伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

洛中洛外図本復刻

2009年05月18日 | 本・書評
「謎解き洛中洛外図」という本が復刻されていることを知った。
岩波新書の名著だったが、
1994年に発売されたが、近年絶版になっていた。




「狩野永徳展」が開催された時、
どうしても欲しくて探しまわったが、なかった本だ。
それでのちに古本でゲットした。
復刻するならそう言ってよという感じだ。
本当にタイミングが悪いったらありゃしない。


以前近鉄百貨店の本の売り場で見たことがあって、
それはそれほど昔のことではなかったから、
探せばあると思っていたのだ。
でもどの本屋にもなく、
岩波の新書目録を見てみたら、見事に省かれている。
それで絶版になったことを知った。

1994年が初版だからそれほど昔の本でもないのに。
その上あんな名著を絶版するなんて、
岩波もなんと愚かなことを。


なぜなら、その後発売されている週刊分冊だとか、
狩野永徳展が開催された時の永徳特集の本などに
この本のことがさんざん書いてあり、
しかも名著として紹介されている。
紹介されているから読みたいと思うのは人情であろう。
なのに絶版だとは…
と、憤慨していたらいつの間にか復刻してるんだぜ。
どうなのよ、ちょっと。
復刻するならすると言ってよ。
永徳展開催の時、
さんざん復刻せよと吠えていたのに、今ごろになって…。


とはいえ、この本は名著の評判に違わず、やたらに面白い。
推理小説のようにどんどん引きこまれ、
ついつい猛スピードで読んでしまう。
名著と言われるものにはミステリーの要素があるのではないかと
真面目に考えてしまうほどだ。
歴史や日本美術に興味のない人でも、
ミステリーを読むように引き込まれてしまうのではないだろうか。
強力に薦める。




なぜかアフィリに本の写真がない。
岩波新書の画一表紙だからか。私の持っている本の画像がこれ↑




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螯吝ソ?ッコ螻

2009年05月15日 | 展覧会・絵
だいぶ前のことになるけど
京都国立博物館「妙心寺展」へ行って来た。




妙心寺は広大な敷地を持つ臨済宗のお寺だ。
甲子園球場8つ分が入るという。

右京区花園という場所にあるが、今回の展覧会へ行って、
花園天皇が自分の離宮を改めて禅寺としたのが始まりと知り、
だからあそこ一帯を花園と呼んでいるのかと合点がいった。



大体において禅宗のお寺は広大だ。
天龍寺、大徳寺、南禅寺、東福寺etc。
周辺に塔頭も沢山あり、むやみやたらに広い。
どうしてあんなにだだっ広いのだろうか。
修行をするお寺だから、沢山のお坊さんが暮らすので、
住む場所も要る。
建物も多くなり、自然と発展した…ような気がする。


ただ昔のお寺はもともとどのお寺でも広かった。
それが火災や寺地の没収等で現在のような形になってしまった。
昔はどこでも妙心寺と同じくらいの敷地があったのではないかと思う。


というようなことを思いつつ、
実は妙心寺へはまだ行ったことがない。
北門から入るべきか、
南から入るべきかでずっと迷っているからだ。
北側だと市バスで、ちょうど妙心寺北門というバス停がある。
南だとJRなどで行くことになり、
北と南で行き方が全く違うので、
未だにどこから行くのがベストなのか分からないでいるのだ。


そんな妙心寺展には如拙の国宝「瓢鮎図」と
メトロポリタンの狩野山雪の「老梅図」が出るというので
行こうと思った。
前の常設展だったか何だったかで
「瓢鮎図」を見損ねていたので今度こそ見ておきたかったのだ。
このふたつが見られる後期になるまで待ち、行った。


「瓢鮎図」はしかしなあ…。
古ぼけた掛け軸の上部に沢山の讃(感想?)が書いてあり、
下にナマズがちょろっといて…こんなんで国宝かい?
これ見るために等伯の猿を諦めたのにさ。
と楽しく脳内突っ込みを入れつつ。


代々妙心寺に力をつくした坊さんの
いかめしい肖像画や、天皇の宸翰(書)等が延々と並ぶ。

すると突然白隠の画が現れ、いかめしさが一気に崩れ落ちる。
その落差があまりにも激しく、戸惑う。
白隠は、白隠だけの展覧会を見たいと思った。
あまりにも他との差が激しすぎるのだ。


自分としては、
この展覧会での白眉はその白隠の「すたすた坊主」だった。
この絵の前に来た途端、何となく涙が出そうになった。
「すたすた坊主」を
見るためだけに1100円を払う価値があるとぞ思う。


「老梅図」は、
何となく狩野永徳の「檜図屏風」と似た感じだと思っていて、
梅の木が画面にのたうち回っている、
ような感じを想像していた。
しかし、想像よりもずっとエレガントで、美しい。
確かに梅の木の枝は屏風を突き抜けてまた戻って来るのだが、
ダイナミックというよりは調和が取れた画面作りだった。


後期に行ったので海北友松の絵も満足に見られなかったが、
まあ常設展で見ているから良いか。




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金閣寺の焼失と再建

2009年05月10日 | 京都の社寺と文化財
京都新聞に、何日かにかけて、
金閣寺の焼失と再建についての連載記事が載った。


証言記事という形で、
それは何と、金閣寺の焼失を文字通り目の前で見た僧侶、
現在相国寺派の宗務総長という人の話だ。

しかも、金閣寺(金閣舎利殿)に放火したのは、
当時金閣寺で見習い坊主をしていた、その人の兄弟子だったという。

その証言があまりにも生々しく、ものすごい内容だったので、
都合7回くらいに分けて掲載された記事を夢中で読んだ。
おりしも私はなぜかレンタルで「炎上」を見たばかり。
グッドタイミングと言うほかなかった。
だから京都新聞が好きさ。


それはともかく、証言をしているそのEさんは、
当時まだ小坊主だっただろう。
兄弟子は、Eさんを訪ねて京都へ来ていたEさんの父と、
その夜、将棋をしていたという。
Eさんが目を覚まして気がついた時、
舎利殿は既に燃え上がっていた。
寺にいる者が全員召集されたが、件の兄弟子だけがいない。
翌日自殺未遂の姿で兄弟子が裏山で掴まった。


のち、金閣寺の住職(Eさんの師匠)が托鉢して
資金を集め再建にこぎつけ、
放火犯の母親が自殺したことは衆知のとおり。

燃え残った舎利殿のこと、その後の観光、
そして再建の様子など、ドキュメントとして驚くべき、
そして貴重な証言だと思う。
是非、新書などの本にして残すべきだ。
それくらい読みごたえがあった。


再建のあと1987年に修復が行われた。
その証言も貴重である。

再建から時が経つに連れて金箔が剥がれ、
まだらになって見苦しくなった。
85年に再建に尽力したEさんの師匠が亡くなり、
以降はEさん本人が師の遺志を継いで修復に努力したという。


修復では、金箔を従来の5倍の厚さにした。

その技術は困難で、
なかなか請負ってくれるところがなかったが、
金箔の産地、金沢で技術者がやっと見つかった。

下地の黒漆塗りの作業も精密さが要求された。
仕上りがあまりにも見事だったため、
金箔を貼る予定だった二層内部を黒漆仕上げにした。
などなど。


これを読んで、87年の修復作業にも、
日本の伝統産業の技術がふんだんに投入されていたことを
改めて思い知った。
修復後の金閣寺はピカピカのペカペカで、
プラモデルみたいだとか、金メッキみたいだとか、
そんな風に言っていたことを深く反省した。


技術的には困難だった5倍の厚さの金箔を可能にしたからこそ、
ああしていつまでも剥がれない、
いつ見てもピカピカの金閣寺でいられるのだ。
枯淡やワビサビを捨てて、「いつまでも新品」を選んだ。


再建時に、江戸時期の修復で変えられた部分をもとに戻し、
創建当時の姿を再現したという。
そして、修復によって、創建当時の姿をそのまま封じ込めた。
それを、いつでも、
好きな時に見ることが出来る我々は幸せ者ではないだろうか。


COMMENT:
AUTHOR: azuma
DATE: 06/04/2009 12:28:12
かなり以前のことですが、
NHKで87年の修復の様子を見たことがあります。
さまざまな試みや作業を経て、
最後に丹念に磨き上げられた漆黒の床板が映し出されると、
それは少しの歪みもなく、
まるで硝子板の様に冷たく輝いていたのです。
それまでは、漆塗りには温かみや柔らかみを感じていたのですが、
技がここまで際立つならまた違ったものが見えてくるものなのかと、
ゾクリといたしました。

COMMENT:
AUTHOR: 伊佐子
DATE: 07/28/2009 22:51:19
レスがとても遅くなり、大変失礼しました。
修復の様子をテレビでやっていたとは知りませんでした。
その頃は全く興味がなくて…トホホ。
三層は中も金貼りだそうです。
コントラストがすごいですね。
仰るように、
黒漆でピカピカに磨き上げられた内部はさぞ冷たく光り輝いているでしょうね。




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拍手喝采

2009年05月08日 | PC・ネット関連
さあ、いつまでもしけていたってしょうがない。
いいことばかりはありゃしないが、
生きてる限り前を向いて歩くしかないのさ。


ところで、このブログにいつの間にかいきなり拍手の機能が追加された。
誰も欲しい、つけてくれ、と頼んだ訳ではない。
自ら労を取ってそのようなシステムを構築した訳でもない。
本当にいつの間にか、勝手についていた。

拍手機能とは、実は良く分かっていない。
単にボタンを押すだけなのか、コメントがつくのか、
それは管理人が知らないまま、いつの間にかついているのか。
一人一回限りなのか連打可能なのか。
自分で押したらどうなるのか。
最近は地雷を踏むのが怖くて、
ほとんど他のサイトへ行かないから、拍手をしたこともない。


実は、何年か前、拍手機能がネット上でお目見えした頃、
一度だけ押したことがある。
そこはかなりハードコアなボーイズラブのサイトで、
このサイトが気に入った方はボタンを押してね、
と書いてあったので、上手な絵に対し拍手ボタンを押した。

ボーイズラブのからみ絵は、
構図やデッサンが上手でなければちゃんと書けないのだなあとつくづく思う。
とにかくサイトがハードでコアであるほど、
絵の上手な人がやっているのだった。
あっ、そんなことはどうでも良いか。

とにかく、拍手ボタンとは何なのだろう、
よく分からないけど面白そうだから押してやれ、
という感じで押したのだと思う。
それから、それ以外のサイトでも時々見かけるようになり、
拍手ボタンというものが流行って来たことを知った。
何だかヘンテコな機能が流行るものだ。


拍手があれば知らせる機能でもあれば良いのに、
知らない間に増えてるからびっくりする。
でもまあ、
こんな辺境ブログの偏屈管理人に拍手をくれる人がいるのは、
ありがたいと喜ぶべきことだろう。




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忌野清志郎

2009年05月04日 | 音楽
忌野清志郎さんが亡くなった。
…。

前に闘病から復帰して、復帰コンサートをした後、
再発したことは知っていた。

だから、もう
新聞に名前が出るなんていうことのないように、
そんなことのないように、ひたすら祈っていたのだが。

再発しても治る人もいるし、
病を抱えながら戦い続ける人もいる。
だからきっと大丈夫だとある時は思い、
でももしかしたら悪い結果になるかもしれないとも思い、
その可能性は半々かもしれない、などと思ったりもしていた。

だけど、その悪い結果になってしまい、
新聞の記事を見た時は、まさか、というよりは、
ああ、やはり駄目だったか…、
とうとうこの時が来たのか、と心臓がどきりとした。


昔から日本の音楽が苦手で、
まあはっきりと言うと、きらいだった。
小さい時から洋楽ばかり聞いて育ったから、
吉田拓郎から始まってJポップに至るまで、
ザードも宇多田もきらい、というより聞かない。
というか名前もろくに知らないのだ。
何て言ったっけ、ビーズ…だったけ。



そんなに日本のポップスに無知だった私が
RCサクセションを聞くようになったのはなぜだっただろう。
ある時、雑誌に乗っていた清志郎氏の写真を見て、
まるで、唐十郎の状況劇場の再来だ、と思ったことがあり、
多分それは、RCを、
音楽と言うよりは演劇的なイメージで見ていたからだろう。

それからある時、
やはり雑誌か何かで「雨上がりの夜空に」の歌詞を知った。


オー、雨上がりの夜空に流れる
ウー、ジンライムのようなお月さま
こんな夜にお前に乗れないなんて
こんな夜に発車出来ないなんて



清志郎の詞は素朴でシンプルだ。
小学校の子供が作ったような詞だと思う。
だけど、本当に子供では作れないことは分かっている。
子供のようなナイーブな感性を持った人にしか作れないのだろう。

「雨上がりの夜空に」の、ロックだというのに
"お月さま"という言葉を選ぶ感性に、
私はノックアウトされた。

雨上がりの空を見上げた時に、
雲の切れ間に散りばめられたダイヤモンドや、
ジンライムのようなお月さまを見ることが出来る感性に、
感動した。


RCサクセションのコンサートには何度か行った。
清志郎は、
まるでステージが彼の住まいであるかのように、
ステージ上で、生き生きと、自然に振舞っていた。
そこが、そこだけが彼のテリトリーなのだと思った。


いいかい、聞きたいことがあるんだ。イエー。
愛し合ってるかい。愛し合ってるかい?
私には愛し合っている相手はいなかったが、イエーと答えた。
普段コンサートなどへはほとんど行かない。
だけど、そんな孤独な私でもその時は孤独を忘れた。


コンサートで、
歌の合間に語りを入れるのが上手な歌手の人は多いだろう。
でも清志郎のあの語りは、
語りではなく、そのまま歌だと思った。
アメリカのブルース歌手のように、
語りにもひとつの「型」があり、
そのままそれがパフォーマンスになっている。


清志郎氏の中で、もっとも惹かれる部分は歌声だ。
彼のあの声、発音、歌い方、イントネーション、
すべてに惹かれるが、中でも声が好きだった。
それは言葉では言い表せない。
今思うと、あの声は宝石なのだった。
暖かく、素朴だった。

RCは解散し、それから随分時が経った。
忘れていたと思っていたのに、なぜこんなに辛いのだろう。
写真入りの新聞記事。
そんなの見たくないと思っていたことが現実になった。
辛くて二度とそこを開けない。




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