されている例の栗田工業・野崎―藤野ちかん裁判(本訴のほう。横浜地裁)の本人尋問、証人尋問に向けて、クンちゃんは蚊帳の外ではあるが、少しく自分の考えをまとめてみようと資料にあたっていました。
栗田工業と藤野宏・前会長が本訴に先だって求めていた出版禁止の仮処分については、昨年12月に「保全の必要なし」として却下されていますが、本訴は本訴ですので、野崎サイドはこの尋問に向けて全力投球ということになるでしょう。
しかし、思うにつけ、いわば藤野氏の個人的な憤激というものを、会社の名前を使って発散させようとするかのようなこの栗田提訴は“濫訴”と言って差し支えないのではないか。このような意味のない提訴、何か訴える利益があるんかいな、というこの栗田提訴に対し、裁判所がどう決着をつけるのか、さらに注目していきたいと思います。
ところで、年賀も欠礼、来信やメールにも返事無しという失礼状態でしたが、前記資料あたりの中で、読む暇がなくてほっといた本が出てきたので、それをやっと読むことができました。
『誰がコトを殺したか』(文芸社 2009)の編集中に、松川事件二審、仙台高裁の所謂“確信判決”を出した鈴木禎次郎判事(予審判事時代にコト殺人事件を担当)を調べていくなかで入手した、
橘かがり『判事の家』(ランダムハウス講談社 2008) という単行本です。
橘さんは、全員無罪で決着した松川事件の第一次上告審(大法廷)と差し戻し上告審の両方に携わった下飯坂潤夫最高裁判事の孫にあたるといいます。下飯坂判事は強硬な有罪論者で知られた人でした。
よくこのような内容を公開したな、というプロットではありますが、編集者に恵まれなかったのかなあ、というのが読後感として残りました。私小説ふうな筆致で、この判事の家が崩壊していく有様を、事件関係者への取材を交えて赤裸々に描いているのですが、事件の部分については他の著作の転載だけが目立って、もうちょっとなんとかならなかったのかいな、という生焼け感が残りました。
それはそうと、読んでいて、思わずニヤッとしちゃたところがありました。
――亜里沙(註・作中主人公の名前)が集め、書き留めた、祖父と松川事件に関する資料は、かなりの枚数になっていた。亜里沙は事件の元被告を訪ね、松川事件研究の第一人者である福島大学の伊部教授の許をも、度々訪れた。
主任弁護人だったO氏には取材を断られたが、それ以外は、「敵役」ともいえる判事の身内にしては、驚くほど皆が温かく接してくれた云々――(202頁9行以下)
O氏とは、クンちゃんブログ
http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/b584aeba7db6c434ff39cf288888075b で、訃報とともに駄文を献じた大塚一男先生です。
なぜ、このような経緯になったのかはもちろん推測できませんし、なぜ自分がニヤッとしたのかもわからないのですが…、とにかくニヤッとしてしまったのでした。
そう言えば、大塚一男先生を偲ぶ会(正しい名称を失念!)が本年桜の花の咲くころにおこなわれる運びとなり、追悼文集も刊行される、とのお知らせをいただき、恐縮してお返事も出さないままになっています。
松川事件関係をはじめ、大塚先生を大切に思う方たちがたくさんお集まりになる会であるので、クンちゃんごときは列する立場ではないのです。
しかし、多少なりともお役にたてれば幸いと思い、もし必要なら追悼文集の校閲でもさせていただきます、と昨秋、A先生にお話をするにはしていますが、大きな法律事務所の方々もおられるので、適任の方はたくさんおられるものと思います。
さて、そんなこんなで大塚先生に思いを巡らせていましたら、以下のようなブログを発見しましたので、ご覧いただきたいと思います。長野県飯山市の小学校同級のお方とのことです。とてもお元気な方のようです。(大塚先生が飯山のご出身とは知りませんで…。クンちゃんは、飯山の隣の木島平村には足しげく通っておりまして、飯山はよーく知っています。ことしは、えらい雪のようです。)
http://blog.goo.ne.jp/goo2023/e/6fa880a4d89c7892d0651f6e21d46f5e
2012-02-01
21:22:54
(写真=駿河銀行提供)
“絶不調”の中で
身も心も不調なる2012年の年明け、となったクンちゃんですが、これは年齢のせいもあってか、きりがないと言えばきりがないですなあ。
かといって、そういつまでもうだうだしてられんわ、というわけです。
この間、来る2月14日に予定されている例の栗田工業・野崎―藤野ちかん裁判(本訴のほう。横浜地裁)の本人尋問、証人尋問に向けて、クンちゃんは蚊帳の外ではあるが、少しく自分の考えをまとめてみようと資料にあたっていました。
栗田工業と藤野宏・前会長が本訴に先だって求めていた出版禁止の仮処分については、昨年12月に「保全の必要なし」として却下されていますが、本訴は本訴ですので、野崎サイドはこの尋問に向けて全力投球ということになるでしょう。
しかし、思うにつけ、いわば藤野氏の個人的な憤激というものを、会社の名前を使って発散させようとするかのようなこの栗田提訴は“濫訴”と言って差し支えないのではないか。このような意味のない提訴、何か訴える利益があるんかいな、というこの栗田提訴に対し、裁判所がどう決着をつけるのか、さらに注目していきたいと思います。
ところで、年賀も欠礼、来信やメールにも返事無しという失礼状態でしたが、前記資料あたりの中で、読む暇がなくてほっといた本が出てきたので、それをやっと読むことができました。
『誰がコトを殺したか』(文芸社 2009)の編集中に、松川事件二審、仙台高裁の所謂“確信判決”を出した鈴木禎次郎判事(予審判事時代にコト殺人事件を担当)を調べていくなかで入手した、
橘かがり『判事の家』(ランダムハウス講談社 2008) という単行本です。
橘さんは、全員無罪で決着した松川事件の第一次上告審(大法廷)と差し戻し上告審の両方に携わった下飯坂潤夫最高裁判事の孫にあたるといいます。下飯坂判事は強硬な有罪論者で知られた人でした。
よくこのような内容を公開したな、というプロットではありますが、編集者に恵まれなかったのかなあ、というのが読後感として残りました。私小説ふうな筆致で、この判事の家が崩壊していく有様を、事件関係者への取材を交えて赤裸々に描いているのですが、事件の部分については他の著作の転載だけが目立って、もうちょっとなんとかならなかったのかいな、という生焼け感が残りました。
それはそうと、読んでいて、思わずニヤッとしちゃたところがありました。
――亜里沙(註・作中主人公の名前)が集め、書き留めた、祖父と松川事件に関する資料は、かなりの枚数になっていた。亜里沙は事件の元被告を訪ね、松川事件研究の第一人者である福島大学の伊部教授の許をも、度々訪れた。
主任弁護人だったO氏には取材を断られたが、それ以外は、「敵役」ともいえる判事の身内にしては、驚くほど皆が温かく接してくれた云々――(202頁9行以下)
O氏とは、クンちゃんブログ
http://blog.goo.ne.jp/92freeedition44/e/b584aeba7db6c434ff39cf288888075b で、訃報とともに駄文を献じた大塚一男先生です。
なぜ、このような経緯になったのかはもちろん推測できませんし、なぜ自分がニヤッとしたのかもわからないのですが…、とにかくニヤッとしてしまったのでした。
そう言えば、大塚一男先生を偲ぶ会(正しい名称を失念!)が本年桜の花の咲くころにおこなわれる運びとなり、追悼文集も刊行される、とのお知らせをいただき、恐縮してお返事も出さないままになっています。
松川事件関係をはじめ、大塚先生を大切に思う方たちがたくさんお集まりになる会であるので、クンちゃんごときは列する立場ではないのです。
しかし、多少なりともお役にたてれば幸いと思い、もし必要なら追悼文集の校閲でもさせていただきます、と昨秋、A先生にお話をするにはしていますが、大きな法律事務所の方々もおられるので、適任の方はたくさんおられるものと思います。
さて、そんなこんなで大塚先生に思いを巡らせていましたら、以下のようなブログを発見しましたので、ご覧いただきたいと思います。長野県飯山市の小学校同級のお方とのことです。とてもお元気な方のようです。(大塚先生が飯山のご出身とは知りませんで…。クンちゃんは、飯山の隣の木島平村には足しげく通っておりまして、飯山はよーく知っています。ことしは、えらい雪のようです。)
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