伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

祇園祭の話題

2010年06月30日 | 祇園祭
祇園祭の大船鉾が再建される見通しだという記事が
京都新聞に出ていた。
大船鉾とは、現在休み山(鉾だけど…)で、
幕末の蛤御門の変によるどんど焼け(元治の大火ともいう)で
焼失した鉾のことだ。

祇園祭の山鉾は現在32基あって、
それ以外に3つ休み山があり、
その一つが大船鉾なのだ。

32基の中に船鉾があるが、それは出陣の船で、
休んでいる大船鉾は凱旋船鉾とも呼ばれる。
形は両者はほぼ同じだったという。
いずれも神功皇后が朝鮮征伐に出かけた時の故事をもとにしている。

現在、朝鮮征伐と言うとどぎついので(?)、
祇園祭の巡行の時には、
解説ではぼかして言われるのがふつうだ。
どこへ行くとも言われないで、
ただ神功皇后が海外に出陣した時の…などと語られる。
ええい、はっきりと言え、はっきりと。
といつも思う。
京都には在日が多いのでぼかされるのだろうか。
という私の推測だが。


そんなことはどうでも良い。
その大船鉾が再建の準備に入ったというのだ。

もともと懸装品や舵や金幣などは残っていて、
宵山の時に飾りつけだけされていた鉾である。
お囃子も今では復活していて、宵山の時に披露されている。
焼失したのは鉾の外枠なのだろう。

そんなのすぐに再建出来そうなものなのにと思うけれども、
でもなかなか復活するまでは大変なようだ。
まず檜などの上等の木が必要だ。
お金がかかる。
それに外枠さえ作れば良いというものではない。

お囃子を恒常的に鳴らしてくれる人が必要だ。
世話役も必要だ。
鉾を引く曳き手も手配しなければならない。
とにかく人手がいるので、それが再建のむつかしさだろう。
町内にはほとんど人が住んでいないとも聞く。
でも、再建は難しいとも聞いていたし、
それが今こんな時代に復活の話はとても喜ばしいことだ。
実現したならどんなに素晴らしい眺めになることだろうか。


でも巡行の順番はどうなるのだろう。
船鉾は先祭の最後でくじ取らず。
凱旋船鉾もくじ取らずになるのだろうか。
とすれば、船鉾の次に巡行するのか。

33基ともなれば、時間がだいぶかかるだろう。
今でさえ、先祭と後祭の両方をいっぺんにやるので
とても時間がかかっている。
それが一つ増えたら、
それだけでかなり長い時間がかかるようになるのではないか。
いっそ昔のように先と後と2回に分けて巡行したら良いのではないか。

などと、今から一人でくよくよと心配しているありさまだ。
京都新聞には、
既に何回かこの大船鉾の話題がカラーつきで紹介されており、
再建ムード満点だ。
期待が脹らむのも無理はないだろう。


休み山のほかのものは鷹山と布袋山という名前だ。
鷹山には3人のご神体があり、
布袋山は文字通り布袋さまがご神体。
どちらもご神体以外はほとんど焼けているらしい。

鷹山には染色家の皆川月華が復興を願って見送りを寄贈した。
それなので、
個人的にはもし復活するとしたら鷹山だろうと思っていたのだが。
鷹山の復興はむつかしいのだろうか。
いっこうに復活の噂が聞こえて来ない。
皆川月華氏の努力が無駄にならなければ良いのだが。




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6月

2010年06月09日 | 日常生活・つぶやき
6月になった途端に、祇園祭のお稚児さんが発表される。

これは毎年恒例で、今年も発表された。
毎年会社の社長の息子など、ええとこの坊ちゃんが選ばれる。
お稚児さんはお金がかかるからだ。
そして我々は、もうそんな季節になったのだなあと
たじろぐのが毎年の恒例になっている。


また6月になった途端にスーパーでは水無月が売られ、
ハモが売られるようになる。
ああやっぱり6月だ。
でも心がついていってない。
まだまだ春のつもりである。


ここで我々一般市民も(私だけかも)、
祇園祭の心の準備に入らなければならない。
祇園祭までもう1ヶ月しかないぞ、と言い聞かせるのだ。
7月に入れば行事がもう目白押しで、せわしなくなる。
もうホントにせわしないから、
心がふわふわして落ち着かなくなり、
心ここにあらずという境地になるからだ。

今、この心のゆとりのある時にもうすぐ祇園祭だぞ、
もうそんな季節なのだぞ、
と祭の前の心持ちを確めるように楽しんでおくのだ。


カレンダーを見ながら、
今年の山鉾巡行は土曜日だ。
行きたいなあ。
沢山見に来るかなあ?
でもテレビで巡行を見るのもなかなかいい。
だけど空気の読める、
テレビ画面とシンクロした解説者にして欲しいよなあ。
今年はあの山鉾を攻めたいなあ。
あそこには行ったことがないからなあ。
去年は具合が悪くてさんざんだったよ
…そんなことを考える。
そうやって、
期待を高めて祇園祭本番に突入しなくてはならない。


6月というのはそういう季節である。

各家の玄関先にはそろそろ紫陽花の花が咲いている。
雨は今年はまだまだだけれど、
花は季節を知っていてちゃんと咲き始める。

旅館の玄関に飾ってある紫陽花の鉢植えは、
あれは一年間ちゃんと育てて、
ちゃんと水やりなどしたものなのだろうか。
知らない間にいつの間にかいきなり咲いている。
それともリースなのだろうか。
紫陽花を咲かせている家も多いけれど、
育てるのが簡単なのだろうか。
ガクアジサイも、見慣れると可愛いもんだ。
初め見た時は歯抜けみたいでへんな花、
と思ったけれど。


まあでも何と言っても6月といえば水無月を食べなければ。
黒蜜仕立てのものがあって、それが美味しいんだ。
抹茶水無月というのもある。
最近では一年中食べられないこともないのだけれども、
それでもこの季節に食べるのがやっぱりぐっと来る。
水無月を食べた、という気になる。
水無月を食べて祇園祭を待つ。
これが良い。

我が家では爪楊枝の変わりにフォークで食べるのだが、
邪道だろうか。




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ロシュフォールの恋人たち 2

2010年06月04日 | 映画
最近、
調子がもうひとつ出なくて(ここずっと一年近くそうなのだが)、
そのおかげでキーボードを打つのも朦朧としており、
前回書いたものを読み返してみるとひどい。
書きたいことが適切に書けてない上に、
間違いもひどい。
だからと言って直す気にもなれない。


でもあまりにもひどいので、書き忘れたこともあるし、
もう一度追加で新たに「ロシュフォールの恋人たち 2」として
書くことにした。


まず、「烏丸五条の看板」というのがもう間違いだ。
それは烏丸ではなくて、河原町だった。
河原町五条の交差点の脇に、その大看板は設置してあった。

私の頭の中の記憶では鮮烈に残っていて、
あそこにあったんだよなあ…
と思いながら、
キーボード上では間違ったことをタイプしている。

まあ、間違いを気付かれることもないだろうから
いいようなものだけど、でももし、
あのころの京都市下京区を知っている人がこのブログを読んだら、
…ただでさえ訪問する人が少ないのだからあり得ないだろうけれども…、
でも万が一、そのような人が前回のものを読んていたら、
さぞ混乱したことだろう。


河原町の交差点の看板は、映画の宣伝だから、
新しい映画がかかるたびにその内容が変わる。
新作映画の上映のたびに新しいものが描かれる(或いは貼られる)。

その中でなぜかしら、
「ロシュフォールの恋人たち」がそこにあったことだけを
鮮烈に覚えているのだ。
もうひとつ、「天地創造」という旧約聖書を映画化したものが
描かれていたことも覚えている。
覚えているのはなぜかその2つだけなのだ。
それが不思議だ。
子供のころの記憶だから曖昧なのかもしれない。


本当にロシュフォールがそこにあったのかどうか。
こんな頭だからはっきりとそうだとは言えない。
私の思い違いか記憶違いかもしれない。
ただ「天地創造」だけははっきりあったと思う。
そのころはまだ映画なんてよその世界の出来事だと思っていただろうし、
意識して見ていなかったのだろう。
「天地創造」を覚えているのは、
キリスト教系学校に行った私の姉の影響があるような気がしている。


「ロシュフォールの恋人たち」についてはもう一つ、
主題歌の双子の歌、
例の「ミファソラーミレ、レミファソソソレド」というメロディを
なぜか強烈に覚えている。
それは、40数年前から今の今まで、記憶から外れたことがないのだ。


40年前、どこでその歌のフレーズを覚えたのだろう。
テレビで映画の宣伝をやっていて、
それを見て覚えたのだろうか。
テレビで本当にやっていたのだろうか。
分からない。
ともかく、音階が歌詞になっているので覚えやすいのは事実で、
一度聞いたら誰でも覚えてしまうはずだ。


覚えやすい歌詞だから覚えているのだろうけど、
それでもそれがずっと脳髄のどこかにこびりついていて、
40年経っても「ロシュフォール」といえばああ、
ミファソラーミレだな、と思い出すというのは、
何だかとてつもなくすごいことのように思う。

それだけではない。
歌と共に踊っているドルレアック・ドヌーブの姉妹の姿が記憶にある。
クライマックスの赤いラメドレスで歌い踊る彼女たちの姿も
記憶になんとなく、ある。
どこでそんなものを見たのだろう。
やっぱりテレビなのかなあ。
それとも、見たと思っているだけなのか。
不思議でしようがない。


前回、「ロシュフォール」のドラマ部分、
お芝居の部分はコントだと書いたけれども、
確かにそうに違いないと思う。

踊りや歌がひとしきり終わると、
映画は広場の真中にあるシースルーのカフェへと画面が戻る。
そのカフェの経営者が双子のお母さんで、
ここを中心に話が進むのもリフレインと言う意味で、
コントっぽい。


「お嬢さん、下着が見えてますよ」と
ドルレアックが何度も言われるというヘンなジョークっぽい部分、
突然バラバラ殺人の話題が出て来るブラックな部分も、
コントだと思って見ると、何となく納得出来る。
ドヌーブがなかなかお目当ての男性に会えないという
じらしもコントだと思えば分かるのではないか。


現在、踊りといえば
ストリートダンスが主体になっているように思うけれども、
あの頃はバレエを基本にしたモダンダンスが主だったのだろう。
前回、「シャボン玉ホリデー」を思い出すと書いたが、
日本のテレビ番組がああいう踊りを取り入れていたということは、
世界中でああいう踊りが中心だったのだと思う。

姉妹が歌い踊っているところが何となく記憶にあったが、
実際に「ロシュフォール」を見てみると、
そんなこととは別にして、新鮮に見ることが出来た。






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