伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

サミット落書

2008年06月30日 | 一般のニュース
終った…。外相会議。

京都は狭いから、市の上空にヘリが飛ぶと、
どこででもヘリ音が聞こえるのでその道中のうるさいこと。

京都は今は観光のオフシーズンなので、
観光客はあまり多くないが、
その代わり5月ころから修学旅行のシーズンなので、
最近は町で修学旅行生をやたらに見かける。
外相会議にかぶった修学旅行生がいたら
ちょっと気の毒なことだ。


本サミットが京都で開かれなくて良かった、
もしサミットが7月にあるなら祇園祭とかぶってしまう。

そうなったら京都市内はもう大騒ぎどころではないかも
…と思っていたら、
京都の財界の人たちはまだ京都サミットを諦めていなくて、
8年後には是非よろしくと各国の外相たちにアピールしたらしい。
懲りない面々だ…。

知事の山田ちゃんが、
8年後には大統領や首相となってまた(京都に)来て下さいと挨拶したという。
何をか言わんや…。



それはそうと、
フィレンツェの大聖堂で京都産大の学生が落書をしたのがニュースになった。

フィレンツェの大聖堂って、
サンタ・マリア・デル・フィオーレ、
…あの有名な「花の聖母寺」のこと?。

あのフィレンツェの象徴として有名な、あれ?
フラ・アンジェリコだったかの壁画のある?
えらい恥さらしなことをしたもんだ。


この前、立命大生がやはり落書をしたのをこのブログで話題にしたと思う。
最近の大学生は随分程度が低いようだ。

というか、
私はどうも落書という行為に関してすごく敏感なようだ。
こうして何度も取り上げてるのだから。

それと言うのも、
おそらく落書という行為が
「幼稚な自己顕示」だという思いがあるからだと思う。


しかし落書は今に始まったことではない。

イースター島のモアイにも日本人の落書があったそうだが、
鳥取県だか島根県だったか忘れたが、
絶壁に建てられている有名な国宝のあの「投入堂」の、
あのお堂にも夥しい落書があるというのを、何かで聞いたことがある。
見たのだったか。


断崖絶壁にへばりつくように建てられているお堂だから、
滅多なことでは行けない。
命がけで行かなければならない。
そんな所に落書をしてある。
こんな困難な場所に辿りついた、
という記念に書いたものなのだろう。


今では投入堂は確か人数制限か、
限られた時にしか行けないようになっているようだから、
昔、自由に行けた時に書かれたものだ。
昔から馬鹿はいたのだ。
落書きをすると、ただでさえ細い、
そして古いお堂の木材が弱るらしい。


てめえの記念に書くな、このエゴイストのとんちきが。
と怒りたくなるが、
前に東大寺の大仏についての番組をNHKで放送していたことがある。


その時、大仏の背中(後ろ)の真上から大仏を見る、
という試みがあって、大仏の後ろのやぐらにカメラが入り、
番組のレポーターがそこから大仏の裏がわを見た。

やぐらというか、大仏の後ろの狭い建物の中の、
開いている窓のようなところから大仏を見下ろす。

その、足場の組まれたやぐらに、
これまた夥しい落書がしてあるのだった。
私は大仏の背中よりも、
カメラが偶然にとらえたその落書の方に釘づけになった。



この大仏の裏側は滅多なことでは行けない。
特別な機会にしか行けない。
けれど来たことのある人が、
そんな所に来た記念に書いたものなのだろう。

てめえの記念に書くなこの野郎、と怒りたくなった。
カメラが必死で落書を避けて映そうとするが、
私の目はその見苦しい落書を見逃さなかった。


辿りつくのが困難で、滅多に行けない場所だからこそ、
「記念に」思わずそこに落書をしたくなるのかもしれない。

記念に書いて、何がどうなると言うのだろう。

年を取ってから再びそこを訪れて、
若い時に馬鹿なことをしたなあと感慨に耽るために落書きをするのか。
それとも、あとから来る人に見せるためなのか。
見せてどうするというのか。
どうも人のこの心理というものは不可解だ。


記念というなら、普通は、
滅多に行けない場所に行ったという証拠を持ち帰るのが普通ではなかろうか。
即ちお土産を買うとか。


ここまで考えて、
エベレスト山に登ったらそこに日の丸を置いて来るとか、
南極大陸へ行って日の丸を置いて来るとか、
月へ行って星条旗を置いて来るという類いの
「記念」のつもりなのかもしれない、と思うに至った。

そう思うと、落書きが、
ますます「幼稚な自己アピール」以外の何物でもないことがよく分かる。
自分と、人類の偉大なことを成し遂げた人とを同類に考えるなよ愚か者。
幼稚なというか、幼稚園児そのものだ。


くだんの産大生はいたく反省しているという。
反省するくらいならしなければいいのに、かっこの悪い。

でも、彼らは落書きをすることが
そんなに悪いとは思っていなかったのだろう。

大聖堂には他にも各国の人々の落書がある。
だから自分たちも書いても良いと思ったのではないか。
落書が犯罪であるとすら思っていなかったのだろう。


しかし犯罪だとか言う前に、
自分の程度の低さが露わになる落書をしたらかっこ悪いとか、
恥ずかしいと思う心がないのが気になる。




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人形に興味

2008年06月26日 | 人形
最近再び人形に興味を持ち始めた。

長いこと人形者をやっていると、波があって、
人形に興味を失ったり、また欲しくなったり、
いろいろ気持ちが変わることがあるのだ。

でも、根っこには共通する興味そのものは変わらず、
その間で、その時はこれに揺れ、
また別の時には他のものに興味が向く。

人形に向くことが何年ごとだとかの法則はなく、
その時の気まぐれで人形から遠ざかったり、
戻って来たりする。

人形から遠ざかっている時はブツゾーに関心を寄せていたり、
美術に心を奪われていたり、
様々なものに興味が移っている。

現在は何年ぶりかの(?)周期で、
興味が人形に戻って来ているようだ。
何年ぶりという大きな周期でなく、
小さく波が寄せたり、
返したりすることもあるけども。


ともあれこういう風なスタンスの方が
長く人形と付き合えるのではないだろうか。

何事もシャカリキになるのでなく、
まったりと自分のペースでマイブームと向き合う方が良い。


関係ないがここでシャカリキと入力したら、
釈迦力と変換した。
うーん、そんな字だと始めて知った。
人生、日々勉強だ。
ちなみに新明解には載っていなかった。


さて人形に興味が戻って来たきっかけは別になく、
強いて言えばFRのグリッターシリーズか。
ちょっとしたことで、興味が舞い戻るものだ。

もともと私は人形ならひととおり興味を持つタイプなので、
人形に対しては幅広者だと言って良いだろう。


自分の勝手な感覚として、
SDとかブライスを好きな人は、
基本的に人形そのものには
もともとあまり興味がないのではないかという気がする。


SD好きは多分ペットとかたまごっちが好きなタイプで、
自分の子供にへんてこな漢字の名前をつけて喜ぶゆとり親タイプ。

ブライス好きは最新ファッションが好きで
流行しているものなら何でも追うタイプ。
ブランドが大好き。
そんな人らがたまたま流行っている人形に目を向けただけという気がする。


私のような、心底人形馬鹿とは根本的に違うのだ。

私は新たなメーカーが人形市場に参入したとか、
あのメーカーが新しい人形を出したなどと聞くと、
すぐにそわそわしてどんなだろうとワクワクする。

新人形の情報を知りたがり、
買わないのに、画像でどれどれと吟味してみる。


その結果、買わない方が圧倒的に多いのだが、
それでも新しい人形がどこかから出ないかといつも期待している。
どんな大きさでも構わない。
とにかく、
人形と名がつけばとりあえず見たい、知りたい、買いたい。


それはなぜかというと、最近思うのは、
自分には究極の理想の人形のイメージが脳内に厳然としてあり、
それは未だにどのメーカーからも出ていない。

その自分の理想の人形が、
今度こそあのメーカーから出るのではないか、と、
それを期待して、
いつも新しい人形が発売されるのを心待ちにしている。
…のではないか。と。


そして、ひょっとしたらその理想が高すぎて、
メーカーから出される新たな人形を見ては、
あれは駄目、これもいらん、こっちのはありえん、
と、やたらに難グセをつけてばかりいるのではないだろうか、
と。


で、もし理想通りの人形が出て、そしてそれを入手出来たとしたら、
私はそれでもう人形を買うのを止めるのだろうか。
それが現在の疑問だ。



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平安神宮の花菖蒲

2008年06月12日 | 京都の社寺と文化財
先日は、脳天気な、
お人形のことでも書こうと思ってブログを開いたのだけども、
重大な事件が起って、つい余計なことを書いてしまった。

あまり推敲もせず舌足らずな考えを晒してしまい。
すごく生意気なことを書いた…。
偉そうなことを言えた義理でもないのになあ。
こういう時は本当に自分の意見を言うことが恥ずかしいね。


ただ現実に起ったことを無視してお人形のことを書こうと思うと、
どうしても心苦しいという思いが拭い去れない。

そこで現実の事件を自分なりに受け止めてから、
自分の好きな世界に入りたいという思いがあって、
人形の世界とそれに対立する現実世界、
というのは人形者と自称している以上、
常に私の命題としてあるのだ。





心が荒んだ時には、
花を見るのが慰みになって良いのではないだろうか。

さる日、花菖蒲と睡蓮が美しい平安神宮へ出かけた。
それはたいそう美しくて、予想を越えて見とれてしまった。


平安神宮といえば、
京都人はケッ、と言って無視するような、
コアな京都人ほど絶対に行かない名所だと言っていい。
私もそうだった。

でも、平安神宮の庭園は確か、
小川じへいの作による名庭と言って良い庭。

広大な敷地に3つも4つも池があり、
それはそれは見事なもの。

近くを流れている疎水から水を引いているので、
琵琶湖に生息する魚がここにいる。
1度か2度ほど行ったことがあるような気がするのだが
全然覚えていない。




ところで、自分の撮った写真を見たら、
菖蒲を撮るのがあまりにも下手クソなのでうんざりした。
睡蓮は結構きれいに撮れたと思うのに、
花菖蒲のこの酷さは何なのだ。
まだまだ精進しなければならぬ。






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残念な事件

2008年06月09日 | 一般のニュース
また、残念な事件が起きてしまった。

月曜の新聞が休みの時に限って何か起こることが多い。

前の日(日曜日)の新聞に、
ちょうど永山則夫の事件について書かれていた。

それは偶然だと思うが、
あの事件が言わば通り魔事件の走りのようなものだったと思う。

永山が事件を起したのは、
青森から集団就職で東京へ出て来て、
そうしてそこに自分の居場所がないことにいらつき、
低学歴へのコンプレックスなど、
鬱屈したものが溜まって行ったことから引き起こされたもの、
と、解釈して良いのだろう。


この構図は、今回の事件と何ら変わっていないと思う。
もちろん低学歴や極貧の問題は現在の状況とは違う。

けれどもそういった状態から引き起こされる
若者の疎外感や鬱屈した感情の、
行き場の問題はそう違わないのではないかという気がする。


日曜の新聞にはもうひとつ、
映画「靖国」の騒動から見える排除の論理について、
右翼の人が文を寄せていた。
自分と相容れない意見の者は排除する、
最近のそういう傾向がこわいと。


他人に寛容さがなくなっていくのは、
その人の住んでいる世界、
生きている世界が狭ければ狭いほどそうなるので、
その傾向が強くなる。
つまり視野が狭いのだ。

狭い世界でしか生きていない、狭い世界しか知らない、
だから視野が狭くなる。
だから違う意見を許せなくなる。

永山則夫は、無知が事件を起した、と言った。

「無知の涙」を私は読んでいないのだが、
あのころ、文庫本で多数売られていた。
今でも売っているのだろうか。


このような事件は今後もっと増えるだろう。

永山則夫の時代よりももっと若者は我慢することをしなくなっている。
我慢出来なくなっている。

親の教育にもよるだろうけれど、
世の中が便利になって行って、
チャンネルを変えに立つことなく、
スイッチひとつで画面を変えられるテレビや、
食べ物が暖まるレンジ、お尻まで洗ってくれるトイレ、
何でもスイッチひとつで自分の思いのままになる家電製品に囲まれていると、
自分の人生もスイッチひとつ、
自分の考えひとつで思いのままにならなければ我慢出来なくなるのだ。


もっと自分の生活している世界のその向こうを見て、
もっと違う考えがあること、
思いのままにならないことがいくらでも世の中にはあるのだと言うことを、
そのことで、先達も、人間の多くが、
殆どの人がさんざん悩んで来たのだということを、
若い人には知ってもらいたいなとおばさんは思うのだった。


挫折したり、
そこからなかなか立ち上がることが出来なかったり、
自分の思い通りにならないことこそが普通なのであって、
みんな思い通りにならないから、
それを何とか自分の中で折り合いをつけようとする。
折り合いをつけながら生きていく。
折り合いをつけることが、人生を生きることだと言ってもいい。
そういうことが、人生を生きているとだんだん分かって来る。


若い人は、
若いくせにもう人生をすべて分かったような理屈を述べるが、
実は何にも分かってないのではないだろうか。
事件の報道を見ながらそんなことを考えた。




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FR ルチアZ

2008年06月04日 | 人形



突然ですが、Fashion Royalty のルチア(グリマー)です。
これはもう、何かすごいんだ。

私の中ではインテグリティは、実はもう終ってた。

FRが出始めた時(シックエスケープ・ヴェロニクなどの時)は
おお、すごい、と思っていたのだけれど、
それがだんだんエスカレートして行って、
だんだん調子に乗りすぎの感じが出て来たあたり、
あと、確かに凄いけど自分の好みと違う方向だったり、
自分の感覚にフィットしなかったり、
そういうことが多くて、
わりと早くにここは駄目だなと思うようになった。



何よりドレスつきのドールが高い(ほら出た)。

そしてデザイン(ヘアスタイル)がおばさんぽい。
ドールがおばさんぽいから、
ドレスもおばさんでも構わないのだが、
でもおばさん指向だから高い。

いくらドール本体が魅力的でも、
好みでないドレスやヘアスタイルで、
その上高ければ、
たとえクオリティが高くても手を出す気にならないのだ。


ミサキの方も、顔は可愛いのだけど、
ヘアスタイルやメイクがどうも好みでなかったり、
ドレスがしょぼい。というか、
どうもドレスのデザインがどれも今いち。

そんなわけで、インテグリティにはかなり盛り下がっていた。
実力はあるのになかなか好きになれない。という感じだった。


で、今回のミサキでない、その上のFRライン。
メタルシリーズ(?)は、今回もやりすぎ感があって、
ネタに走っている傾向があった。

のだけど、何度も見ているうちに琴線に触れたと言うか。
だんだん、すごいけど良い、と思い始めて来て。
それでついに、ルチアを買った。





今回のこれはすごいと思う。
やりすぎ感があるが、良い感じで突き抜けている。
ルチアは、何だか歌舞伎の隈取のようだ。
でもこの隈取が癖になる。良い。


何より良いのは、変なドレスを着ていなくて、
ビスチェのようなものだけ身につけていて値段を押えている点。
それでいて、メイクが凝っている。
凝っていて美しい。

同じシリーズのヴァネッサもキヨリも良いので欲しくなった。

だけど、ヴァネッサはエラが張っていて、
カクカクしたゴリラ顔だし(失礼)、
キヨリは髪がシルバーだ。
シルバーヘアもきれいなのだが、
私はシルバーヘアと相性が良くないみたいなのだ。
キヨリのは最早シルバーと言うより白いしね。


そんなわけでルチア。
見るたびに怖い。こわいのに止められない。

箱を開けるたびに
「怒ってるんですか、姐さん」と呟きながらも、
こみ上げる喜びを押え切れない私がいる。




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