伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

拍手コメントについて

2016年06月29日 | PC・ネット関連
6月の末は夏越の祓。水無月を食べる日でもある。
と、去年のブログにも書いた。

夏越の祓の数週間前、町内の神社から、
封筒に入った白い無地のヒトガタ(紙製のもの)
がポストに入れられる。
このヒトガタに名前と年齢を書き、
息を3回吹きかけてから、
それとともにいくばくかのお金を封筒に入れて、
神社へ渡す。

ヒトガタは10枚くらいあるので、
自分の名前だけでなく
親戚の名前まで総動員して、年齢など適当に書く。
それでもあまってしまい、白紙のヒトガタもある。
息を吹きかけるなど面倒なので、そんなこともせず、
かなり適当なかたちで神社に届ける。

それを30日に神社がお祓いしてくれるというわけだ。
神社にはすでに鳥居に大きな茅の輪が取り付けられている。
祓に行ったことはないが。
とにかく一年の半年を無事過ごせた、
あとの半年も無事過ごせますようにというお参りらしい。

うちの町内の小さな神社でも
茅の輪が取り付けられているのだから
京都市内の大小の神社でも同じように
茅の輪が用意されているんだろう。
ただし八坂神社だけは茅の輪くぐりは
祇園祭の済んだ7月の末に行われる。

こういうことは慣例になっているので
毎年(暮にもある)行なっているが、
京都以外でも行われている行事なんだろうか。



それはともかく、ブログの体裁の手直しのために、
管理画面に何度もアクセスしていたら、
ある日、拍手コメントなる欄があることに気が付いた。

このブログに拍手機能がついたのが2009年であるらしく、
確かその時に一度見たことがあるような気はする。
だけどそれっきりすっかり忘れ去っていた。

その時は拍手というものがどういうものかなのさえ
理解していなかったように思う。
ただまあ、自分の書いた記事に対して賛同してくれた、
というようなことなのだろう。
これは非常に嬉しいことなので、
こういう辺境のブログでも読んでくれる人がいるのかと、
励みになる。


コメント欄というのがあるので、
自分の記事に対して意見のある、
感想のある人はそこに書き込むことが出来る。
コメントは滅多に来ないが、書いてあると、
これもやはりうれしいものだ。

だけど、拍手欄にもコメントを残すことが出来る、
というのは初めて知ったのでびっくりぽんだ(古い)。

しかもこのコメントは、表に出ず、他人の眼には触れない。
こちらからコメントを返すこともできない。
2009年から、現在の2016年まで、数は多くはないが、
それでも10件以上、コメントが書いてある。
びっくりした。

コメントの書いてある元記事を読んでみると、ひどい。

どの記事でもそうなんだが、
自分の書いた過去の記事は本当にひどい。
どれも書きたいことだけむやみに書き殴っていて、
書き散らしていて、文章もひどい。
読み返してみると、とにかく恥ずかしい。

けれどもこんなひどい文章にも拍手をし、
なおかつコメントをわざわざ残してくれる、
というのは、私の文に同調し、
賛同してくれているからこそなんだろう。

どのコメントも別に私の記事をけなすことも一切なく、
むしろ応援してくれるような内容ばかりだ。
それはそうだろう。
わざわざ拍手をし、
そこに内緒でコメントまでつけるくらいなんだから。

それはとても嬉しいことだったんだが、でも、
それらの暖かいコメントに対して、
私が返事をするすべがない。

コメント主も、コメント欄ではなく、
拍手欄にコメントを残すということは、
そのコメントを公にはしたくないからなのだろう。
そう思うと、拍手欄にコメする人は、
こういう風にあまり大っぴらにして欲しくない人たちなのだろう。

だけど私は、ここ6年ほどの間に、
暖かいコメントをくれた人に対して、何か感謝の意を表したい。
出来ればコメントを返したい気持ちもある。
質問をしているコメントもある。

だけどやっぱり、コメント主さんたちの意志を尊重して、
何も答えず、
ただありがたく拝聴しておくのが私のするべきことなんだろう
と考える。

6年の間にコメントをしてくださった方々には感謝いたします。
ありがとうございます。

これからも、こんな無茶苦茶な言いたい放題の
辺境ブログではありますが、よろしくお願いいたします。

これからは時々拍手コメントもチェックしようと心がけましょう。

コメント欄に書き込んでいただければ私もコメントを返せるので、
質問があればそちらにしていただけたら嬉しい。

あと最後に、「羽生結弦と京都」について、あたりです。
まあ白状してしまいましたが…、
これについてはいずれ。




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ヴィスコンティと美しき男たち

2016年06月27日 | ルキノ・ヴィスコンティ



京都でも
「ヴィスコンティと美しき男たち」が上映されるようだ。

http://www.kyotocinema.jp/next.php

京都シネマで8月。
暑い盛りだが。

http://www.fashion-press.net/news/23047

これは全国で巡回上映されていたのが、
京都でもやっと公開されるらしい。
ヴィスコンティ生誕110年、没後40年とある。
今年はまたこういう記念の年でもあるのか。
いろいろ記念の年であるのだな。

https://www.facebook.com/visconti110/

予告編の動画 
https://www.youtube.com/watch?v=RZUVoO0P0b4
「ヴィスコンティと美しき男たち」予告編



また、「ルートヴィヒ」のブルーレイが
8月に発売されるらしい。
まさかの日本語吹き替え付き。




ヴィスコンティブーム、何十年ぶりかで来る??
来るといいのにな。



京都では「山猫」は4Kではないようだ。
なんやねん、それ。
意味ないやん。

む、この機会に見ておくべきか。
何十年ぶりかだもんねえ。
「ルートヴィヒ」の4時間の時間を作れるのか。
微妙だ。
「山猫」もノーカットなら3時間だ。
これは見たことがないよな…。

しかし私は実はアラン・ドロンがとても嫌いなのだ。
ただ単純に、顔が好みでないからというだけ。
だからアラン・ドロンとヘルムート・バーガーが
似てるとは全然思わない。

だけど、「地獄に堕ちた勇者ども」で、
カットによっては、あれ?アラン・ドロン? 
と思わせるようなところが確かにあるんだな。
だからヴィスコンティにしてみたら、どちらも同じ系統の、
要するに好みのタイプ、だったんだろう。

ドロンの映画は見てる。
結構いい映画に出てるからね。
「太陽がいっぱい」「冒険者たち」とか
「サムライ」「さらば友よ」なんか。

けど「山猫」の3時間はキツイな。
あの映画はヴィスコンティがドロンの正装を撮りたかっただけ、
と思ってる。

バーガーの4時間なら耐えられるが、
ドロンの3時間は耐えられないな。私には。
ドロン、嫌いだからなあ。

いくらヴィスコンティでも、
あまり見たくないというのもあるのだ。

テレビで「熊座の淡き星影」というモノクロ作品を放送していて、
全編見たことがあるのだが、これもキツかった。
全然覚えてない。
まるで頭に入って来なかった。
カルディナーレはこちらの方が野性的でよかったんだけどね、
何せストーリーが全部目からすり抜けてしまう。
なんも分からなかった。

これを詳細に分析しているブログがあるんだが、
そんな映画だったのかとびっくりするばかりだ。

ヴィスコンティといっても、
必ずしも私にフィットする映画ばかりではないんだな。
無理やり見ても面白くない。

だから私にはやっぱりドイツ3部作以降、
ということになるのかな。

というわけで「山猫」。
一応ヴィスコンティの代表作だからな。
見ておいた方が良いのかなあ。
悩ましいな。

ああ、「若者のすべて」のドロンはいいと思うよ。
あれはどう見ても、誰が見ても、
どんなにドロンが嫌いでもドロンを好きになってしまう。
そういう作り方をしている。
そういうところがヴィスコンティのうまさだなあ。




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ビートルズ来日50周年

2016年06月26日 | 音楽
ビートルズ来日50周年だそうで…。

どおりで何だかテレビが毎日のように
ビートルズの特集をしているなあと。
(「ハード・デイズ・ナイト」を録画し損ねたのが悲しい)
今年は何周年というのが多いなあ。

でもビートルズ結成50周年とか、
日本デビュー50周年とかではこんな騒いでなかったよなあ、
確か。
それだけ来日した、
ということは(日本人にとって)すごいことだったんだろう。

以下、誰でも知っているかもしれないことを書き連ねてみる。


リアルタイムでは、私はもう生きていたが、
ぼんやりとしか覚えてない。
確かテレビでコンサートを中継していたような気が…。

ただ「ミスター・ムーンライト」をバックに
高速を走る車の映像は強烈に覚えている。
イントロなしで突然始まる
「ミスター・ムーンライト」にかぶさるモノクロの。

ビートルズが来日したのは1966年6月。

その頃ビートルズはリボルバーを録音中で、
日本公演の時、日本の警察官が
全員リボルバー銃を持っていたのが印象的だったので、
アルバム・タイトルにしたとか。

「リボルバー」は好評で、明らかにビートルズが変わろうと
している時期だった。

67年、
ビートルズはすべてのライブをこれからは行わない、
と宣言してライブ活動をやめた。
だから66年の来日公演は、
ビートルズの後期のコンサート、
コンサート活動を中止する直前くらいのものだった。

私の少し年の離れた姉が、
年の離れた姉が(とここを強調する)、
ちょうどビートルズと丸かぶり世代で、
彼女はビートルズのファンではなかったが、
(でもジョージのファンだと言っていた)
それでもラジオで彼らの曲をよく聞いていた。
だから私も姉のそばで彼らの曲を聞いて、
それで子供のころから
ビートルズは知っていたのだった。

その姉が、ビートルズの来日公演は、
彼らがライブ活動を休止することになる、
ほんの寸前のころのことで、
貴重だったんだよと言っていた。

ビートルズの演奏時間は40分。
たった40分だった。
これはどの場所、どの国でもそうだった。
今なら暴動でも起こりそうな短さだ。

だけど、ビートルズにおいてはそれが普通だった。
いつも40分で確か11曲、それでおしまいだった。
武道館では前座にドリフターズが出ていたことは有名。


彼らの歌は観客の歓声にかき消されてよく聞こえなかった、
という話も聞いたことがある。
当時はPAが今ほど発達してなくて、
あまりよい精度ではなかったのかもしれない。

厳戒態勢が敷かれ、
ビートルズ自身もホテルの部屋から出られなかった。
どこへ行ってもホテルとコンサート会場の往復だけ、
これもビートルズがライブをやめた一因だったんだろう。

ポールが脱出を試みたが、失敗し、
すぐにホテルへ帰された。
主催者側は、ビートルズが退屈するだろうからと、
商売女を用意していたという話も聞いた。

ビートルズたちは手を出さなかったという。
ブライアン・エプスタインがいたからだろう。

そうだ、あの頃はまだエプスタインがいた。
ビートルズと一緒について来て、
当たり前だが来日してたのだ。

ニュース映像に、
控えめに笑顔で写っているエプスタインを
見たのを確か覚えている…。

あの時、ホテルでビートルズを取材した人たち…、
浅井慎平とか、
彼らはエプスタインに会っているんだよな…。


エプスタインのこととなると少し感傷的になる。
ちょっと、涙が出そうになる。

彼もホモだったな。
でも彼がビートルズを作った。

リーゼントだった彼らをマッシュルーム・カットにし、
英国らしいお揃いの仕立ての良いコスチュームを用意し、
礼儀正しくお辞儀をさせた。

当時、男性の長髪なんて、あり得なかった。
マッシュルームカットは、
長髪とも言えないようなものだったが、
当時男性があんなヘアスタイルをするなんて、
まったくあり得なかった。

ゲイだからこそ、ああいうのを思いついたんだろう。
ゲイの人はそういうセンスにとても秀でている。
だから私はゲイの人のセンスにはいつも敬服している。


英国がEUを離脱した。
私には全然関連のない話なんだけれど、
ポールはどっちに入れたんだろう、なんてすぐに思った。
ジミー・ペイジはどうしたかな、とか。

ビートルズが来日して半世紀。
あっという間だったじゃんか。
英国はどうなるんだろう。

彼らのふるさと、グレート・ブリテン。
やっぱりだから気になるじゃないか。
その国の行方が。




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長刀鉾に若冲

2016年06月24日 | 祇園祭
この前菊水鉾の胴掛け新調の話題をしたら、
弩級のニュースが入って来た。

長刀鉾の見送りに伊藤若冲の「旭日鳳凰図」を新調したと。

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160623000064

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160623000064/1
写真を転載してはいかんそうなのでリンクで見てください。

長刀鉾、いきなり攻めて来たな、という感じだ。

今まで長刀鉾といえば
お稚児さんばかりがクローズアップされて、
懸想品に関してはあまりやいやい言われていなかったが、
今まで見送りに使われてきたのは、
中国製の龍が真正面を向いた絵柄のもの
(江戸・天保年間のものの復元品だったらしい)
で固定されていたはず。

それがいきなり若冲の見送りとは。

記事にある通り、長刀鉾保存会の発足50年記念と、
若冲生誕300年記念というので作ったという。
制作は例によって川島セルコン。
3年がかりで作ったというから、
3年前から企画していたわけか。
そういうことは作る際にひとこと言ってほしいよね。
びっくりするから。


この旭日鳳凰は宮内庁三の丸所蔵が原画というから、
やはり動植綵絵の一つから取ったものだろう。

若冲「鳳凰」が京都を舞う、と言うタイトルになってるが、
見送りというのは上を固定させてるだけで、
ぶら下がっているだけなので、
巡行の時はゆらゆらと揺れるものだ。
だから舞う、
というのはあながちオーバーな表現ではないのだよ。


これまで各山鉾の見送りや懸想品は、
わりと現代作家のものが多かった。
梅原龍三郎、加山又造、竹内栖鳳、平山郁夫、
などなどの原画。

それから上村松篁、
上村淳之親子の胴掛け競演は霰天神山だそうだ。
京都ゆかりの日本画家が多いね。

この親子競演を見られるのは眼福だな。

山口華楊原画の前・後ろ(見送り)は芦刈山。
覚えられん、テキスト見ながらだ。




この山口華楊の「凝視」というライオンの絵は、
いつまで経っても慣れることが出来ず、
なぜ山鉾にこんなものが?という違和感がいつもつきまとっていた。
見送りの「鶴」もしかり。


山口華楊という画家を良く知らなかったせいでもあるだろう。
いつも違和感を感じつつ巡行を見ていたのだが、
こういうのも含めてしまうのが祇園祭ということなんだろう。


若冲を山鉾に使うのは今回が初めてということだが、
それはそうだろう。
私も聞いたことがない。
祇園祭に若冲、という発想がなかった。
だから今回は虚を突かれたという感じだ。


同時代の円山応挙は祇園祭に関係も深く、
月鉾の屋根の裏の草花図が有名だが、
保昌山の胴掛けの原画なども担当している。
原画は屏風として仕立てられ、
宵山飾りで会所で公開されている。
(題材が中国風のものなので、あまり応挙らしくはないが)


応挙はこのように祇園祭にかかわっていたが、
若冲が祇園祭に関わったことは一切ない。
だけど、記事にもある通り、
「ご近所さん」だったから、
祇園祭見物に行ったことは絶対あるはず。

若冲の住んでいた錦通りは四条通のすぐ北、
当時、山鉾の巡行は
今のルートとは違うコースを取っていたが、
高倉は通っていたはず。
だから歩いてすぐ見に行けたのだから、
必ず見ていたと私は思う。
純京都人の若冲なんだから、当然見ていたと思う。


で、今は復元新調されて
会所飾りでしか見られなくなっているベルギー製のタペストリー、
重要文化財に指定されている鯉山のとか、
函谷鉾のとか、鶏鉾のとか。
あれらは1700年代に日本に来ていたらしいから、
若冲もあれらを見ていたはず。

私も鶏鉾が本物の重文のタペストリーを
ひらひらさせながら巡行しているのを、
一度だけ見たことがあるが、
…あれが最後の本物の巡行だったかもしれない…、

若冲がああいうのを見てどう思っていたのか、
それが興味ある。
西洋の、想像もつかない服装や、風物の数々。
画面隅々まで、ごてごてと隙間なく埋め尽くす画風。

それらを見て、
若冲の絵に影響がなくはなかったのでもないかなと、
私は想像の翼を広げて思ったりもするわけだ。

若冲の旭日鳳凰図は、祇園祭の巡行で、
どのように写るだろうか。
わりとすんなり普通に溶け込むだろうと思うんだな。

山鉾の懸想品は、基本色が赤。ど派手、鳳凰の図も、
中国製のすごくごてごてしたものが既にある。
だから、若冲といっても、
きっと何気なく通って行くんだろうなと、
そんな風に思っている。




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菊水鉾と皆川泰蔵

2016年06月23日 | 祇園祭
この時期、
やはり祇園祭関係のニュースが多くなって来る。

大船鉾の龍頭が制作されたとか
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160618000062

これに金箔を貼って、完成するのは2年ほど先だそうだが、
今年の巡行に使うという。
220キロもあるというが、鉾が傾いたりしないのか。
こうやって何年もかけて鉾を完成させていくのだという。
何年がかり、というのが大がかりだな。

菊水鉾の後掛けが新しくなったそうだ。
布袋の模様だという。

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160613000123

製作は川島セルコン。
祇園祭の懸想品関係では必ずここの名前が出て来る。
4面完成したそうなので今年から巡行に使うのだろう。

私は菊水鉾の胴掛けが好きで、
あれは麒麟と獅子の模様だった。
宵山期間中、菊水鉾の前を通っては、
これはいい胴掛けだよなと、
毎年菊水の胴掛けを見るのを楽しみにしていた。

テレビ中継では後ろになる獅子が見られないので、
あれが見られるのは宵山期間中だけだったし。

あの胴掛けがもう飾られなくなるのか。
残念だ。好きだったのに。
す・き・だったのになー。
古いのは会所で飾られることになるんだろうか。

前掛けの鯉はまだ掛けるんだろうな。
あれこそは菊水鉾の菊水鉾たるシンボルだ。
あれがなくなったら私は悲しい。


この前祇園祭について書いた時、
皆川月華の名を出したが、
月華氏の息子(娘婿らしいが)皆川泰蔵の名前も、
祇園祭においては外すことが出来ない。

http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28329.html

とてもエキゾチックな絵柄を描く人で、
そんな絵柄が祇園祭の懸想品に使われていることを
初めて知った時はとても驚いた。

私は放下鉾の見送りが大好きで、
皆川泰造氏の「バクダッド」という。

函谷鉾の見送りなどは複数あって、
今年はどの見送りを使って来るだろうか、
という楽しみがあるが、
放下鉾の見送りは、バクダッドで固定だ。

だが、このバクダッドを見たくて、一年に一度、
放下鉾の会所へ行っては、この見送りを見ていた。



バクダッドのモスクの前にフクロウが飛んでいるという
大胆な構図で、ろーけつ染の作品。
泰蔵氏の作品はいつもこんな風な大胆でエキゾチックな作風だ。

さんざん放下鉾の巡行を(新町で)見て、
稚児人形三光丸の動いている所も写真に撮ったのに、
画像は全部前のPCの中。
なんでアップしとかなかったんかー。


ほかにも
船鉾が向こうの通りから舳先の顔を出す瞬間をとらえた写真とか、
すごいかっこいい写真も撮ってたのに…。

全部前のパソに入ったまま…。
全部無駄になったんかい(涙)。
何とか新しいパソに移せんのかのう。


それはともかく、
泰蔵氏の作品としてはほかにモンサンミッシェル
(函谷鉾の前掛け)、
エジプト天空図(函谷鉾の見送り)など




みな好きなんだが、函谷鉾では前掛けは
重文のタペストリーの複製をかけることが多く、
モンサンミッシェルは巡行している所はあまり見られない。

エジプト天空図もしかり。
これが巡行で見られたらなかなかレアですぜ。


しかし、泰蔵氏が亡くなった年の祇園祭では、
氏の祇園祭への貢献に敬意を表して、
泰蔵氏の作品を所持している山鉾は、
いっせいに彼の作品を掲げて巡行し、
泰蔵氏へその思いを捧げた。

祇園祭の歴史の中でも感動的な一幕だった。




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