伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

映画 東京物語

2023年12月13日 | 映画



2023年、今年は小津安二郎の生誕120周年で、
没後60年だったそうだ。
新聞でもテレビでもたびたび特集を組まれていたのはそのせいだった。
12月12日の誕生日にはNHK BSで「東京物語」の放送があった。


小津の映画は今まで見たことがなかった。
チャンスがなかった。

が、もちろん小津の評判は知っていたし、
世界中の映画人がリスペクトをしていることも、
今でも世界中で小津の映画が公開されていることも知っていた。
一度はしっかりと心して小津映画を見たいとも思っていた。

「東京物語」は世界の映画ベストワンになったこともある。
ちょうどNHKで放送されたので、念願の小津映画を見ることが出来た。
初めて見る小津映画である。
感想を書こうと思うが、小津安二郎に関しては素人なので、
かなり的外れなものかもしれないが・・。




「東京物語」は1953年の作品で戦後まもなく制作された。
モノクロだし、退屈だろうかと思っていたが、
そんなことはなく、どんどん物語が進んで行き、
最後まで一気に見ることが出来た。
家族に関する普遍的な問題を扱っているからだろう。


小津映画といえばローアングルと家族のテーマが有名だ。
「東京物語」もその典型だ。


まず昭和の中ほどの風俗が懐かしいというか。
女性の着ている衣服までが昭和初期のもので、
今見るとエレガントだったり、
(フレンチスリーブに長めのフレアースカートが素敵)
瓦屋根が連なる尾道の風景も昭和を反映していて、
今見ると、今はもう見られない風景かもしれないと思うと、
昭和の時代は良かったと思ったり。

会話も魔法瓶だの、汽車だの昭和の言葉が出て来て、
時代を感じさせる。
女性の服装も、寝る時は寝間着(着物)だったり。
念入りに結われた髪型も時代を反映していた。
制作された時はそれらが普通の情景だったのだろうが、
今となっては昭和中期の風俗描写として貴重なものになってると思った。

ローアングルの画面作りはモンドリアンの絵画のようで、
静謐さを演出していた。


小津は原節子を気に入っていたと思う。
「東京物語」でも唯一良心のある人物を演じていた。

尾道に住む老夫婦が思い立って東京に住む息子や娘に会いに行く。
が、それぞれが独立して自分の生活がある。
小児科医の長男、美容室を経営する長女は忙しくしていて、
両親にかまう暇がない。
戦死した次男のお嫁さんである原節子が老夫婦を厭わず面倒を見る。
しかし・・・
これはどこの家庭でも起こる問題でもある。

子どもが大きくなり、自分の家庭を持ち
そうすると親より自身の家庭や仕事の方が大事になってしまう。
そうした誰もが抱える家族の問題を描いているから、
支持者というか小津ファン?も多いのだろう。


老母の葬儀の場面で、長女が大泣きしたかと思うと、
すぐに母の形見が欲しい、とか、
こう言っては何だけど、と言いつつ、
お父さんの方が先に亡くなった方が良かった、だの言う。
この長女、杉村春子の演技も良いが、
現実主義的というか、ずいぶん薄情なと感じるが、
親の葬儀ではこのような会話はいつの時代でもつきものだ。
死を嘆きつつ、現実の段取りも同時に考える。

こうした身内のいやらしさを生々しく冷徹に描いているからこそ、
この作品が今に通ずる、決して古びない映画である所以だろう。

老父(笠智衆)は次男の未亡人の嫁、原節子の優しさに触れ、
救われる設定で、そこに理想主義的な明るさも見出せる。


老夫婦が東京から尾道に帰って来た時の会話が印象的だった。
「(私たちは)幸せなほうでしたよ」

次男が戦死するという不幸はあったものの、
おおむねよい人生だった、と。
そうした小市民的な幸福、
それは誰もが持ちたいものかもしれないし、
誰もが持っているものでもある。
結局そこに行きつくのだと。

裕福ではなく、仕事をし、働き、そして老いてゆく。
子は自分の思うようには行動してくれない。
家庭に不満はあるが、それでも人生はおおむねそうしたものであると。

極めて日本的で、
日本人にしか理解できない感覚かと思われたこの作品が、
日本国内のみでなく、世界中で受け入れられるようになったのは、
ひとつの家族の問題を描いているものの、
それがしかし誰もが思い当たる、誰もが経験する、
普遍的なテーマであるからだろう。


この作品は小津が48歳の時の作品だそうである。
48歳にしてこれほど家庭の機敏、
様々な年代のキャラクターを描ききれることを脅威に思った。

家族のありよう、庶民の思いや心情、
それは昭和であれ、平成であれ令和であれ、違いはなくて、
根本には変わらないものであって、
だからこそ小津安二郎映画はこれからも世界中で見られ、
評価されてゆくだろう。




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ビートルズ・Get Back

2023年10月03日 | 映画
ディズニープラスで「ビートルズ/ゲットバック」が配信されている。
ついそれを最近知って、ちょっとずつ見ている。

全部見れば8時間くらい(!)の長さのあるドキュメンタリーである。
噂になっていて気になっていたが、
ディズニープラスで見られることをやっと知って、
それで喜んで見ることにした。
でもパート1だけで2時間以上あり、
ちょっとずつしか見られない。
8時間分、全部は見ていないので、見た分だけの感想を書いてみる。




「ザ・ビートルズGet Back」は誰もが知っている通り、
1970年に公開された映画、「ビートルズ/レット・イット・ビー」の
ロングバージョンというべきものだ。

映画、「ビートルズ/レット・イット・ビー」は
マイケル・リンゼイ・ホッグという人が監督で、
アルバム「レット・イット・ビー」制作のため
スタジオにこもって楽曲を演奏・セッションし、
録音しているビートルズのありのままを描いたドキュメンタリーだった。

解散寸前のビートルズのぎくしゃくした関係性や、
不気味なオノヨーコの存在など、
いろいろ複雑な気持ちになる映画だった。


これも衆知のとおり、
ビートルズが最後に録音したアルバムは「アビーロード」で、
レコードの発売は「レット・イット・ビー」が最後だった。
つまり「レット・イット・ビー」は「アビーロード」より前に録音された。
映画「レット・イット・ビー」では、
「アビーロード」の楽曲を練習している所も出て来るので
この説が確定した。

もともと「レット・イット・ビー」はゲットバックセッションとして計画され、
1ヶ月にわたりセッションをして作曲して、アルバムを作る。
と同時にライブ(演奏)が
テレビの特番として放送される予定だったという。


映画「レット・イット・ビー」はドキュメンタリーなので、
筋はなく、始めから終いまでセッションしているビートルズを
そのまま撮影した(そして編集した)だけのものだ。
それだけで映画になってしまう。
そのころのビートルズはすでにそれくらいの存在になっていた。
ビートルズの映画が公開されると聞くと、
世界中がその話題で持ち切りになるといったふうな…。

演奏活動を辞めてしまい、
滅多に聴衆の前に出なくなったビートルズの姿が
久しぶりに見られるというので、
ファンはワクワクして沸き立った感があった。
けれども、ビートルズの良くない噂(仲が悪い、
解散するのではないか、など)も流れて来たころでもあった。
みんなはそれを確かめに映画館へ走った、
という感じだったのではなかったかな。

でも多くの人はビートルズの「今」が見られるというだけで、
ビートルズのセッションの様子が見られるというだけで、
ありがたく映画を見ていたと思う。
ジョンがそこいるというだけで、ポールが歌っているだけで、
彼らが演奏をしているというだけで、それが見られてありがたい、
という状況だった。


ただ映画「レット・イット・ビー」は1時間半ほどに編集されたもので、
アルバム「レット・イット・ビー」には収録されなかった曲も演奏したり、
貴重なドキュメントではあったものの、
かなりはしょってあり、すべてを記録したものではなかった。

58時間分の映像があったというから、
1時間半では収まり切らないのも当然だった。


近年、そのゲットバックセッションの時に撮影されたフィルムを
蔵出ししようという試みが50年の時を経て現実化したようだ。

そこで58時間あったフィルムを8時間に編集して公開したのが、
今回の「ビートルズ Get Back」ということのようだ。
監督は「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン。

「レット・イット・ビー」では不穏な雰囲気も漂っていたが、
それだけではなく、演奏家としてのビートルズの卓越した部分も、
屋上ライブで見て取れた。


今回、新たに編集されて公開された「ビートルズ ゲットバック」は、
その彼らのセッションや練習の中から曲が生まれる過程を
丁寧に描いていて、ビートルズがいかに優れた音楽家であるか、
演奏家であるか、いかに優れた作曲能力があるかを
余すことなく描き切っている。




↓予告編

「ザ・ビートルズ:Get Back」|予告編
|Disney+ (ディズニープラス)
ディズニープラス
https://youtu.be/xYv2CHasyJM?si=6gTfk6J13UqfuuEG



↓ディズニープラス 配信期間なら何度でも
https://www.disneyplus.com/ja-jp/home



冬の寒い時期だったようで、
メンバー全員が毛皮の高価そうなコートを着ているのが、
いかにも金持ちらしい。
彼らはこの時まだ20代だったはず。
一番若いジョージは26歳くらいだったはずだ。




空気は必ずしも良くなくて、やはりピリピリした緊張感が漂っている。
ポールが主導しているが、それにメンバーが不満を持っていたり、
やる気がなさそうだったり。
ヨーコが何をするでもないのにいつもジョンのすぐ脇にいて不気味だったり。


ただ、それまで冗談や雑談をしていたのが、
いざ誰かが楽器を触り、楽器を弾き始め、歌を歌い出すと、
自然とハモりが始まり、ドラムが合わせ、
即座にセッションが始まる。
それが見事なハモリになっている。

どんなに仲が良くなくても、
いざ音楽になると急に彼らは超一流の演奏と歌とを奏で始める。
ひとりが歌い出すと、自然とギターがそこに加わり、ドラムが加わり、
ハーモニーを重ねる。それが超一流の曲になってしまってる。
まだセッションの段階で、歌詞も決まっていないのに。
さすがにプロの集団だと思う瞬間だ。

そして「ゲットバック」の曲が生まれる瞬間もカメラが捉えている。
まだ歌詞があやふやでポールが考えあぐねている中、
演奏が進んでいく中でだんだん歌詞が作られてゆく。

ビートルズの曲作りが垣間見られる瞬間に立ち会っているという、
とても貴重なドキュメントにもなっている。


-------


現在では映画「レット・イット・ビー」のクライマックスは
ルーフトップコンサートで、
ビートルズがアビーロードスタジオの屋上で演奏するのが
カメラに収められているが、
当初は海外へ行き、そこでライブを行う予定だったらしい。
それを相談する様子も長く撮影されている。

ギリシャかイタリア?の円形劇場を使ってライブをするとか、
客船を借り切って、そこまで船で行くとか、
いろんなアイデアが出る。
しかしジョージとリンゴが海外へは行きたくないと言い、
それならスタジオにセットを作り、そこに客を入れてライブをする、
というアイデアが出される。
実際にライブで使うスタジオセットのデザイン画が
ビートルズのメンバーに渡されたりする。

ルーフトップコンサートに至るまで、
いろんなアイデアが出されたことが分かる。

------------------


新しいアルバム制作に一番熱心というか、
名曲を持って来ていたのがポールだ。

このころのポールの曲は名曲ぞろいで、
「レット・イット・ビー」や「ゲットバック」、
「ロング・アンド・ワインディング・ロード」、
どの曲も完成度が高い。
自然とポールがセッションの主導権を取るようになる。

ギターのコード進行を指図されたり、
ポールがリーダーシップを取るのに嫌気がさしたのか、
とうとうジョージが辞めると言い出す。
ビートルズを脱退すると言って、
セッションスタジオから飛び出してしまう。

ここでパート1が終わる。

あまりにも生々しくて、
ビートルズの楽曲の生まれる場面を体験したという
貴重なドキュメントとなっている。

あとパート3まであるらしいが、焦らずゆっくり見て行こうと思う。
クライマックスはもちろんルーフトップコンサートだと思うので、
それが楽しみ。




↓もう一つディズニープラスから

「ザ・ビートルズ:Get Back」|先行特別映像|
Disney+ (ディズニープラス)
ディズニープラス
https://youtu.be/MlYi6F7604k?si=63-C_8E4QLAKxMj7



ゲットバック、最高だ。



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ジャン=リュック・ゴダール監督、死去

2022年09月14日 | 映画


わあ・・・(T_T)ああ・・・
ジャン=リュック・ゴダール監督が死去。
91歳だったというから、もうそんな年だったのなら仕方ないのか…。
自殺幇助により死去と伝えられたが、
自身の死期を悟ったというなのだろうか・・。


京都新聞
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/879427
映画監督ゴダール氏が死去
「勝手にしやがれ」最後の巨匠

フランス紙リベラシオンによると、スイスで認められている、
死を選んだ人が医師処方の薬物を自ら使用する
「自殺ほう助」により亡くなった。
関係者は「病気ではなく、疲れ切っていた」と説明した。


毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20220913/k00/00m/030/177000c
ジャンリュック・ゴダール氏死去 「勝手にしやがれ」監督 91歳

ロイター編集
https://jp.reuters.com/article/france-people-godard-idJPKBN2QE106?feedType=RSS&feedName=entertainmentNews
仏映画監督ゴダール氏死去、91歳 ヌーベルバーグの旗手

時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022091300915&g=int
巨匠ゴダール監督死去 「ヌーベルバーグ」主導、91歳

【パリ時事】
1950年代末にフランスで始まった映画運動
「ヌーベルバーグ(新しい波)」を主導した
映画界の巨匠ジャンリュック・ゴダール監督が13日、死去した。
91歳だった。仏メディアが伝えた。死因などは不明。

 30年、パリで生まれた。
パリ大学中退後、映画誌の創刊に参加し、
批評家として活動。

ヌーベルバーグの記念碑的作品となった
59年の「勝手にしやがれ」で長編映画デビューし、
「気狂いピエロ」(65年)や「中国女」(67年)
などの代表作を相次いで発表して高い評価を得た。
「カルメンという名の女」(83年)は
ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を獲得した。

 即興的な演出や関連性が薄いシーンをつなぎ合わせる大胆な編集で、
伝統にとらわれない自由さを映画界にもたらした。
商業主義に批判的な立場を取り、
反体制運動「5月革命」が起きた68年には、
故フランソワ・トリュフォー監督ら数人の映画監督と共に
カンヌ国際映画祭の会場に乗り込み、
上映を妨害するなど物議を醸した。

 2014年には自身初の3D映画
「さらば、愛の言葉よ」を制作し、
カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞。
晩年まで意欲的に映画の可能性を追求し続け、
18年の「イメージの本」が遺作となった。

 私生活では、
61年に女優の故アンナ・カリーナさんと結婚したが、4年後に離婚。
再婚した女優の故アンヌ・ビアゼムスキーさんとの生活も長く続かなかった。



ゴダール監督はヌーベルバーグ映画でデビューしたが、
世界的な学生運動の勃興にしたがって、
政治に傾倒してゆき、毛沢東思想にかぶれていった。

映画も、訳の分からないプロパガンダ映画を製作するようになった。

あの頃、ゴダールは学生運動家の神だった。
大学の学生会館でゴダールの「中国女」や「東風」を見たように思う。
全然、意味が分からなかったし、覚えてもいないが、
ゴダールが学生に崇拝されていたことは分かった。

なつかしい・・・。


しかしその政治の時代も
ゴダール史の中の一つのエピソードにすぎなかった。

あの時代以降も映画の可能性を追求した映画監督として
その映画人生を全うしたのだ・・・



ジャン・ポール・ベルモンドが亡くなった時、
「勝手にしやがれ」が追悼放送され、録画した。

ああ…、また「気狂いピエロ」が見たくなった。

「勝手にしやがれ」も「気狂いピエロ」も、
かつてはテレビで放映されていたことがあるのだ。
そのころは衛星放送も有料放送もないので、
もちろん地上波で放送されていた。

思えばよい時代だった・・。

「気狂いピエロ」は映画館の特別上映で見たと思う。
ミュージカルまがいの斬新な手法で、
アンナ・カリーナが突然歌い出し、驚いたことがある。


ゴダール映画のアンナ・カリーナには憧れたことがあった。
アンヌ・ヴィアゼムスキーはアンニュイな雰囲気のある美少女で…
やっぱり憧れていた。

ゴダールは女の趣味も良かった。
今は二人とも鬼籍に入っている・・・。




かつて見ていた映画人たちがどんどん死んでゆく。
時代がどんどん進んでゆくのだもの。
仕方ないよね・・。

世代交代、というか、
年を取れば、次の世代に変ってゆくのが常だから。
それにしても私たちの青春がどんどん・・・
遠のいてゆく・・・
仕方ないよね・・。


-----------



スポニチから知らせがあったので、
またスポプリをやってみた。


スポニチ面担さん
https://twitter.com/Sponichi_Editor/status/1569531114313891841



機械音痴の私みたいな者でもトライしたら出来た。
大きい方がいいのでA3にしてみた。
A4は光沢紙できれいだけど小さい。
A3でも新聞のぺらぺな紙質よりはきれいなので、
これで満足。
とってもカッコいい




今日、届いたキスクラはまた次に─




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「新解釈・三國志」

2022年01月22日 | 映画
1月21日の初弘法の日、京都市内は大雪が降り、
おつかいへ行くにも大雪の中、傘を差し荷物を持ちえらい苦労をした。

こんなに雪が降るとは思っていなかった。
とても寒くて震えていた。

京都は金閣寺、銀閣寺、そして清水寺はもちろんのこと、
南にある初弘法の東寺も雪に覆われていた。
ブルブル・・・。寒い。
もうこんな寒いのは御免だ…しもやけも全然治らないし、
早く冬が終わって欲しい。
(弱音ばかり)


------------

閑話休題


映画好きの人が久しぶりに超駄作を見たと言っていたので、
かえってどんな映画かと興味を持ち、
「三国志」も好きなので「新解釈・三國志」という映画を
テレビ放映していたのを録画して見ることにした。


この映画の監督・福田雄一は札付きの監督だ。
ギャグとかパロディばかり作っている人だと思うが…
以前、4年前に羽生結弦選手に失礼なことを言った人でもある。



「新解釈・三國志」は噂にたがわずひどい映画だった。


笑わそうとしているのだろうが、笑えないのだ。
寒いセリフばかりで…。

「超」「マジ」というような言葉を三国志の英雄たちが使い、
現代的に見せているのかもしれないが、
ひたすらうんざりするだけだった。


有名なエピソード「桃園の誓い」「三顧の礼」などでも
セリフのやりとりが笑うに笑えなくてがっかり。


脚本を書いたのも監督の福田雄一だが、
受けると思って書いているのかもしれないが面白くない。

呂布と董卓との貂蝉をめぐる連環の計も
アイデア倒れで面白くない…。

アクションシーンもあって、そこはよく作られているものの、
セリフのシーンに切り替わると、またげんなりした…。

要するに笑いが独りよがりだからだろう。
自己満足の笑いだからだと思う。


クライマックスの「赤壁の戦い」の場面での、
火攻めの解釈の斬新さが一応見せ場で
そこは盛り上がるシーンだったが、
今までヘラヘラしていた劉備(大泉洋)がいきなりきりっとするのも
唐突すぎた。


諸葛孔明(ムロツヨシ)の軍師としての頭の良さが
実は妻のアイデアだったというのも、あまり面白くない展開だ。


キャストは豪華な俳優陣を揃えていて、
装置や衣装なども時代考証はともかくそれなりで
大作らしさは出ていたが、とにかく作りとセリフがチープすぎるので
どうしても安っぽさが抜けきれない。


わざわざお金を払って見る映画ではないと思った。
三国志は好きな物語だけに残念だった。








----------------------


フィギュア四大陸選手権がエストニアのタリンで開催されてるが、
関西では放送なし(>_<)。


三浦佳生選手や友野一希選手が出ているのに…。
映像が見られれば試合が終わってから少しレビューしたいのだが。


FOD(フジオンデマンド)で見逃し配信が見られるというが
(有料である)↓

https://fod.fujitv.co.jp/title/1233

アイスダンスの村元・高橋組が2位🥈銀メダルになった。
女子SPでは三原舞依選手がトップで自己ベスト、
男子SPはトップ、チャ・ジュンファンが98.96、友野一希が97.10
ということは点数は甘めだと思うな…。



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「世界で一番美しい少年」

2021年12月22日 | 映画
ルキノ・ヴィスコンティ監督の50年前の名作「ベニスに死す」(1971)で
美少年・タジオを演じたビョルン・アンドレセンという少年は、
この映画で世界的に有名になった。


その後、彼はどうしていたのか。
どのような人生を歩んで来たのか。

この映画は少年・ビョルン・アンドレセンの過去、
そしてその後の人生をドキュメンタリーで描いたものだ。


ドキュメンタリーにしては映画中の音楽が大仰で、
少しホラーぽいのが気になったが・・。






THE MOST BEAUTIFUL BOY IN THE WORLD
/VARLDENS VACKRASTE POJKE

監督 クリスティーナ・リンドストロム
クリスティアン・ペトリ

出演 ビョルン・アンドレセン

2020年 ‧ ドキュメンタリー ‧ 1時間 33分


公式サイト
https://gaga.ne.jp/most-beautiful-boy/


うシネマトゥデイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c600739ee5042a0503145747daec4c468ede713
“世界で一番美しい少年”の転落劇…一体、何が彼をそうさせたのか?



「ベニスに死す」は映画館、特別上映、ビデオ、テレビ放送、
そしてDVDなどで何度も見た。

美少年云々というより、ヴィスコンティの映像美に圧倒され、
完璧な映画芸術に魅せられたからだ。

少年タジオはその中で完璧な美の世界を完成させる一つのピースだった。



自分としてはそういう解釈だったが、
今、そのタジオ役を演じた少年のその後のドキュメンタリーと聞けば
やはり見たくなった。


あの美少年はその後、どうなったのか…、
その興味で走るようにして見に行った。
ヴィスコンティは一番好きな映画監督だから。




映画はビョルン・アンドレセンの現在の姿を映し出し
過去を彼自身が訪ね(母の死の謎など)、
そして「ベニスに死す」が熱狂を巻き起こした都市、
東京やパリ、ベニスを旅する姿を映し出す。



ビョルンはあの美少年の姿からは想像もつかないほどの
変貌を遂げている。

髪を長く長く伸ばし(時には三つ編みにするほど)、
髭も長く伸ばし、
まるでイエス・キリストのような仙人のような風貌になっていた。
現在66歳だそうだ。

それでも太っているわけでもなく、腰が曲がっているわけでもなく、
すらりとした体つきはビョルンだと言われなければ、
「ベニスに死す」を知らなければ、
「カッコいいおやじ」と言ってもいい感じだ。


映画は彼の歩んで来た人生を描き出しているが、
その彼の人生の中で、
15歳の時のあの熱狂はどのように位置づけられているのか。





ヴィスコンティがオーディションをしてヨーロッパ中、
映画の少年を探していた模様はドキュメンタリー「タジオを求めて」
という作品になっていたと思う。



そのオーディションの中でビョルンがヴィスコンティに
服を脱ぐようにと言われたシーンはこの映画にも採用されている。


その時のビョルンの戸惑いが今となっては痛々しい。



映画が完成したのち、世界が美少年ビョルンに熱狂したが
それは彼にとって幸福だったのか、ということを映画は問うている。


映画のプレミアなどで熱狂的に迎えられるが、
それは大人たちの好奇の目に晒されることでもあった。



ビョルンに近しい人は、
あれは大人たちがまだ少年だった彼をいじめたのだと言う。

ビョルン本人は鬱とアルコールに溺れた、と言う。



映画では性的搾取については仄めかす程度で
あまりはっきりとは触れられていない。
そこは少し分かりにくかった。

だが大人たちの好奇の目が少年の心を傷つけたとは言えるのだろう。

監督はビョルンと同じスウェーデン出身で、
ビョルンにこの映画の出演を3年がかりで説得し
やっと承諾を得たという。

ビョルン本人が語りたくない部分もあったようだ。



ただ、その後の彼の人生はその15歳の時の熱狂を除けば、
それ以降も人として真っ当に生きて来た。
人生は続く。
彼もまた長い人生を普通に生きて来た。


「天国と地獄」「衝撃の真実」「破滅の軌跡」などと
パブリシティには書かれているが、
ビョルンはただ普通に生きて来たに過ぎないのだと思う。





映画の見どころは当時の東京での出来事だろうか。

「ベニスに死す」の宣伝のためビョルン・アンドレセンは来日。
少女たちに熱狂的に迎えられる。

そして東京で日本語でレコードを吹き込んだり、
コマーシャルに出たりしていた様子が当時の映像で見せてくれる。

ビョルンは日本のコマーシャルにまで出ていたのだった。


彼は日本からのファンレターが一番多かったと証言している。
日本で特に受け入れられたのだろう。
来日したのもそのせいかもしれない。



「ベニスに死す」でのタジオの存在は当時の少女マンガにも
影響を与えた。

この映画では池田理代子が登場し、
「ベルサイユのばら」のオスカルはビョルンがモデルだと明かす。

そして50年ぶりに池田理代子とビョルンが会い、ハグする様子を
映画が捉えている。


ベルばらのみでなく、木原敏江もビョルンに影響されて
彼にそっくりのキャラクターを作っていたような気がする。


日本人にとって、ビョルン=タジオという美少年は
文字どおり「世界で一番美しい少年」として
西欧的なものへの究極の憧れの存在であったのだと思う。



映画は現在のビョルンが東京やパリ、そしてベニスを訪れる。

タジオの面影がまったくない現在の彼は彼自身の人生を歩んで来たが、
あの一時期の熱狂をどのように消化したのだろうか。

ベニスの海水浴場の砂浜を訪れた現在のビョルンのシルエットは
懐かしげにも物悲しくも見えた。



-------------------


ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』で、
主人公を魅了する少年を演じたビョルン・アンドレセンを題材に
描くドキュメンタリー。
15歳でセンセーションを起こした少年の栄光と挫折、
再生への道のりを映し出す。



宣伝動画↓

『世界で一番美しい少年』12/17公開
 いま明かされる、ひとりの少年の栄光と破滅…。
【映画公式】
https://youtu.be/E1slaCx2pUg



ルキノ・ヴィスコンティ監督がカンヌ映画祭で記者会見を開き、
発言する当時の様子も映画は収録しているが、
ヴィスコンティはフランス語がペラペラで
流暢なフランス語を話していたのが驚き。
教養人であったヴィスコンティは何ヶ国語も喋れたようだ。
イタリア語、英語、フランス語。
多分ドイツ語も喋れただろう。
だから「ドイツ3部作」も作れたと思われる。



ベニスに死す






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