糸崎公朗ブログ1・路上ネイチャー協会

写真家・糸崎公朗のブログです。『子供の科学』と『デジカメWatch』で連載をしています。

1108宮城~福島/放射線測定の旅まとめ

2011年08月25日 | 原発・地震関連
遅ればせながら8月15日~21日まで行った、宮城から福島にかけての放射能測定値のまとめです。
各記事に、新たにデータやコメントを書き加えました。

110815放射線測定値(南相馬市)
110816放射線測定(宮城県)
110817放射線測定(宮城県)
110818放射線測定値(福島市)
110819放射線測定値(福島市)
110820放射線測定値(福島市)
110821放射線測定値(須賀川市)
110821放射線測定値(郡山市)
110821放射線測定値(白河市)
110821放射線測定値(那須塩原市・宇都宮市)


8月15~17日は「建築系ラジオ 宮城・福島ツアー」に参加し、南相馬市の木造仮設住宅に描かれた彦坂尚嘉さんの壁画を見たあと、宮城県内の津波被災地を見て回りました。
ツアー参加者のみなさんも口々に言っておられましたが、津波の被災地の状況は写真で見るのと実際に行くのとでは実感が大きく異なり、胸に迫る想いです。
何度か被災地に入られている五十嵐太郎さんのお話では、瓦礫などだいぶ片付いてきれいになっていたそうですが、まだほとんど手つかずで、地震や津波の爪痕が生々しく残る区画もありました。
いや本来なら、写真家たるものもっと早い段階で自力で現地に行き写真を撮るべきだったと思いましたが、しかし事故直後はカメラを持って現地を訪れる気には今ひとつなれず、東京では放射能の問題もあったのでそっちを主に考えてたりしました。
しかし、写真のためなら「人」になれるのがカメラマンであり、ぼくもその意味では人になってガイガーカウンターで計測してるのでw、ウダウダ考える必要はなかった、と言えるかも知れません。
ともかく、ガイガーカウンターで宮城の被災地を計測すると線量は東京と同じくらいで、津波被災地と放射能被災地が重なっていないことが分かり、その意味ではホッとする思いでした。

ツアー終了後は、福島市在住の友人の871さんのお宅におじゃましました。
871さんは福島民友新聞のカメラマンをされており、昆虫写真関係の掲示板で知り合いました。
原発事故以降は、奥さんとお子さんを北海道の親戚に預け、ご自身は現地に住み続ける立場から放射能の問題を正面から見据えており、その姿勢はぼくにとっても非常に勉強になりました。
また、871さん自身もガイガーカウンターをお持ちで各所を計測しており、近所のホットスポットを案内していただくなど今回は非常にお世話になりました。

まず実際に計測してみると、福島市内の放射線量は文字通り東京とは桁違いで、ゼロが一つ、場所によっては二つも違っていてあらためて驚きます。
建築ラジオのツアーでは、南相馬市の原発20キロ圏の封鎖線まで行きましたが、人が普通に住んでいる福島市内の方がずっと線量が高いです。
ところが、実際に福島市を訪れてみると「街の真ん中に自然豊かな山がある」という非常に魅力的な土地で、「この地を容易に捨てることはできない」と思う人の気持ちも分かるようになりました。

「人」と「土地」は別物なのだから、土地が汚染されたら人は逃げればいいじゃないか、と部外者は思います。
しかし、仏教には「髪を切ったらその髪は“自分”なのか? 手を切り離したらその手は“自分”なのか? 足を切り取ったらその足は・・・」という「自分の境界線」が曖昧なことについての例え話があるのです。
これを「身体の外部」に置き換えて考えると、生物学的身体とは何の関係もない肩書きや学歴だって「自分の一部」になり得るのだし、「土地」もまた同じです。
福島市はとても素晴らしい土地で、そこに根差した人にとって福島を捨てることはまさに「身を切られる」のと同じです。
ぼく自身は東京在住の地方出身者でどの土地にも指して愛着はないのですが、誰でも自分と同じ「身体感覚」を持ってるわけではないと、あらためて知らされました。

ということで871さんは、福島市にとどまる者の立場から、できる限り除線をすべきだと語っておりました。
例によって行政はいいかげんで疎開にも除線にも消極的のようですが、だったら除線すべきだというのが871さんの立場です。
一方で、武田邦彦さんや小出裕章さんが「1年1ミリ」を強硬に主張することは、福島市に住み続けようとする立場からはちょっと困ると871さんはおっしゃっていました。
つまり科学者はあくまで人間の「生物学的身体」を基準に「1年1ミリ」を主張するのですが、「主観的身体」は外部にまで拡張されますから(その外部が何であれ)、土地から離れられない人もいるのです。

手塚治虫のマンガ「ブラックジャック」に、手や足など患部をすぐ切除してしまう医者がいて、それに対しブラックジャックは切除しない手術を成功させる話がありました。
これと同じで「1年1ミリ」を守り、福島県に匹敵する地域を全て立ち入り禁止にすることは、科学的に正しいとしても、それは「手足を切除する手術」と同じことで、「だったら薬で散らしてくれ」と思う患者がいて当然です。
871さんはその意味で「できる限りの除線」を主張していると言えるかもしれません。

それと今回は、津波被災地と放射能被災地を立て続けて訪れましたが、この二つの災害は全く種類が違うことをあらためて認識しました。
twitterでは、放射能災害は津波に比べてはるかに規模が小さく世間は騒ぎすぎだ、と言う意見がありました。
しかしこの二つの災害はそもそも「種類」が違い「性質」も異なるため、規模の大小で比較することは無意味です。
津波の場合、これが迫ってきたら「郷土愛」だの何だのと言ってるまもなく、ただちに逃げなくてはいけません。
しかし放射能の場合、これが街中で「1マイクロシーベルト/時」だったとしても、害が出るとも出ないとも不明なのです。
「不明の場合は安全を考慮し逃げるべし」というのが科学的判断ですが、「不明だからこそ、簡単に手足を切られても困る」人もいるわけです。
「福島では、チェルノブイリなら立ち入り禁止レベルの線量の土地に人が住んでいる」と言われ、「日本政府の対応はソ連以下」とも言われます。
しかし871さんによると、「ソ連がいいかげんだからこそ、適当な基準でどこもかしこも封鎖してしまったとも言える」のだそうで、それも確かに一理あります。

こうなると、実は放射能の問題とは究極的には各自の「趣味」の問題ではないかと、思うようになりました。
例えば台所にショウジョウバエが湧くだけで大騒ぎで殺虫剤をまく人もいれば、ぼくのように「小バエくらい良いじゃん」と思う人もいるわけで、まさに趣味の問題です。
もしくは医療のインフォームドコンセントのようなもので、医師の説明のもと患者が納得できる治療法が選択できる・・・放射能のリスクを理解した上で、そその土地に留まるという選択肢もありなのです。
と言う意味では、ぼくの趣味は「放射能潔癖症」でありできるだけ怖がりたいし遠ざけたいという立場です。
だから871さんとは見解が違うのですが、これは「趣味の違い」というのが(恐らく)お互いに了解されてますから、喧嘩になるような雰囲気にならなくて良かったと思っておりますw
そもそもぼくと喧嘩(と言うか、一方的に腹が立って怒鳴ったことがありました、その節はご迷惑おかけしました)になるのは「放射能問題をスルーする人」であって、趣味はどうであれ問題を共有する人は信頼できるしホッとできるのです。
いや「放射能スルー」も趣味の問題であって、みんな仲良くしなくちゃいけないと思ってますが・・・
しかしまぁ、ぼくはもう40半ば過ぎのおじさんで、放射能を特別怖がる必要は無いと言えます。
だから一緒に虫探ししたりキャンプしたり計測したり、福島を十分楽しませていただいたし、また行きたいと思っています。
キャンプは871さんを励ますオフ会の一環として行われましたが、集まったメンバーもそれぞれ問題意識の高い方々で、非常に刺激になりました。

と言うことでツアーを企画してくださった建築系ラジオのみなさんと彦坂尚嘉さん、871さんとオフ会メンバーのみなさんにあらためてお礼申し上げます。