伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ドリーム・オン・アイス

2007年07月23日 | フィギュアスケート2010以前
夏場になると、私はフィギュアスケートのことを
すっかりまったく忘れ去ってしまうのだが、
今年はなぜか真夏にスケートのテレビ放送があった。

関西では7月21日の土曜日の夕方に
何となく地味に放送された
(「ドリーム・オン・アイス」というタイトルだったと思う)。
関東ではもっと早く放送されたらしい。
当日、新聞のテレビ欄で初めて放送を知った。
スケートにはまったく興味をなくしていたのでびっくりした。
でもとりあえず録画した。


関西テレビ、8チャンネルで関東でいえばフジテレビ、
だからあの塩原氏の声が聞こえて来た時にはまたこいつか、
と一瞬絶望の淵に沈み込んだ。

ああ、またあの冬場の苦痛が甦る。
懐かしくさえあるあの苦痛。
フジテレビは成長とか、
研究とか精進とかいう言葉を知らないようだ。
去年とまったく同じ構成で同じメンバーのゲストで、
もう飽きたわ。
テーマソングまで同じだよ。


ただ、この番組が貴重なのは
ひとえにデンコワ・スタビスキーが見られたことで、
特にスタビスキーの膨張ぶりがこの目で確められたことだ。

忘れもしない世界選手権のエキシのテレビ放送。

その時私の家では偶然に一家が勢ぞろいしていて、
私の姉や姪が皆してエキシを見ていた。
そしてデンコワ・スタビスキーがテレビ画面に登場するや、
茶の間は阿鼻叫喚と化し、怒号が飛び交ったのだった。

ブタ、デブ、なんやあの趣味悪い服、信じられん、ガハハ!

と、考えられる限りの侮蔑と非難と嘲りの嵐だった。
ファンである以上、"いや、彼らは滑りがとても素晴らしく…"、
と弁護に努めようとしたが、それ以上は出来なかった。
私も同じように思ったからだ。
スタビスキー、ブタすぎ。


そしてスタビスキーはあの時よりさらにデブになっていた。
けれど、驚いたのはデブぶりだけではない。
あれほどデブりながら、ステップやエッジワークの見事さ美しさ。
あんなに動けるデブを私は知らない。
私はあのプログラム「リベルタンゴ」を初めて見たのだ(と思う)。
いつかのシーズンのオリジナルダンスのナンバーだ。
これでスタビスキーがスマートだったらどんなに凄いだろうか。
お願いだからもう少し痩せてくれ。
恋人のデンコワは何も言わないのか。
あれで良いのか。諦めてるのか。

デンコワさんよ、あんただけが頼りだ。
ほんとにあれでいいのか。あのままでいいと思ってるのか。

それほどリベルタンゴに夢中になった。
ひどいカメラワークだったが、にも関わらず、
その素晴らしさは伝わって来た。

ああ、
久しぶりにアイスダンスらしいアイスダンスを見たような気がする。
ステップやエッジ使いの見事なテクニックと、
豊かな感情表現が両方ブレンドされ満たされている。

私が見たかったアイスダンスとはこういうものだ。
彼らがなぜ、
トリノでメダルに届かなかったのかが未だに分からない。
なぜ、ナフカ・カスタマロフが
あれほど長い間タイトルを保持出来たのか、
どうしても分からない。

どう考えても、
身体の芯が熱くなって来るようなあの演技が、
ナフカの味気ないダンスに劣っているとされる訳が分からない。
うむ、久しぶりに毒を吐きたくなった。
当分、リベルタンゴに浸るぜ。



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祇園祭のテレビ中継

2007年07月18日 | 祇園祭
祇園祭が終わり、
テレビのVTRで巡行を見ているが、去年の中継はひどかった。

お稚児さんの稚児舞の真っ最中でカメラが切り替わるわ、
辻回しの最中でへんな女アナのレポートが入って台無しになるわ、
くじ改めの所での綾傘鉾の棒振り踊りが、
人が邪魔して全然見えないわ、
…まあ豪雨の中での中継だったから、
カメラ位置も大変だったのだろう。

それに比べれば今年の中継はよほどマシで、
良かった良かった。
稚児舞もたっぷり、辻回しも丁寧に、
くじ改めも最後の後ずさりまでちゃんと写していた。


ただ、去年良かったのはゲストの榎木孝明で、
彼は水彩を嗜んでいるとかで
鉾の絵を描きながら巡行を見ていたのだが、
まず第一声が、巡行が始まる前、
四条通の信号機が折りたたまれるのを見て、
「これって祭りありきの町づくりですよね。こ
んな町、ほかにないですよね」
と感心していた。

そのあとも、
鉾は巡行を終えるとしばらくあのまま飾ってあるのか、
それともすぐに片付けられるのかと聞いたり、
鉾一基で値段がいくらするのかと聞いたり、
なかなかツボをついた質問をしていて、こちらが感心した。
そのせいか、今年も当番して今回は32基の山鉾全部を描いた。

もう一人のゲスト池坊ゆきは意外と大人しくて、
あまり喋らないのが良かった。
いつぞやのゲストはべらべら喋りすぎて
テレビ画面の鉾巡行とまったく噛み合わず、
いらいらさせられたものだ。
それに比べれば、よほど素晴らしい。

こういう中継の時はあまり喋らないのが一番なのだと思った。
でも、まったく喋らないのも良くない。
鉾の後ろを飾る「見送り」は全てを紹介して欲しかった。

私の好きな放下鉾の「見送り」は
皆川泰蔵氏の「バクダッド」なのだが完全スルー…。
悲しかった。
鶏鉾や鯉山の見送りについてもひとことくらい触れてくれ…
とやきもきした。
でもこんな文句は贅沢というものだろう。


あと、平野とかいう女性アナが
場の空気が読めないのが気になったところだ。
いい所で無遠慮にレポートを挟み、
質問の意味も理解出来ない。


私はKBS京都での放送を見ているのだが、
山鉾巡行はこのKBSとBSフジ、
スカイパーフェクTVの京都チャンネルでそれぞれ放送がある。
BSフジは11時まで、KBS京都は12時まで、
京都チャンネルが一番長く、
12時半まで放送する(開始はそれぞれ8時半から)。
京都チャンネルでは、
KBSでは放送されない新町通の巡行のようすが放送されるらしい。

どうしてだ!
KBSはなぜ30分少ないのだ。
30分少ないのに、
その分放送する別の番組はどうでもいいつまらない番組なんだぜ。
そんなの放送するくらいなら、
もう30分写してくれたって良いじゃないか。
という魂の叫びを私は叫びたいのであった。



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菓子ひなみ

2007年07月10日 | 本・書評


京都新聞に2006年1月1日から12月31日まで、
毎日朝の新聞の第一面の小さなコラムに連載された
「菓子ひなみ」。
それが単行本となって発売されたのがこれ。

なんと驚くべきことに京都新聞には出版部があって、
その京都新聞出版センターから出版された。
単行本化に際しては、新聞休刊日分も補充してある。
文字通り、365日分のお菓子が網羅されている。


帯がリバーシブルになるという、
粋なのか無駄なのか良く分からない仕掛けつき。
ひなみとは日次と書き、まあ日ごとというような意味なのだろう。
連載の時初めて知った言葉だが、よい日本語だと思った。


これが新聞紙上に連載されている時には、
新聞を読むのが格別に楽しみだった。
食い意地の張っている私にぴったりのコラムだ。
毎日が雲に昇るような気分であった。

それが一冊の本になったのだからこの私が買わいでか。
この連載を楽しみにしていたのは私だけではなく、
多くの京都人民がそうであったようで、
単行本のリクエストも多かったと聞く。
当然の成り行きであろう。


京都だけでなく、
滋賀県のお菓子屋さんのお菓子も掲載されている。
当然、すべて和菓子で統一されているが、
しかしこの連載の特徴は、
和菓子といってもジャンクフードも当然のように含められている点。

つまり、河道屋の蕎麦ぼうるや、飴やおせんべいやカステイラ、
こんぺいとうや八つ橋や甘納豆やところてん、
ふたば屋の豆餅まで掲載されているのだ。
なんと楽しい。
と思うのは私ばかりではないだろうと確信する。


京都の和菓子といえばお上品なお茶席に出て来る、
お上品な、見ためはたいそう美しいが、
美味しいんだか不味いんだか良く分からないお茶菓子を連想するが、
そういうのだけではなく、
とても庶民的なところがさすが京都新聞。
嬉しいではありませんか。


そして、当然のように6月30日には水無月の紹介、
5月5日にはちまきという風にその日に食べる定番お菓子。
五色豆もあればあじゃり餅も。松風もかま風呂も調布も。
昔食べた、贈答品でもらって食べたあのお菓子の数々。

鍵善のくずきり、美玉屋さんの黒みつだんご、
加茂みたらし茶屋のみたらし団子、
幽霊子育て飴というように、お店限定のお菓子も。
ほうらほうら、涎が出て来たでしょう。

この前にみかさについて書いた薀蓄も、
この本からの引用でありました。

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも」

阿倍仲麻呂が中国で故郷を思いながら詠んだ歌、とある。

この本の最大の欠点は、
いくらお菓子の写真をじろじろ見ても、実物を食べられないことだ。
終いにはヒステリーを起してページを引きちぎり、
それを口に入れてむしゃむしゃ食べてしまいそうだ。



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みかさ

2007年07月08日 | スイーツ
スーパーのお菓子売り場へ行くと
「どら焼き」を売っていることがある。
割りに頻繁に売っているようだ。

私はお菓子が大好きで、好きではあるけれど、
高級な和菓子屋さんとか、
お上品なお菓子屋さんなどには全然行かなくて、
全然行く気もない。

とにかくスーパーのお菓子売り場が好きなのであって、
スーパーのお菓子売り場を楽しみにしているのだ。


そこでどら焼であるが、
私はこの「どら焼き」というネーミングを見るたびに、
心の中で「それはどら焼きちゃうわ!みかさ言うんや!」と叫んでいる。

私のうすい記憶とうすい知識の中では
「みかさ」として認識して来た食べ物が、どら焼きとして売られている。
これは許すべきことなのだろうか。

小さい、幼少の、
幼い頃からそれをみかさと教えてもらい、
そのように呼び習わして来た。
奈良へ行った時に、
奈良の数少ないアーケード街で売っている土産物は
「ざぶとんみかさ」である。
このことから京都及び奈良では、
少なくともこれがみかさと呼ばれていることは、論を待たない。

円形のふわふわの二枚の生地の間につぶ餡のアンコが入っている食物は
みかさ以外には考えられない。

みかさは三笠と書く。つい最近知った。
なんと美しげな、風流なネーミングであろうか。

それを「どら焼き」などと言う下品な、下劣な、下司な、
いかにも下賎な言い回しをするとは、
一体どこからこういうことが京都に流入して来たのだろう。

私はどら焼きなどというお下劣な食べ物を一切認めようとは思わない。
おおかた大阪あたりで使われていた名前が
京都にまで輸入されたのだろう。
嘆かわしいことだ。

しかし一方で、みかさとどら焼きは本当に同じものなのか。
違いはないのかという疑問も溢れて来る。

感覚としてはお高い和菓子屋で売られているのが三笠、
スーパーで売られているのがどら焼き、
というカテゴリー分けも考えられる。

使われている材料は同じなのだろうか。製法は?

私は誘惑に負け、
ネーミングには目を瞑って味覚だけを買っているのだと言い訳をして
どら焼きを買って食べたが、
かつて食べたみかさと変わらないような気がした。

でも私の舌のことなので当てにならない。

謎は深まるばかりである。
しかし、もし同じものだというのであれば、
どら焼きという名前は許せない。




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祇園祭が始まった

2007年07月04日 | 祇園祭
7月に入り、いよいよ祇園祭が始まった。
なんだかんだ言っても7月になると
スケジュール通りに次々に事が進んでゆく。

西陣出身の入江敦彦だったかは祇園祭をほとんどスルーで、
やすらい祭の方が自分にとっての祭、
というようなボケたことを言っているが、
私が思うに、祇園祭のエリアから離れているための単なる嫉妬、
であろう。

遠くで騒いでる、参加出来ない悔しさ。
京都はワンブロック違うだけでもうカヤの外、
という部分があるから(エリアが狭いから)それも仕方がないのだが、
正直にジェラシーだと言ってしまいなさい。
気が楽だから。

いやいや京都の人はこういう超有名な催しは、
有名だからという理由で関心がない場合が多いからな…。


と、限りなくイケズな発言をした所で、去年の祇園祭は大変だった。
歴史に残る大豪雨の中での巡行。
山鉾がずぶ濡れになって大変なことになったという。

問題なのは、
祇園祭が観光客のためのイベントになってしまったから、だろう。
これは大文字の送り火でも同じだ。

もともと京都庶民のための神事だったり仏事だったりしたものが、
客寄せのために大掛かりになり、お金を取るようになり、
どんどん見世物になって行った。
それにつれて、一般庶民には手の届かない、
或いは本質を忘れた観光事業に成り下がってしまった。

けれどもどれだけ本質が変わろうと、
それに携わる方々の努力と情熱だけは変わらないと思う。
それだけは、肝に銘じておかなければならないのではなかろうか。

鉾町の人々のお祭りに対する熱意や熱気や期待や、
そういったものに触れると、
観光事業に成り下がったと言って批判するのは
あまりにも酷なような気がするのだけれども。

特に祇園祭はものすごくお金がかかり、維持費が半端でないらしい。
鉾の四方を飾る懸装品は織物一枚だけで数千万円するという。

だから、近頃下火になっている室町の鉾町だけでは祭を維持出来なくて、
企業などの協賛も必要だし観光客からのお金も必要になる。

そのために、神事という形がどんどん変えられて行った。

祇園祭は、昔は先と後と巡行が二度あって、それが統合された。
それも観光客のためだった。
御池通に有料席を設けるために、御池を通ることにした。
見世物、と言われても仕方がないだろう。

けれども、誰が、何のためにこうして祇園祭を続けるのだろう。

鉾町の人は、
これまで(千年以上、室町時代に今の形になってからでも五百年以上)
これだけ続いて来たのだから、
次代に継承してゆくのが自分たちの役目、と言っている。

祇園祭は現在の我々のためだけのものではない。
現在の我々はこれを未来へ継承してゆく義務があると言う。
我々はその未来へ橋渡しをする役なのだ云々。
京都人らしく、目が時間軸を向いている。
歴史の中の自分、という視点である。

こういう意見を聞くと、軽く、
あれは観光客目当てだから、
と言ってのける人は鬼じゃないかと思うのだ。

どんな形になったとしても、
次に伝えてゆきたいという人たちの思いをないがしろにしたくないものだ。




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