伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

南禅寺の水路閣

2008年04月30日 | 京都の社寺と文化財
南禅寺の水路閣を前にサイトArt Maniacs http://isabea.web.fc2.com/walk/suirokak/suirokak.htm
でアップした時、
水路閣を通すことに賛成したお坊さんの話を
「その時歴史が動いた」で紹介して欲しい、
などと冗談交じりに書いたのだが、
この間、京都新聞に南禅寺の大きな特集記事があり、
このことについて少し触れていた。


それによると、南禅寺の僧侶たちは、
水路閣を作ることに賛成した訳では決してない。
当時、明治の初め、周知のように廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。

南禅寺も、お上がその寺院勢力を弱めるため、
水路閣のまわり(南禅寺の境内の裏?)にあった
木々を伐採したりして寺を荒れさせようとしたらしい。

水路閣もそのひとつで、南禅寺の力を弱めるため、
わざとあそこに(寺の景観を潰すため)あのように建てたものだと。


水路閣だけでなく、
もっと他にもいろいろ嫌がらせをされたかもしれないなと思う。

今出川の相国寺も廃仏毀釈のため存続の危機に陥り、
寺宝である若冲の「動植綵絵」を皇室に売った。
相国寺も奇しくも禅寺である。
禅寺が数々の被害を蒙ったのかもしれない。

密教の東寺・五重塔内部にも、
曼陀羅図が削り取られた無残な跡がある。
宗派に関わらず、そういうことが行われたのだろう。

私はあの時期、境内に水路閣を通すという大英断はすごい、
と思い込んでいたが、
決してお坊さんが望んでしたことではなかったのだ。

自分の軽はずみな解釈が恨めしいというか、
反省しなくてはなるまい。
私は自分の間違いを認めることにはヤブサカではない。

明治のお坊さんにとって、
あの水路閣は悔やんでも悔やみ切れない、
自分たちの寺を汚された象徴みたいなものだったかもしれない。

しかしそれも今や時のいたずらで、
水路閣はあのように今では風景に馴染み、
観光の名所のひとつにまでなっている。

皮肉なものだ。

今そこにある景観は、
偶然や必然やらの様々な要素が絡み合って、
歴史の経過で出来上がったものだということだ。
人の営みや思惑がそこに重なって、
それがそのまま結果となって現れている。
残ったもの、消えて行ったもの。
それもまた、営みか嗚呼。


美術館・ギャラリーランキング

京都府ランキング

フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へにほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへにほんブログ村


ミシュラン京都版は出るのか?

2008年04月25日 | 京都
ミシュランが京都で活動しているという話が、
ここのところ新聞などで話題になった。

東京でミシュランが発売された時に、
マスコミで大騒ぎになったことは知っている。

でも私は、
食い意地が張っているだけでまったくグルメではないので、
むしろグルメよりは雑食、貧乏食い(?そんな言葉はあるのか)なので、
東京ミシュランには、金輪際、まったくからきし、
何の興味もこれっぽちもつゆほども何もなかった。


もちろんそれは東京という、
自分とは無関係の興味のない土地での出来事であるということにも関連している。
自分の行かない土地の食べ物を特集した本を買ったってしようがない。
ところが、この本が京都でも売れたという。
京都の人間が何で東京を特集した本を買うのか。
とうてい理解出来ない。


多分、京都の人が東京へ出張した時、
ご飯を食べる段になって、
そうそう、本に出ていたあそこで美味しいものを食べたい、
せっかく東京まで来たのだからもののついでに、という感じで、
そういう時のために嬉しく楽しく想像するために買うのだろうと思う。


この本の出版においては、私は良く言われる格差社会、
という言葉を思い知った。

この本が良く売れた、ということは東京にはいかに富裕層が多いか、
ということを示しているだろう。
この本は、格差社会における、勝ち組のための本なのだ。
勝ち組の象徴のような本だ。

食べ物にふんだんにお金をかける、
ことの出来る層に向けての本である。
私のような貧乏人には無縁の世界である。


また、
自分の胃の中に消えてしまうものにお金をかけるくらいなら
人形を買うことに費やす、
という価値の倒錯した人間とも無縁の本である。

人形を買うためには食料への出費さえ削らなくてはならないほどの貧乏人には、
無縁であるのは当たり前なのだ。


そんなわけで、
ミシュランという言葉には興味も抱いていなかったのだが、
ある時、京都の老舗料亭に何人かの客が来て、食事をしたあと、
自分たちは実はミシュランの使いであり、
京都の料理屋について調査をしている、と打ち明けたという。

ミシュランが東京に続き、京都にも触手を伸ばしているらしい、
と、京都の料亭で一気に噂が広まった。
そのようなことが、最近、京都で話題になって来たのだ。


その京都ミシュランが出来上がるのかどうかは分からない。

店頭にはそのような本はまだ置いてない。
現在調査中、らしいが、
順調に仕上がるかどうか、五里霧中というところだと思う。


テレビでもミシュランのニュースが取り上げられていた。
京都吉兆の責任者の人がインタビューに出て来て、
ミシュランがうちに調査にきた。
大変光栄であった。
(調査されたというだけで)一流であると認められたようで嬉しい…、
というような感想を言っていたと思う
(正確には忘れてしまったので、どうだったか覚えてないが)。

けれども吉兆は、結局、
自分の店をミシュランに掲載するのは止めてくれ、
と辞退したのだと言う。


なぜなら、京料理は味だけではない。

その店の雰囲気、料理の盛りつけ、うつわ、
接客、庭、灯篭の有無、部屋の佇まい、調度、掛け軸、
鴨居、襖、畳、障子、ざぶとん等々、
それらを含め、すべてをトータルして味わうのが京料理である。
味付けだけで決めつけるべきものではない、
というのがその人の、店の主張であった。


まあ老舗料亭であるから、味が良くないということではないとは思う。

別に味に自信がないからこういうことを言っているのではないだろう
(と思いたい)。
もしくは、味はそこそこ、他とそんなに変わらない。

でもうちは老舗だっせ。雰囲気で味わってもらいたいのだす。
京の四季おりおりの風情と共に、
老舗の格式に金を払って欲しいのだす。
ということなのかもしれない。
(いつの間にか大阪弁になってる)

ともあれ、ミシュランの調査に異議を唱える所が京都らしい。

老舗料亭は、それぞれにものすごいプライドというか、
誇りを持っている。

それは、京都の伝統工芸士がそうであるように、
ちょうどそういう人たちと同じような意識を持っている。

そして、自分たちに絶対の自信を持ってる。
だから、他人があれこれ評価をして、
それで他人が成績を決めるなんて許せない、プライドが許さない、
と言う気持ちなのではないだろうか。


オマエラに何が分かるか。

オマエラ素人なんかが一度や二度来てちょっと食べたくらいで、
簡単に評価されたくないわい。
ワシラこの暖簾をもう500年も守って来てんねん。

オマエラに京料理の真髄が分かってたまるか。
口出しすな。ミシュランがなんぼのもんやねん。
なんべんも足を運んでくれはるお客はんにええ言うてもろたらそれでええのや。
エエそうとも。
という。


まあさすがに京都人は、良く言えば、
ちょっとやそっとでは権威というものになびかないのだな、
と思い知った。



美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村



仏光寺の桜

2008年04月23日 | 京都の桜

まだ八重桜はあるみたいだけど、
桜はすっかり季節外れになってしまった。
アップするのにもたもたしていたら時期を逸してしまった。
でもまあ、せっかく写真を撮ったので、
遅くなったけど載せておこう。




近所にある仏光寺というお寺へ行ってみたのだ。

仏光寺通りという通りの名前のいわれになったお寺で、
浄土真宗仏光寺派の本山である。
高倉仏光寺にある。

浄土真宗のお寺だから、それほど古くないと思う。
親鸞聖人の750回忌に向けて修復されていたが、完成したようだ。

まあ、近所であって、それほど有名なお寺でもないから、
ちょっと散歩がてらのつもりで行った。
そうしたら本堂(御影堂)の前に3本の立派なしだれ桜があって、
満開状態だった。
それがとても見事で思わず見とれた。


あまり見物人はいないが、それでも何人かはいて、
写真を撮っている。
知っている人は知ってるものだ。

本堂は障子がしまっていて、入れるのかどうか分からない。
何となく入りづらくてお参りしなかった。
阿弥陀様がおられるはずなのだが、見て来なかった。

しかし桜は立派だ。
ほんの近所に、こんな人知れずな所に、
きれいな桜があったのでちょっと嬉しいかも。

人知れずとは言っても、しかし町のど真ん中にある。
四条の繁華街をほんの少し南へ行ったところだ。
それだのに人があまりいない。





仏光寺は、あまり有名ではないものの、
昔は文化的にもブイブイ言わせていたみたいで、
何年か前に、京都で出版された芭蕉の本の版木(原義?)が
このお寺から見つかったというニュースを読んだことがある。
しかも芭蕉のかなり有名な作品だった。

なぜこのお寺が版木を所有していたのかは謎だが、
ともあれそんな風な、なかなか侮れないお寺であると思う。

見物人のおじさんが、
しだれ桜に近寄ってアップで撮っているので、
私もそのように撮ってみたら何か良いことがあるかなと思い、
おじさんの真似をして、おじさんが撮っていた位置でカメラを構えてみた。
こんな風に撮れた。







美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村



ボークスニュース

2008年04月21日 | 人形
ボークスから、冊子が届く。




ボークスとドールについては次回に書くことにして、
今回、
ボークスニュースを読んでいて非常に気になった間違いがあるので、
それを指摘せずにはおれない。
とにかく、気持が悪いのでここで白状してしまう。

それは、
「たえ すうヰーとどりヰむ」というドールのタイトルの
「ヰ」の使い方だ。

この宣伝を考えた人は、
おそらく「ヰ」を単純に「い」のつもりで使っているのだろう。
そうとしか考えられないが、
まあ、もう少し日本語の勉強をしてからネーミングして欲しかったと。

私自身も古典や、
旧かな使いについて良く知っているとは仮にも言い難く、
無教養もいいとこなのだが、
でもこれくらいは一般教養として知っている。

というか、旧かなを知らなくても
「すうヰーと」が日本語としておさまりが悪いというくらい、
感覚的に感じないだろうか。

「ヰ」は昔の本だと「ヰスキー」と書いてあるし、
ワ行の発音をするはず。


つまり「ヰ」はWiという発音で、
ワ行のWa Wi Wu We Woという発音のWiを「ヰ」と書くのだ。

スウィートと読ませたいのなら、「スヰート」と書かなければならない。
これが日本語の法則だ。

つまり「すうヰーとどりヰむ」と書くということは、
「すううぃーと どりうぃむ」と読むことになる。
この宣伝を担当した人はあまりにも不注意だったのでは。

という風に思うのは、私がオババだからだろう。
こんなことに突っかかっているのは年をとったババしかいない。


「い」の旧かなには「ヰ」のほかに「ゐ」もあり、
その使い方、使い分けをどうするのかを私も知らない。
「ヰ」がWi行だとすると、「ゐ」はYiかもしれない。

「におい」は「にほひ」と書くのが正しいみたいだが、
「にをゐ」はどうして違うのだろうか。
或いは「にほゐ」ではないのか。

多分「匂い」という単語がもともと「にほひ」(にほふ)と発音したのだろう。
それが、ほとおが混同されるようになってこんなにややこしくなってしまった。

H行だけでなく、W行の発音も欠落して「お」になってしまった。
私の場合、ここら辺を明らかにすることなく今日まで来てしまった。
おそらく違いを正しく認識する前に、命を終えてしまうだろう。

それはともかく、
若い人には「すうヰーとどりヰむ」だろうが「すヰーとどりーむ」だろうが、
どうでもいいのだろう。

それらしく昔風に書いてあれば、それらしく見える。
「ヰ」という文字は『昔風』であることの
記号のようなものにしか過ぎないのだろう。

感覚だけでそれらしかったらそれで満足、
正確さや詳細は問題にしない。
そういう風潮。


だけれども、ほんのちょっと頭を巡らせてみれば、
こんなことはすぐに分かるのではないのだろうか。

「い」には他に「ヰ」と「ゐ」があるが、
それらを昔は区別して書いていた。

違う発音だから区別されていたはず。
発音も、書き方も、違った。
類推して考えれば、このことに気がつくはずだろう。

ということは、
「ヰ」を現在用いている「い」と同じように使うことは間違いである、と。


たとえ物を知らない若い人であれ、
教養が脳みそから滑り落ちていってる高齢者であれ、
こういうことに気がつくかそうでないかは、
若かろうが年寄りだろうが関係ない。

ほんの少し類推して考える、ということを、
しようとするかしないかの違いではないだろうか。


少し考えれば、いざ使おうという時に、
「ヰ」を、「い」とまったく同じ文字として使うことは何だかおかしい、
と、気がつくはずだ。

もしかして普段から頭を巡らすことをしないから、
自社の大事な商品の宣伝をする時に、
それを気づかずに使ってしまうという
取り返しのつかない失態を演じてしまったのではないか。

まあこのことは、誤字脱字が呆れるほど多く、
いつでも頭を巡らせないどころか、
巡らせる頭脳さえない私があれこれ言っても説得力がまるでないのだが。

少なくとも、カットソーを前後ろ逆に着て、
午前中ずっと気がつかない(実話)人の言うことではないかもしれない。



美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村





カポーティ

2008年04月10日 | 映画
レンタルビデオ店の更新の知らせが来た。
無料で借りられるので、「カポーティ」という映画を見た。
前から見てみたかった映画だ。

以前にトルーマン・カポーティという作家の作品を
読んだ覚えはあるのだが、
タイトルも、その内容も思い出せない。
読んだことにならない。
一般的には「ティファニーで朝食を」の作家として有名だ。
その彼が、
「冷血」という作品を書いた時の顛末を映画化したものだ。

「冷血」については、小説を読んでないばかりか、
映画化された映画も見ていない。
確か、トニー・カーティスが主演して、
イメージチェンジだと騒がれた作品だと思う。
殆どヒットしなかったと思うが。


「冷血」が実際にあった殺人事件に取材した作品、
ということは何となく知っていた。

おそらく、
この小説は日本の佐木隆三などが手がけるノンフィクション小説(?)
の先駆けと言えるのではないだろうか。

佐木隆三(例によって字が確かでない…)も、
殺人犯人を主人公にしたり、
殺人事件のノンフィクションを書いたりしている。
家田しょうこ(字分からず)の極妻なども
広い意味でこのようなジャンルの小説と言えるのではないだろうか。

映画の中で、出版関係の人が
「まったく新しい小説の誕生だ、
この小説が発表されたら凄い評判になるだろう、革命的な作品だ」
みたいなことを言うのだが、
当時(1964年ころ?)には、こうしたジャンルの作品は珍しかったのだろう。


映画では、殺人犯人を取材するうちに、
様々な問題に直面して葛藤するカポーティが描かれてゆくが、
その中で、打算的で狡猾で、
「死刑」というイベントさえ自分の名声に利用しようとする
カポーティのいやらしさが、だんだん炙り出されてゆく。


映画の最後に、
カポーティはこの小説「冷血」を完成させたあとは、
一作の小説をも完成させることなく、
アルコールに溺れて約20年後に死んだという字幕が出る。

確かにこのような体験をした人なら、
その人が少しでも誠実な人間性を持ち、
繊細な芸術家としての気質を持つならば、
そうならざるを得ないだろうなと思った。

もし彼がこのあともバリバリ仕事をして、
「冷血」などなかったかのように平然として小説をどんどん書いていたら、
その方が怖い。
その方が「冷血」だと思う。

カポーティは多分、自分のいやらしさに気がついた。
いやというほど、そのことを思い知らされた。
だからもう書けなかった。
そういうことではないかと思った。




美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村