自己の内面に満足なものを持たない者ほど外物に憧れる。
その外物が案外あてにならぬことを見に沁みて覚るところから
「道に入る」のである
安岡正篤一日一言
自己の内面に満足なものはいつもてるのか
どうしたらもてるのか
思風先生流に言うならばそういう問いを持つことが大切なのか?
その外物が案外あてにならぬことを見に沁みて覚るところから
「道に入る」のである
安岡正篤一日一言
自己の内面に満足なものはいつもてるのか
どうしたらもてるのか
思風先生流に言うならばそういう問いを持つことが大切なのか?