伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

ジェニーの会報

2007年06月27日 | 人形



ジェニーの会報「ナイスジェニー」が届いた。

前回の時の予告通り手抜き節約貧乏仕様になっていた。
これまでより誌面が小さくなり、ページもガクンと少なく。
でも前の大きさに戻ったという感じで悪くないのではないか。

これまでのでかい誌面の会報には無駄なページも多かったし
(ジェニーのブログとか…ね)。
写真は小さくなったものの
リカクラ等の情報を含め新製品情報はちゃんと入っているし、
これくらいがちょうど良いんじゃないかなと。

ただ、この急激な節約貧乏ぶりは
ジェニーの衰退を感じさせていかにも物悲しさが溢れてくる。
クスンクスン。
こぞの雪今いずこ。

ゴスロリブランドとのコラボジェニーが紹介されているが、
お子様ブランドにはまったく無知無縁の私には何の感興もなく、
アニバジェニーとやらも無駄に大きいパンダが付属していて意味不明。

52センチサイズの昔フェイスのジェニーが出るらしいが、
それもなあ…、意味不明。
どうしてジェニーでラージサイズを出すのかその必要性が分からない。

相変わらず迷走しているなあ…。
ジェニーストーリー2が同梱されていたが、
どこかで聞いたような似たようなストーリーの繰り返し。
はああ…。ため息が出ちゃう。






今回から12000円のプレミアム会員が復活したのだけれど、
当然私はスルーした。
そんなの私にはまったく必要ないから。
と、まったく良いことなしのような書き方をしているが…、

ニューフレンドのみらいは
サヤカとサユリとマリーが合体したような?なルックス?
でも、日本人フレンドはいつも出来が良いから、
実は期待出来るかもしれない。
髪の色がきれいだけど、ただ写真ではなんだかゴワゴワに見えるのだが…。
材質のせい?

それとなぜかちゃおジェニーがいつもすごく出来が良いのだ。
今回のも良いみたいだ。
そして、リカクラのジェニーとたまきがすごく良い。
小さい写真だけど特にたまきは期待していなかったから余計良く見える。


http://www.hakuhinkan.jp/07/4904810787198.html


リカちゃんキャッスルのサイトがリニューアルされたのも書いておこう。

ここは、前のHPに比べて表示されるのが格段に遅くなった。
私のPCではいつまで待っても待っても表示されないから頭に来る。

新しいドールが発売されたのを見ようにも、
ニュースのページがトップ以上に延々と開かないから、
サイトが前よりものすごく後退した感じ。

何が新しく発売されるのかまったく確認出来ない。
新しいHPドールが出るらしいが、それを見るのは夢のまた夢。
新製品情報くらいさっと見たいよ。

何だか無茶苦茶不便になったし、
一部の最新方式を使用している人しか楽しむことが出来なくて、
私のような者は排除するつもりなのかな。
腹が立つなあ。

それで文句を言おうにも、
メールフォームが出て来て住所とか電話を入力しないといけない。
セキュリティもされてないのに。
パラボックスのサイトを見習って欲しいよ。

ジェニーは京都では高島屋と伊勢丹が扱わなくなった
(前は置いていた)。

両者ともリカちゃんとバービーのみ。
大丸だけがジェニーを置いている(リカも。バービーなし)。

これで大丸がなくなったらどうしようと戦々恐々としている。
やっぱり、ジェニーサイズの人形がなくなったら耐えられない。
デパートで買える子供用の人形として、バービーの恐い顔だけでは…。
日本古来の可愛らしい27センチドールは続いて欲しいと思う。
それで文句も多くなるのかなあ…。



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ベルばら―男装の研究

2007年06月24日 | 本・書評
世の中にはいろいろな事件が起きているけれどそれはさておき、
「ベルサイユのばら」が35周年で記念ドールが発売されるということだ。
ということで「ベルばら」などについて語る。

書店でベルばらの塗り絵を見つけた時には、
塗り絵ブームもここまで来たかと笑いそうになったけれど、
いつまでも人気があるようだ。

ベルばらがその昔に連載されていた時は、
多少読んだりしたものの、それほど思い入れはなかった。
あれは「やおい」と似ているようで全然違う、正反対の世界。
それに、「薔薇」ではなくひらがなで「ばら」と書く感性が
私は気に入らなかった。


三島由紀夫が、確か「仮面の告白」で
主人公の青年がジャンヌ・ダルクを憎んでいる、
という設定にしていたと思うが、それを読んだ時、
妙に納得出来たのは、
同性愛者は男装の女という存在を許せないらしい、
ということを知ったからだ。


私は、前にも言ったように、
自分の感性がオカマだと思ってるので、
だからオスカルのような「男装の女」を許せないのだ。

男装の女と、オカマはどう違うか。
どちらもトランスヴェスタイトという点で同じであって、
正常者にとってはどっちも似たもんじゃん、
と一蹴されそうであるが、
当人たちにとっては最も混同されては困るポイントである。

「ラストエンペラー」に出て来る何とかという女スパイ、
あの人(実在の人物)も男装をしていて、
映画を見た時に微妙な気持ちになったのを覚えている。
(ジョルジュ・サンドの男装も不愉快に思っていた。)
単に女が男装をしているのが嫌いなだけかもしれない。
でもなぜなのだろう。

私は、女は女らしくしおしおしている方が好きで、
女であることを武器に男に取り入り、その挙句に翻弄されたり、
滅茶苦茶にされたり、捨てられたりして破滅してゆく、
のが女の理想として思い描いている部分があるから、
かもしれない。
(自分には真似の出来ない生き方)


それと、男の女装は滑稽なだけで、女の男装はかっこいい、
との一般的な認識があるのにも腹が立つ。

サラ・ベルナールなりマルレーネ・ディートリヒなりのように、
そこに内容が伴っていれば男装もそれなりに様になっているだろう
(両人ともレズでもあった)。

けれども、ジャンヌ・ダルクなりオスカルには何となくいやらしさが伴う。
それはなぜか。

おそらく、彼女らの男装が男に向かっている、からではないか、
と思う。
つまり、男の気を引くため、という。

男と同じほどの働きが自分には出来るのだ、
というアピールをしている点で、彼女らは男の気を引いているのだ。


「ナインハーフ」というエロチック(?)映画で、
ヒロインが男に男装をさせられる場面がある。

確か「アリア」というオムニバス映画だったと思うが、
そこでもニコラス・ローグのパートで、
当時ローグの奥さんか恋人だったテレサ・ラッセルが男装している場面があった。

どちらも、女に男装をさせて男が喜ぶという、
男からのエロティシズムを狙ったものだった。


しかし女の目から見れば、ちょび髭をつけた女優の男装は、
滑稽以外の何物でもない。

自分の女に男の格好をさせて喜ぶというのは、
衣裳倒錯(トランスヴェスタイト)の一種だろう。
それを男が強制することによって、
サド・マゾ的なエクスタシーがあると思われる。
(男装をした女が女を抱いている所を見ることによって男が興奮する、
というケースもある)

ジャンヌ・ダルクなりオスカルなりは、その反対のケースなのだ。
つまり、女からの誘い受け。
彼女らは男になろう、なりたいという性同一性障害者ではない。

男装することによって、かえって女であることを強調し、
自分の自己愛的なエキジビショニズムを満足させている。
そのいやらしさを感じるから、嫌悪感を持つのだと思う。

ジャンヌ・ダルクについては
もちろん彼女の真の意図など分からないけれども、
現代で一般的に解釈されている通念から考えてみた。

-----------------

うーん…。
この考察は今から(2022年)見るとあまりにも未熟だ・・。
言いたいことが言えてない。
今はオスカルはきらいではないし、
彼女の男装は男の気を引くためでもないし…。




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竜安寺

2007年06月21日 | 京都の社寺と文化財


そうだ、竜安寺へ行こう。
というわけである日ある時思い立ち、竜安寺へ行って来た。

竜安寺は龍安寺という方が理にかなっていると思うが、
初期変換では出て来ない。
りゅうあんじと入力するのもいやな感じで面倒くさいので略字で通す。


なぜ急に行こうと思ったのかといえば、
たしかテレビか京都の本で睡蓮でいっぱいの池が写っていて、
そこに菖蒲が咲いている図がとてもきれいだったからのような気がする。
今回更新した短編もどきのネタに出来ればとも思い出かけた。

竜安寺といえば枯れ山水の石庭だが、
京都ではさほど珍しくない。

現に私でさえ南禅寺方丈、西本願寺、仁和寺、
近所のお寺の庭と、同じような規模の同じような石庭を見ている。
その中でなぜ竜安寺だけが突出して有名なのかが謎なのだ。

とにかく人が多く、庭の前の縁側は二重になって人が座っている。
写真の邪魔だ。
でも、こうして人が座っていての石庭かもしれないと開き直り、
お兄ちゃんたちが座っている所を写した。無断でごめんよ。

京都の人間は行ったことがないくせに名所が嫌いで馬鹿にしている。
いかず嫌いと言うべきか。
でも、行けば好きになるんよね。
方丈も悪くないがやはり池が良かった。
人がいなくて、周りはうっそうとした林で、音がしない。




それと共に良かったのはきぬかけの道で、
短編もどき(と言っているのはあんまり短くて、
ストーリーもないようなものだから)では悪く書いたけど、
実は良かった。

車がブーブー通って落ち着かないが、
広い車道で、脇に歩道があり、
歩道の横が森か林か山かという鬱蒼とした自然地帯で、
気持ちが良い。

車道の横は立命館大学の広い敷地で、
こんないい場所にいつの間に大学なんか作りやがって、
と呪いながら歩いた。
しかし、便所を借りた。


竜安寺へ行くにはいくつかの選択肢があり、
市バスのどれで行くか悩んだ。

京都駅から立命館大学行きに乗り、
終点の立命館大学前で降り、そこから歩くというルートにした。
立命の向いに堂本印象美術館がある。

昔はこのルートに等持院行きのバスなどがあったと思うのだが、
あれはどうなったのだろう。立命行きに取って代ったのだろうか。
呪わしいことよ。
立命なんて昔河原町丸太町に細々とあった学校じゃないの~?
なんてね。最近、立命ってば営業しすぎなんよ。

こんな風にちょっとすさんでいるのは、
帰りに間違えて反対側のバスに乗り、
反対方向へ行ってしまったからだ。方向音痴、というか、
それ以前に馬鹿だろ、わし。恥ずかしいにもほどがある。
何年京都にいるねん、このアホと我とわが身を呪うのだった。




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私の好きな映画

2007年06月17日 | 映画
えーと、好きな映画について書いてみようかなと。

若者の中には、
どれだけ泣けるかが映画を見る基準らしいとか(太田直子女史の本による)、
映画配給会社もこれだけ泣ける、
ということを宣伝材料にしているケースが多くある。

けれども、
泣ける映画が良い映画だというのは馬鹿馬鹿しい話であって、
そうした映画は私には何の価値もない。

私は映画を美術品のように考えている部分があり、
そういう意味でまずビジュアルが美しい映画、
が最も良い映画だという基準にしている。


以前撮影監督のベストを挙げてみたが、
http://isabeau.fc2web.com/10/camera.htm

ジュゼッペ・ロトゥンノやデ・サンティス、
ヴィットリオ・ストラーロ、ダグラス・スローカム、
ピーター・サズィツキーなどのカメラマンの作品が当然上位に来る。

ただ、
ストラーロは私の嫌いなウォーレン・ビーティと多数コラボしているので、
そこが今いち不満。


次に、当然俳優。
どんな俳優が出ているかが、私の好きな映画の基準になる。

ヘルムート・バーガー、ルトガー・ハウアー、
ゲイリー・オールドマン、クリストファー・ウォーケン…
へい、もろあっち系統で。すんません。どうもどうも。
へん、どうせあたいは変態さ。


監督も重要である。
ルキノ・ヴィスコンティ、デヴィッド・クローネンバーグ、
メル・ブルックス…、
ひゃあ、ここはでたらめな基準だ。
脈絡が全然ないぞ。


そして自分の趣味として「やおい」系がある。
同性愛がテーマで、映像が美しければ自動的に上位へ食い込むが、
そのような映画が滅多にないのも事実。


例え好きな俳優が出ていてもぼんくらな映画もあるし、
好きな監督であってもダメ映画を撮る時もある。
もちろんそういう場合はシカトする(死語)。
ヴィスコンティだからといってどの映画も名作であるはずがない。


ビジュアルという面では「天国の日々」(78)という象徴的な作品がある。

口コミ的に広がった映画で、
私も噂を聞いてビデオレンタルをしたものだ。

当時私はリチャード・ギアが大嫌いで、
ブルック・アダムスという女優もブスだし嫌いだった。
テレンス・マリックという監督名は聞いたことがない。

それでも、一見してこの映画にベタ惚れしたのは
ひとえにネストール・アルメンドロス、ハスケル・ウェクスラーの
カメラによる陶酔的なまでの情景描写にあった。

この陶酔的なカメラは、俳優の演技もストーリーさえも無にしてしまう。

奇跡に近いこの映像がアメリカ映画?
耽美的なアンドリュー・ワイエスとでも言うのか。
ともあれ稀な映画ではあったことよ。


http://isabeau.fc2web.com/movie/cine/10movie.htm



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時を超える親鸞

2007年06月11日 | 展覧会・絵


とーきーをー、かける聖人♪
あっ、時を超えるだった。

真宗のアイドル、親鸞聖人の聖人像の展覧会がひっそりとあった。

これは、西本願寺の大学、
龍谷大学本館で行われた展覧会で、なんと無料であった。
しかも、入場料が無料だというのに
豪華なパンフレット(オールカラー48ページ)をくれた。
龍谷大学、太っ腹!門徒大感激。

展示内容は、
各時代の親鸞像、親鸞聖人絵伝、直筆の讃、
親鸞のお父さん、お母さんの像、
本願寺に伝わるいろんな文書(親鸞の誕生日を決めた顛末を書いた書など)、
教科書の中の親鸞など多彩。
無料だからとたかをくくっていたら、どうしてなかなか侮れない。


親鸞聖人は、
江戸時代には「川越の名号」という言い伝えがあったそうだ。

それは、川の向こう側の農民が、
川の向いにおられた親鸞聖人に何か書いてくれと紙をかざしたところ、
筆を持った聖人が川越しに「南無阿弥陀仏」という文字を書いたという、
そういう伝承だ。

それが江戸時代の読み物に流布していたようで、
そんなのが絵入りの和綴じ本に残されている。
(で、その時書かれたという書も展示されている。
笑かしよんな、という感じだ)


また江戸時代には親鸞の旅したルートをなぞって歩くということが、
盛ん(?)になった。
「忠次郎」という人が親鸞の歩いた道を辿って旅した記録が伝えられている
(誰よ、忠次郎って)。

このような真宗文化とでも言うべきものを確認出来たのがとても興味深い。
真宗は草の根宗教だったのだろうなあと思う。


けれども、
宗教的なことより美術的なことの方に興味のある私が最もエキサイトしたのは、
例の「熊皮御影」。

奈良国立博物館の所蔵の重要文化財の親鸞聖人の御影を、
ガラスケースもなく、えらく無造作に飾ってあったのだ。
お蔭でうんと近くへ寄って、じろじろ見てしまった。

これは、親鸞聖人の肖像では多分最も古く(と思うのだが。鎌倉時代)、
襟もとにマフラーを巻いた親鸞の有名な姿はすべてこれを元にしていると思う。

この襟巻きによって、親鸞は寒がりだったのか?
というような疑惑が噴出した。
熊の皮を座布団代わりに敷いている、ラブリーな肖像画だ。


親鸞は父母に早くに死なれ、九歳で得度した。
可愛らしい幼少のころの肖像や、
皺くちゃの正面画像など、見て来たような肖像画の数々。

「親鸞聖人絵伝」(1810年)はおそらく絵巻だったのを
軸に表装し直したのだろうか。
下から上へ見ていく珍しい構成。お蔭でちんぷんかんぷんだった。


そのほか、越後配所の親鸞を描いた絵では、髪や髭が伸び放題の珍しい姿。

「寒クトモ 袂ニイレヨ 西ノカセ 弥陀ノ国ヨリ 吹クトオモヘハ」

大宰府に流された菅原道真も嘆いたことだろうが、
親鸞聖人も越後に流されて、こんな思いをしたのだろうか。

それにしても越後の人が聞いたら、
寒くて悪かったな、ワシラ一生ここで暮らすんじゃ、
と言いたくなるのでは。

当時だって人が住んでいただろう。
失礼だよ親鸞、と突っ込みたくなったのだが、
でもそれは後世の人の創作だから親鸞に責任はない。



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