先だって触れた相内の話題に付随して、埼玉西武ライオンズは多和田真三郎・相内誠・藤田航生の3投手の戦力外通告を発表しました。前日には巨人も14名の戦力外通告を発表しているように、この季節になれば胸の痛む報道も出てきます。
西武・相内 格闘家転身決意! トラブル続きで能力開花せずプロ野球引退へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1e9e8948744622b7767773c1275e8e5dd929a88
※以下、引用です。
西武の相内誠投手(26)が今季限りで現役を引退し、格闘家に転身する意向を固めていることが2日、分かった。かつては無免許運転や未成年飲酒などで処分を受け、今季は無期限の対外試合出場禁止処分を受けるなど、トラブルもあって潜在能力を発揮できず。プロ8年間で未勝利に終わった男が、異例のセカンドキャリアに踏み出す。
新たな期待を抱かせる、衝撃の転身だ。相内は10月18日に自身のインスタグラムで周囲への感謝を記し、「今後、どんな道に進んでも忘れないです」と野球から離れることを示唆。格闘家転身の意向を固めていることが、本紙の取材で明らかになった。
相内は、コロナ禍により球団から外出を禁止されていた4月12日に後輩の内野手・佐藤とともに、ゴルフのため外出。その道中、佐藤が運転する自家用車が、法定最高速度時速60キロのところ、89キロ超過の時速149キロで違反走行した。相内は同乗者であったが、過去の違反行為などを鑑み、佐藤とともに8月20日から無期限の対外試合出場禁止とユニホーム着用禁止の処分を科されていた。
現在は自主練習となっている2軍練習に姿を見せておらず、自宅謹慎中だった。日々、自分と向き合う中で、8年間の現役生活を送ったプロ野球に区切りをつけることを決断。現役引退の決意を固め、格闘家への転身が頭に浮かんだという。
野球界から格闘家への転身は、古くは巨人の投手だった馬場正平がプロレスラーの「ジャイアント馬場」として一時代を築いた。近年では横浜などでプレーした古木克明氏(39)が09年にオリックスで引退後、総合格闘家としてデビューして話題を集めた。
相内自身はプロ入り前、野球の練習の合間にジムでキックボクシングのトレーニングを積み、当時のジムの会長から「チャンピオンになれる」と高い評価を受けた。一時は進路を迷うほどのめり込み「楽しかったし、魅力を感じていた。凄いスポーツだなと思っていました」と明かした。1メートル85、75キロの体格も「リーチが長いし、減量も10キロぐらいすぐに落ちる」とプラスに働くと自負。「1年勝負でやってみたい。自信はあります」と意気込みを語った。
15年にはイースタン・リーグで12勝を挙げ、最多勝を獲得。高い潜在能力を誇る一方、1軍では通算8度の先発機会を勝利に結びつけられず。中継ぎ一本に絞った今季は2軍で13試合に登板して防御率2.13と好投したものの、謹慎処分により1軍マウンドに上がることはなかった。8年間では勝ち取ることのできなかった白星をリングでつかみ取る。
◆相内 誠(あいうち・まこと)1994年(平6)7月23日生まれ、千葉県出身の26歳。千葉国際時代は「房総のダルビッシュ」の異名を取り、12年ドラフト2位で西武入団。14年9月13日の楽天戦でプロ初登板。今季は1軍登板がなく、プロ通算成績は21試合で0勝7敗、防御率10.05。14~17年の登録名は「誠」だった。1メートル85、75キロ。右投げ右打ち。今季年俸590万円。
こういう事例はよく見かけるのですが、中々成功した方を見かけません。成功した方を見ると、前の競技でも一流と評価されある程度を地位を築いていました。野球でものにならず、他の競技でと言うのは、相当な覚悟を持って、死に物狂いの努力を重ねないと難しいと感じます。
昨日はパ・リーグの1試合のみが行われました。
【パ・リーグ】
*メットライフドーム
日本ハム
000 000 000│0
200 010 01X│3
西 武
(勝)榎田 1勝1敗
(敗)生田目 1敗
◇本塁打:(西)木村8号①
(日)生田目・福田・望月・北浦-清水・宇佐見
(西)榎田・森脇・平良・ギャレット-森
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パ・リーグのCS進出争いはまだまだ分かりません。熾烈になってきましたね。
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暫く見守りましょう。