伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

祇園祭2024・後祭宵山へ行った

2024年07月24日 | 祇園祭
祇園祭、後祭(あとまつり)の山鉾巡行が行われた。

後祭の巡行は一度行っただけなので今年は行こうかな?
どうしようか…と迷ったが、結局テレビで中継を見た。

11時20分頃にはしんがりの大船鉾が河原町御池を通過して行ったが、
昼過ぎくらいに雨が降って来て、たちまち大雨と雷がすごくなり、
ゲリラ豪雨に…。
山鉾はどうなっただろうか、と心配になった。


後祭の山鉾巡行は前祭の巡行とは逆のルートで行われる。
まず烏丸御池に集まり、
そこから河原町御池→四条河原町→四条烏丸、と進む。


河原町御池での最初の辻回しの地点では、
11時過ぎにはすべての山鉾11基が無事通過した。
しかしそこから会所へ戻るにはまだまだ時間がかかる。
大雨に降られたのではないか。

山鉾の中には雨を予測してビニールをかけているものもあった。
鯉山は懸装品すらかけず、山の四方を黒い覆いで覆って、
懸装品なしで巡行していた。予め雨の予想をしていたのだろう。


が大型の山鉾などはビニールをかけずそのまま巡行していたものもあった。
朝の時点では雨の気配はなかったから。
しんがりの大船鉾もビニールなしだったはず。
(船尾にはかけていたようだが)
突然の大雨に備えはしてあったのだろうか。
懸装品が雨に濡れれば一大事だ。無事であることを祈るばかり。
(四条通でゲリラ豪雨に遭遇したようだが・・・)


そんなわけで後祭の山鉾巡行には行かなかったが、
宵山(正確には宵々山)へはちょっとだけ行って来た。
暑い中なので、すべて回るとへばると思い、少しだけにしたが。

後祭の山鉾は(四条より南に位置する大船鉾を除き)
三条通近辺に集中しているので、まず地下鉄で烏丸御池まで行き、
そこから下がることにした。


地下鉄烏丸御池駅を出たすぐのところにはNHK京都放送局がある。
そこをまず訪問することに。
入り口には「光る君へ」の主人公たちがお出迎え・・・





中に入ると祇園祭仕様になっており、山鉾マップが飾ってあった。
チコちゃんシールや、おじゃる丸シールなどを手に入れてご機嫌(^^♪
中には「光る君へ」の登場人物たちのアクリルスタンドも飾ってあった


そして烏丸御池から南へ行き、姉小路を西へ進む。


あちこちのウィンドウに祇園祭マップを発見した。
前祭、後祭の山鉾両方とも掲載されていて、
それぞれの御朱印やマークなどで位置を記してある。
とても分かりやすく、そしてしゃれた地図だ。


烏丸通から西へ歩き室町通へ行くとまず役行者山がある。


役行者山は文字通り修験道の役行者が御神体の山で、
巡行では先頭でほら貝を拭いていたのに驚いた。
山鉾巡行の際の音曲は祇園囃子だけではないのだ、と



宵山では見送りがすでに飾られていて得をした気分になった。


会所へ入る入り口には茅の輪が作りつけられていて、
輪をくぐり中へ入る。


巡行で使う懸装品がガラスの中に飾られている。



役行者山には役行者だけではなく3人の御神体人形がある。
一言主神と葛城神という二人の神も御神体にしていて、
奥の祭壇?に3人とも祀られていた。
巡行当日には3人とも山に乗せて巡行する。



三条通へ行くと鷹山があった。


鷹山は近年復興を遂げた山である。
江戸時代後期に途絶えてから長い間、巡行復帰が悲願だった。
様々な努力、尽力を経て約190年ぶりに2022年に復帰することが出来た。



鷹山を見るのは初めてなので感慨も一入だ。
屋根は他の山のように黒くなく白木でとても新しい。
駒形提灯も立派について他の鉾と遜色がない。
よくぞ復興したなと…。
宵山期間には山に上がることが出来、見学も出来る。




近くの店?に懸装品が飾ってあった。

中へ入ると、鷹山の3人のご神体が飾られていた。
鷹山は鷹匠の山なので、
鷹を持った鷹匠と、狩りの時利用する犬を連れた犬飼、
そして粽を食べる従者の3体の御神体人形がある。


鷹山は幾度もの火災などに被災し消滅したが、
御神体人形は一部が残され、補修を重ねて今に伝わったという。


見送りは休み山であった当時、
再建を祈願して皆川月華が作成し寄贈したもの。
これが活用される時が来たことが、感慨深い。
故皆川月華氏もさぞや喜んでおられるだろう。



鷹山は本巡行の際、
屋根の一部が落下して関係者二人が怪我をしたそうだ。
軽傷なら良いが…。



室町通を南下して大好きな黒主山へ行く。
ここは桜を見上げる大友黒主が御神体で、
黒主という名から黒に拘っている山である。
宵山の期間、山を囲う埒(らち)という木枠も黒だ。




会所の中へ入ると上を向いている大友黒主の御神体が見られる。
巡行の時には黒主の前に桜の木が置かれ、桜を見上げる形になる。


狭い中に人がいっぱいで、黒主山の係の人が説明をしていた。
人のよさそうなおじさまの後ろにはカラフルで立派な懸装品が。
前掛け、胴掛け、見送りが飾られている。



巡行当日はこの飾りつけを山の本体に纏わせて巡行するのだ。


黒主山からさらに室町通を下がって
待望の大好きな鯉山の会所へ行った。



鯉山の御神体は大きな鯉の木彫で、左甚五郎作と伝わる。
(多分嘘だろう💦)


鯉山の懸装品は前掛け、胴掛け、見送り、
すべて重要文化財に指定されている。
ベルギー製のタペストリーで「イーリアス」をテーマに描かれている。


巡行の時は(普段は)復元新調されたものを使用するが、
この宵山期間に会所で飾られていたのは、
かなり褪色が目立っていたので本物の重文のタペストリーの方だと思う。



ずらりと並んだタペストリーは圧巻の一言。
とくに見送りは見応えがあり、
一級美術品を間近で見られて感動した。

精緻な織にずっと見ていたくなる。



最後に黒主山から少し東へ戻った場所にある浄妙山へ行った。
宇治川の合戦を描いたアクロバティックな山だが、
会所飾りはマンションの1階にあり、住人以外は入れない。


それで玄関の外側から写真に撮った。
奥に宇治川の合戦で一番乗り争いをした
筒井浄妙と一来法師の御神体人形が並んで飾られていた。
巡行時は、一来法師が浄妙の頭に手をつき宙を舞う、
アクロバティックな姿を再現するのだ。



この浄妙山を最後に見て帰ることにした。
橋弁慶山など見ていない山鉾があったが、力尽き、
ここでお終いにすることにした。
また来年だ(腰の調子次第で…、行けるなら、だが)


後祭の宵々山なので人出は少ないだろうと思っていたが、
思ったより多かった。
前祭の宵山ほどではないものの、散策している人は多くて、
祇園祭のムードは前祭と何ら変わらないものだった。



店も多くあって、祇園祭グッズを売っている店もある。
山鉾の位置を描いたハンカチを売っている店があってディスプレイされていたり。

後祭だから寂しいかと思っていたがそんなことは全然なかった。
とても賑やかで祭のムードも盛り上がっていて前祭と遜色なかった。
見応えのある山鉾ばかりだし、後祭もいいものだ。





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前祭山鉾巡行2024、その2

2024年07月23日 | 祇園祭
祇園祭はもう後祭になっていて24日は後祭の山鉾巡行だ。
後祭の宵山へも行って来たのだが・・・

この前(17日)は、前祭の山鉾巡行を見に行って、
四条河原町ではなく、山鉾が帰って来る場所、
四条新町へ行き、山鉾が各町内へ帰る所を見て来た。

が新町通りに船鉾が現れた時点でレポートを突然終えてしまった💦。
(力が尽きた)
今回はその続き。


何しろ目の前で鉾を見たら迫力がすごく、
祇園囃子も大音量だし、鉾が動くギシギシ言う音、
それらに圧倒されつつ、のけ反りながらスマホを向けていた。

夢中でスマホのシャッターを押し続けたので
ライブラリーには大量の似たような写真が残されていた。
それを選別するのに時間がかかった💦。


新町通はとても狭いので、すぐ目の前を鉾が通る。
鉾との距離がとても近い。鉾の曳き手の人にぶつかりそうなくらいだ。
なおさら迫力を感じざるを得ない。



(四条)室町通りの南側には車輪にトラブルがあり、
途中で引き返して会所に戻った鶏鉾が建っていた。
ちゃんと建っているのに少しは安心した。
見送りの復元新調されたイーリアスのタペストリーも見えた。
来年こそはトラブルを乗り越えて巡行に参加して欲しいものだ。



さて新町通四条上ルで待っていると、迫りくる船の形をした船鉾が。


雨が降らなかったのでビニールで覆われることもなく、
すべての装飾が日の下で間近に見られて豪華絢爛だ。
船の舳先につけられた架空の鳥「ゲキ」も金色に輝く。


目の前を通る鉾は大迫力…



鉾を曳く人、音頭取りの人、囃子方の人、車方の人、
疲れもいとわず巡行を最後までやり遂げようという精神の強さに感動する。



船鉾の後ろには黒漆塗りの大梶が施されている。
これも船鉾の特徴だ。





新町通は巡行を終えて各町内へ帰ってゆく山鉾が通る道だが、
鉾は通るが山はほとんど通らない。
山は身軽に動けるので、新町通まで行くことなく、
途中で自分たちの町内へ帰ってしまうからだ。

そんな中で唯一郭巨山だけが四条通まで進んで来た。


舁き山の中で唯一屋根のある郭巨山の町会所は、
四条通西洞院にあるため、新町通を通って帰って来たのだ。


新町通ではいよいよしんがりを行く放下鉾がやって来た。



放下鉾の会所は新町四条上ル、
巡行の順番は放下鉾のあと岩戸山が続き、
本巡行のしんがりは船鉾が務める。
が、岩戸山と船鉾は新町通でも四条より南側に会所がある。
一番南側に(会所が)あるのが岩戸山で、次に船鉾である。

新町通は狭いので、先に放下鉾が会所に着いてしまうと、
そのあと来る岩戸山と船鉾が放下鉾の会所より南にある会所へたどり着けない。


そのため多分広い御池通あたりで巡行の順序を入れ替え、
放下鉾より船鉾と岩戸山などを先に行かせ、
新町通に入る時は放下鉾がしんがりとなるのである。


そんなわけで、新町通でのしんがりは放下鉾となっているのだ。




すぐ目の前を曳き手の人が縄を引いているから、
ぶつからないように見物人は道路の端へ除けていなくてはならない。
狭い新町ならではの光景だ。



放下鉾の音頭取りの人の青い浴衣が遠くからでも目に入る。
沢山連写したがこれでも間引いている(;^ω^)


稚児人形の三光丸くんも見えて来た。



あっという間に目の前を通り、通り過ぎてゆく。
目の前を過ぎる時の車輪のギシギシ言う音と、お囃子の音が響きわたる。



そして見たかった、巡行での見送り「バクダッド」
巡行の時、鉾の後ろにつけて揺られている見送りを見たかったのだ。
この皆川泰蔵氏作の見送りを目にした時は、
これで思い残すことはない、くらいテンションが上がる(>_<)




でもまだこれからなのだ。
やがて放下鉾も会所に辿り着くが、
会所へ着くまでの間に稚児人形の三光丸が
稚児舞「太平の舞」を舞う姿を見せてくれる。
3人の人形遣いが3人がかりで、新町通でも稚児舞を見せてくれるのだ。


三光丸くんは大きく手を広げて、体全体で舞っている。
これを見たかった。
実際に三光丸くんが舞を舞っている所をこの目で見てみたい。
それが叶った瞬間。(´;ω;`)




放下鉾が会所へと進む。
その間も音頭取りの人がエンヤラヤーと音頭を取って統制を取る。
そして三光丸も舞っている。



会所に辿り着く。
会所に着いても、しばらく三光丸は舞を舞い続けてくれる。
大きく手を広げて、太平の舞を見せてくれるのだ。





右へ大きく動いたり、前へ大きくのめったり。
三光丸の太平の舞を現地で生で見られて感激だった。


そうして舞い終わると周囲の見物人たちから大きな拍手。
こうした一体感が狭い中であるから新町での巡行見学は見逃せない。


最後に放下鉾の役員の方が裃姿で
見物人と放下鉾の関係者、曳き手などに向けて挨拶をする。
「今年も無事に巡行を終えることが出来て---云々、」
というような挨拶である。
挨拶が終わったあと、挨拶した人の音頭で、
見に来ている見物人や巡行に参加した役員、曳き手、囃子方、
などすべての人と三本締めをする。




私も三本締めに参加して手を叩いた。
三本締めが終わって初めてこれで巡行がすべて終わるのである。

新町通で人知れず巡行の締めが行われるのがとても好きで、
巡行の終わりを見ることが出来るので、
だから新町通での巡行見学にいつも行きたくなるのだ。





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山鉾巡行でトラブルが!

2024年07月17日 | 祇園祭


7月17日は待ちに待った祇園祭・山鉾巡行の日。
が、朝9時から始まる巡行はテレビで見ることにし、
昼ごはんを食べてから1時くらいに家を出て、
四条新町での辻回しを見に行った。

新町通は山鉾が帰って来るところ。





山鉾巡行は四条烏丸から始まり、四条河原町→河原町御池、
→御池新町と回り、新町通を下へ下がって各山鉾町へ帰るのである。

あそこなら昼ご飯を食べたあと、午後から行っても間に合う。
そんなわけで午前中はテレビの生中継を見ていた。
(KBS京都とBSイレブンで中継していた)


そうしたらなんと、
四条通を河原町通へ向っていた鶏鉾の車輪がトラブル。

車輪の一部が剥がれてしまい、巡行できない状態になったのだ。
こんな光景を見たのは初めてだった。
車輪が動かせないので後続の山鉾にも影響が出る。
このまま巡行が進まないのではないかとテレビを見ながら思った。
こんな緊急事態はこれまでの山鉾巡行で見たことがない。





鶏鉾は四条通柳馬場あたりの道の中央で止まったまま。
進むことも動くことすら出来ないでいる。
山は鶏鉾を除けながら脇から進むことが出来るが、
大きな鉾は通れないのではないか?
鶏鉾は道の中央に止まっている。
横を通り抜けるには狭すぎる。

が、後ろから来た月鉾は屋根方さんたちの努力で
何とか鶏鉾の横をすれすれで通ることに成功した。

後続の放下鉾も鶏鉾の横を通って行った。
鶏鉾の横を他の鉾が通り抜けるという珍しい光景だった。


鶏鉾は車輪に緊急処置をして、巡行を断念して東へ進まず、
西へ向いてゆっくりと戻って行ったという…。
長く山鉾巡行を見て来たが、初めてのことだった。

長い歴史を持つ山鉾巡行、何が起こるか分からない。
とくに部材に古いものを使っているため、いつ傷むか分からない。
こういうことが起きても不思議ではないのだった。

それでも珍しいトラブルだったが、屋根方の人の努力を見ることは出来た。
どんな時でも何が起きても対処出来る巡行に携わる人たちはプロだと思った。


鶏鉾のトラブルで巡行に遅れが出て、テレビ中継は延長してくれた。
KBS京都はグッジョブだった。



テレビ中継が終わり昼ご飯を食べてから、
午後1時半ころ四条烏丸へ行った。
そこから四条新町へ行けば帰って来る山鉾が見られると思ったからだ。



四条烏丸へ行くと函谷鉾がすでに巡行を終えて会所に戻っていた。
前掛けに皆川泰蔵氏のモン・サンミッシェル、
見送りも皆川泰蔵のエジプト天空図だった。
函谷鉾の見送りはテレビ中継では見ることが出来なかったので、
暑い中、巡行を見に行った甲斐があったと思った。




曇り空で午後から一時雨の予報だったので心配したが、
晴れていて雨の気配はなかった。
それよりも暑くて閉口した。
(塩分チャージのキャンディとのど飴をしこたま沢山持って行って
それらを舐めつつスマホのシャッターを押し続けた)
去年までの35度という暑さではなかったからまだマシだったが…。


ただ人が多く、一方通行や左側通行、
鉾が通る時は通行禁止になる所(新町通)があったため、
その都度迂回したり遠回りしたため、
余計に歩き回ったので影のない道路を歩いて汗まみれになったのだ。


ただ雨が降らなかったため、各山鉾は殆どがビニールを被せず、
懸装品を素の剝き出しの状態で巡行していた。
懸装品をすぐそばではっきりくっきりと見ることが出来たのは、
天気が良くなっていたからだ。
それほど暑すぎず、雨も降らないおかげで
山鉾の装飾を間近で見ることが出来たのは幸運だった。



四条新町へ行くと月鉾が辻回しの終盤に差し掛かっていた。
多分3回目の辻回しだったようだ。




月鉾の会所は新町通の辻回しのすぐ先なのですぐに会所に到着し、
そこで三本締めが行われて巡行完了した。
見送りも写すことが出来た。




そのあとすぐに菊水鉾が四条新町に到着し、振りむくと辻回しが行われていた。
人がいっぱいなので上手く写せなかった…。




目の前を通り過ぎてゆく時は大迫力で、
菊水鉾独自の葉っぱ型団扇も良く見えた。





通り過ぎると後ろの見送りも良く見えた。
「深山菊水図」という見送りである。







会所にいる月鉾の横を菊水鉾が通り過ぎたので、
二つの鉾が並行して並んでいるさまを見ることが出来た。





新町通へ戻ると、次に帰って来た船鉾が見えて来た。
ビニールをかけていないので、
帆柱をイメージした旗竿を3本、しっかり立てている。
誇らしげに船尾に立っている旗竿を見るとなぜか感激してしまう。

(突然つづく いつかに💦)





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祇園祭・宵山を少しだけ

2024年07月16日 | 祇園祭
祇園祭の宵山。昼間に少しだけ行って来た。
祇園祭の団扇が欲しかったので貰いに行ったのだ。

四条烏丸を歩いていて、見物客の人たちが団扇を持っていると、
ものすごく悔しい💦。
悔しくて仕方がない。
我ながらさもしいが、祇園祭の記念の団扇が欲しいのだ。
そんなわけで団扇をもらいに?宵山へ出かけた。




四条烏丸を起点に、まず長刀鉾へ。
長刀鉾は嫌いではないがすごく混んでいて、人が並んでいて、
鉾の前では左側通行をさせているくらいに沢山の人だかりだ。
だから長刀鉾は苦手なのだが記念に。







それから四条烏丸を少しだけ上がった西側にある孟宗山へ行く。



ここは竹内栖鳳の見送りがある。
掲げられているのは原作を織にしたもの。



胴掛けも平山郁夫の絵を織にしたもの。
鮮やかな色合いで、これが巡行の時に山を飾る。
こんなふうに近くで懸装品を見られるので宵山飾りが好きなのだ。


烏丸から四条通を西へ行く。
函谷鉾、菊水鉾、月鉾などを外から眺めたあと、
新町通まで行き、目当ての放下鉾へ行く。



水引の華厳宗祖師絵伝がもう掲げられている。素晴らしい。


放下鉾は一番好きな鉾の一つだ。
宵山での会所は無料で見られるからだ。
もちろん浄財としていくばくかの小銭を入れるが、
基本は無料で会所へ上がれる。

函谷鉾も菊水鉾も月鉾も会所へ上がるのには1000円くらいかかる。
でも放下鉾は唯一無料だ。だから好きなのだ💦
疲れた時はそこで一休みも出来る。
しかし今回行った時は何らかのテレビ撮影の最中だった。
3人くらいだが、テレビクルーがいて、放下鉾の人に説明を聞いている。
狭い会所の2階で小さくなりながら人をかき分けて撮影した。




放下鉾のシンボルと言うべき見送り、
皆川泰蔵のローケツ染め「バグダッド」。
今年もこのフクロウに会えてうれしい。



そして放下鉾の稚児人形「三光丸」くん。
放下鉾の稚児人形だけはからくりで(人形遣い二人がかりで)
動かすことが出来る。
(函谷鉾や月鉾、鶏鉾などの稚児人形は動かない。鉾に乗っているだけ)
が、放下鉾の稚児人形は、
長刀鉾のお稚児さんと同じ稚児舞を舞うことが出来るのだ。
だから三光丸がすごく好きだ。

浄財を少し出して写真に撮らせてもらった。



稚児人形が被る冠も展示されていた。
後ろには稚児人形が着る衣装も。
17日の朝、これらを人形に着せ、鉾に乗せ巡行するのだ。


函谷鉾なども外観だけ写真に撮ったが
最後に帰りに月鉾の屋根の裏を今年も撮った。
円山応挙の描いた草花図が見られるはず。




屋台も出ていて人が群がっていたり、
お祭りムードもむんむんだ


コロナがあったり骨折したりして、今年、何年振りかで宵山へ出かけた。
宵山や宵々山へはいつも昼に行く。
昔は友達と夜に出かけたりしたが、
近年は懸装品を見たいため、と
まだ混雑していないであろう昼に行くことにしている。

歩いているうち暑くなり、腰がしんどくなり、
昼でも人がいっぱいでなかなか思うように歩けないこともあり、
早めに切り上げることにした。


四条烏丸付近では団扇を配っていたので、
やっと団扇をもらうことが出来た。
限定なのでタイミングが合わないともらえない。



もらった中ではわかさ生活の団扇が一番良かった。
普通の配られている団扇は骨の部分がプラスチック製だが、
わかさ生活の団扇はなんと、本格的に竹で出来ていた。


裏の山鉾の位置を描いた地図も一番分かりやすかった。



大急ぎでほんの少しだけ昼間に宵山をかじって来た。
歩いているとカメラクルーがそこここでロケをしていた。
大掛かりなものではなく、3、4人のスタッフでレポーターは浴衣を着ていたり。
夏の風物詩・祇園祭をほんのちょっと見て来ただけだが、
それでもあの宵山の大観衆の中の一人になれたことが嬉しくて仕方がないのだ。
やっぱり祇園祭は良いなあ。最高。






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祇園祭・船鉾の曳き初め

2024年07月15日 | 祇園祭
メンバーシップに動画が上がったのでSNSは大騒ぎだが
そこはスルーして…、自分には祇園祭も大事なので…。

スケートっぽくないというかコンテンポラリーな感じだが
(あんまり面白くないコンテンポラリー的な?)
でも編集なしだし正式な仕上がりがどうなるか
創作意欲があるのと、忙しいのが何より。。



------------------------


祇園祭で山鉾が建った直後に行われる山鉾の曳き初めは、
四条通の曳き初めには行けなかったが、
翌日(13日)の新町通の曳き初めへは行って来た。
曳き初めとは本巡行に先がけて山鉾の試し曳きをすることである。


新町通の曳き初めには、
新町通に建つ船鉾、放下鉾、岩戸山の3基が参加する。
以前の合同巡行の時は北観音山・南観音山なども参加していたが、
前祭(さきまつり)と後祭に分離してからは
前祭の曳き初めは3基のみとなった。

新町通の曳き初めは3時ころから始まると聞いていたので、
地下鉄でそのころ四条烏丸へ行き、船鉾を目指した。
曳き初めが3基しか出ないので一番目立つ船鉾を目指すことにしたのだ。

雨が降らないかと心配だったが、幸い曇り空で、雨は降らずに済んだ。
曳き初めには久しぶりに行く。
見物人が沢山いることもあり、相変わらずカメラは満足に撮れなかったが…



船鉾は四条新町下ル、仏光寺通あたりに建っている。
地下鉄四条駅を降りて新町通まで行き、
少し下がると沢山の見物人と共に船鉾が見えて来る。




新町通は狭い通りなので通りいっぱいに鉾が威容を見せていた。
鉾の姿を見るだけでテンションが上がる。
曇り空なのもあり懸装品はビニールで覆われていたが、
巡行まではビニールで保護されていることが多い。
梅雨の真っただ中なのでいつ雨が降ってもいいようにだろう。


弾き初めは本巡行とは違い、一般の人も鉾を曳くことが出来るので、
その曳き手の人たちで狭い新町通がいっぱいで、
身動きが取れないほどだった。



到着した時はまだ音頭取りの人はいなくて、
鉾を曳く縄もまだ準備されていなかった。
待っているうちに準備が整い、音頭取りの人が鉾に乗った。




待つ間は長く感じるし、しんどいが、
この待ち時間も山鉾巡行(の曳き初め)のもしかしたら醍醐味かもしれない。
ワクワクしながら始まる時を皆で待っているからだ。


お囃子が大音量で流され聞こえて来ると、
皆がいっせいにカメラやスマホをかまえてシャッターを切る。
というより、みな動画を撮ってる。
バシバシとシャッター音を響かせているのは私一人だった。






目の前を通る船鉾に向かって夢中になってシャッターを切っていたので、
祇園囃子や音頭取りの人のエンヤラヤーの声、
目の前を通り過ぎてゆく鉾の迫力を感じている暇すらなかった。
つくづく駄目な自分(>_<)


それでも目の前をギシギシと音を立てて動く鉾は迫力満点で、
圧倒された。





何度見ても新たに圧倒される。
それほどの迫力だ。
久しぶりに本物の動く音を聞いたのでよけいすごかった。


船鉾は名前の通り船の形をしている。
他の鉾とは形が違って船そっくりに作られているのが人気の鉾だ。



目の前を通る船鉾にのけ反りそうになりながら、
懸命にシャッターを切った。





動くまではなかなか時間がかかるが動き始めたらあっという間で、
目の前を通り過ぎてゆく時も大迫力なのだ。



後ろからは岩戸山が同じように四条通へ向って動いていた。
見物人で一杯なので岩戸山へは近づけない。
しかたないので今回は船鉾一基だけに的を絞る。


船鉾が仏光寺通から四条通まで上がってゆくのに後ろからついてゆき、
四条通の手前に到着した。
(船鉾の)曳き初めは四条まで上がると、
そこからまた船鉾の会所まで下がってゆく。
辻回しはしないで、音頭取りの人が鉾の後ろ側へ乗って、
後ろへ曳いてゆくという、後ずさりする方法で戻ってゆく。
狭いので方向転換が出来ないのだ。
(四条通の曳き初めも同様)

船鉾が四条通まで進むと、
四条通を挟んで北側には放下鉾が見えた。



放下鉾の曳き初めも見たい。
四条通の北側へ行きたい。
そう思ったが通行止めなどがしてあって、北側へは行けなかった。
そうこうしているうちに放下鉾はさっさともと来た会所まで動き始めた。

船鉾はしばらくは四条通にそのままで留まって、
見物人のカメラに収まっていたが、
放下鉾は留まっていなかった。

そんなわけで残念ながら今年の曳き初めは船鉾を見ただけだった。
それでも船鉾の動くさまを間近で見たのは久しぶりだったので、
その迫力満点の威容に改めて圧倒されっぱなしだった。





帰りに菊水鉾へ寄る。
ビニールに覆われているが、懸装品が良く見えた。



宵々山も宵山も雨模様のようだ。
大した雨でなければ良いが…、
巡行の日は今のところ曇りで気温もそう高くないようだ。





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