南禅寺の水路閣を前にサイトArt Maniacs http://isabea.web.fc2.com/walk/suirokak/suirokak.htm
でアップした時、
水路閣を通すことに賛成したお坊さんの話を
「その時歴史が動いた」で紹介して欲しい、
などと冗談交じりに書いたのだが、
この間、京都新聞に南禅寺の大きな特集記事があり、
このことについて少し触れていた。
それによると、南禅寺の僧侶たちは、
水路閣を作ることに賛成した訳では決してない。
当時、明治の初め、周知のように廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。
南禅寺も、お上がその寺院勢力を弱めるため、
水路閣のまわり(南禅寺の境内の裏?)にあった
木々を伐採したりして寺を荒れさせようとしたらしい。
水路閣もそのひとつで、南禅寺の力を弱めるため、
わざとあそこに(寺の景観を潰すため)あのように建てたものだと。
水路閣だけでなく、
もっと他にもいろいろ嫌がらせをされたかもしれないなと思う。
今出川の相国寺も廃仏毀釈のため存続の危機に陥り、
寺宝である若冲の「動植綵絵」を皇室に売った。
相国寺も奇しくも禅寺である。
禅寺が数々の被害を蒙ったのかもしれない。
密教の東寺・五重塔内部にも、
曼陀羅図が削り取られた無残な跡がある。
宗派に関わらず、そういうことが行われたのだろう。
私はあの時期、境内に水路閣を通すという大英断はすごい、
と思い込んでいたが、
決してお坊さんが望んでしたことではなかったのだ。
自分の軽はずみな解釈が恨めしいというか、
反省しなくてはなるまい。
私は自分の間違いを認めることにはヤブサカではない。
明治のお坊さんにとって、
あの水路閣は悔やんでも悔やみ切れない、
自分たちの寺を汚された象徴みたいなものだったかもしれない。
しかしそれも今や時のいたずらで、
水路閣はあのように今では風景に馴染み、
観光の名所のひとつにまでなっている。
皮肉なものだ。
今そこにある景観は、
偶然や必然やらの様々な要素が絡み合って、
歴史の経過で出来上がったものだということだ。
人の営みや思惑がそこに重なって、
それがそのまま結果となって現れている。
残ったもの、消えて行ったもの。
それもまた、営みか嗚呼。
美術館・ギャラリーランキング
京都府ランキング
フィギュアスケートランキング
↓ブログ村もよろしくお願いします!
にほんブログ村
にほんブログ村
でアップした時、
水路閣を通すことに賛成したお坊さんの話を
「その時歴史が動いた」で紹介して欲しい、
などと冗談交じりに書いたのだが、
この間、京都新聞に南禅寺の大きな特集記事があり、
このことについて少し触れていた。
それによると、南禅寺の僧侶たちは、
水路閣を作ることに賛成した訳では決してない。
当時、明治の初め、周知のように廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。
南禅寺も、お上がその寺院勢力を弱めるため、
水路閣のまわり(南禅寺の境内の裏?)にあった
木々を伐採したりして寺を荒れさせようとしたらしい。
水路閣もそのひとつで、南禅寺の力を弱めるため、
わざとあそこに(寺の景観を潰すため)あのように建てたものだと。
水路閣だけでなく、
もっと他にもいろいろ嫌がらせをされたかもしれないなと思う。
今出川の相国寺も廃仏毀釈のため存続の危機に陥り、
寺宝である若冲の「動植綵絵」を皇室に売った。
相国寺も奇しくも禅寺である。
禅寺が数々の被害を蒙ったのかもしれない。
密教の東寺・五重塔内部にも、
曼陀羅図が削り取られた無残な跡がある。
宗派に関わらず、そういうことが行われたのだろう。
私はあの時期、境内に水路閣を通すという大英断はすごい、
と思い込んでいたが、
決してお坊さんが望んでしたことではなかったのだ。
自分の軽はずみな解釈が恨めしいというか、
反省しなくてはなるまい。
私は自分の間違いを認めることにはヤブサカではない。
明治のお坊さんにとって、
あの水路閣は悔やんでも悔やみ切れない、
自分たちの寺を汚された象徴みたいなものだったかもしれない。
しかしそれも今や時のいたずらで、
水路閣はあのように今では風景に馴染み、
観光の名所のひとつにまでなっている。
皮肉なものだ。
今そこにある景観は、
偶然や必然やらの様々な要素が絡み合って、
歴史の経過で出来上がったものだということだ。
人の営みや思惑がそこに重なって、
それがそのまま結果となって現れている。
残ったもの、消えて行ったもの。
それもまた、営みか嗚呼。
美術館・ギャラリーランキング
京都府ランキング
フィギュアスケートランキング
↓ブログ村もよろしくお願いします!
にほんブログ村
にほんブログ村