伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

運慶作の大日如来像

2008年03月26日 | 一般のニュース

ここの所、ブログのコメント欄に入れないのです。

私のパソコンがボロだからだと思うのだけども、
ちっとも表示がされなくて画面が白いまま。
コメントのレスが書けない。
接続を切ると画面が写り、コメントが読めるのだが、
レスを書き込んで接続してもまた画面が白くなって、
ちっとも表示されない。
最近、機能が増えて来たから、そのせいかもしれないなあ。
そんなわけで、しばらくコメントが書けないので、
ブログの記事のところにレスします。申し訳ない。

というわけで
千住 東さん

「ちりとてちん」3月いっぱいで終わり、とは時の経つのは早いですねぇ。
朝ドラには珍しいオフビート喜劇だったですねぇ。



これだけでは何だかおさまりが悪いので、
以降、最近話題になった、
運慶作とおぼしき大日如来像のオークション落札についてちょっと。

私が見聞きした限りでは、
まず、大日如来坐像は、東京(?)の古美術店で発見されて買われ、
買った人が鑑定を依頼した所、運慶の本物と鑑定された。

そこで東京の美術館に買取を要求したが、
価格の点で折り合わず、買主がアメリカのオークションに出した。
オークションで落札したのは日本の三越で、
それは真言密教の何とかというお寺の代理落札であった。


ということくらいなのだが、
まずどう見てもその大日如来像が運慶の本物であるらしいこと、
海外に流出しそうだったことなど、
いろんな話題があって驚きの上にも驚きのニュースだった。

ところでこのニュースで一番引っ掛かるのが
オークションの出品者、
仏像を海外に売ろうとした発見者=買主のことだ。

ニュースをざっと読んでみると、
どうしてもこの仏像の持ち主がゴウツクで、
美術館が高値で買ってくれなかったから、
怒ってアメリカのオークションに出してザマミロ、
と言っているかのごとくに思える。

これは私の考えが卑しくて、
ビンボくさくてひがみ根性が炸裂しているから
こういう風に解釈するのかもしれない。


でも、どう考えてもそのようにしか思えないのだ。
美術館がいくらの値段を提示したのかは知らないけれど、
よほどの高い金額でないと売りたくなかったのだろうか。

美術館ならそこそこの値をつけたと思うのだが、
それでは満足出来なかったのだろうか。
その持ち主はどこまでゴウツクなんだ、という方向に私の思考は向う。
それとも、美術館は運慶作とは認めなかったのだろうか。


そこらへんが良く分からないが、
テレビのニュースでは美術の専門家らしき人が、
確かに運慶か、その周辺の人の手によると断言している。
(エックス線写真で分かる納入品が証拠らしい)

仏像を写真で見ても、その気品といい、ボリューム感といい、
見るからに美しく整っていて、
仏像オタを狂喜させるにじゅうぶんな作品だ。


持ち主は、あのエックス線写真を武器に、
日本の美術館に大金を吹っかけたのだろう。

そして、いくら素晴らしい運慶作品でも、
そんな恥知らずな大金を積むことは出来ないと美術館が良心的な判断をした。
或いは、そこは国立の博物館で、
皆様の税金をそんなことに使えないと判断したか、
または天下り館員が美術の価値を知らず、
けち根性でそんな大金は出せないと出し渋った。
私の想像は限りなく脹らんでゆく。

その根底にあるのは、
持ち主のゴウツクばりという一点で、
どうしてもそこから離れることが出来ない。
日本に残り、海外ヘ流出されなかったことは良かったけれど、
ちょっともやもやした気分が残る事件であった。




美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村



ちりとてちん 2 しほり

2008年03月20日 | テレビ
続くと書いてしまったので、「ちりとてちん」の続きを書く。
ない頭を捻りながら、必死で書く。

貫地谷しほりのいいところは、
自分がメインでのヒロイン芝居も、受けの演技も出来る、
画面の端っこでの目立たない演技も出来る、
何と言ってもコメディエンヌの演技が出来るところだ。

この「ちりとてちん」のヒロイン役は、
演技のハードルが高い。
これまでのヒロイン女優の何倍ものことをしなければならない。

朝ドラのヒロインといえば、台本を暗唱して読み、
いい子ぶりっ子の演技さえしていれば勤まった。

でも今回のヒロイン・喜代美は落語をし、
三味線を弾き、福井弁をこなさなければならない。
しかもただ落語をするだけでなく、
初めの方では下手に落語をしなければならない。
下手に三味線を弾かなければならない。
それはそれで大変だ。


これまでの、
大根でも勤まった朝ドラヒロインに比べてものすごく損というか、
何倍も要求されることが多くて気の毒にも感じてしまう。

特に落語を演じることは女性ではむつかしいだろう。
本職の落語家ですら、女性がやるのは難しいと思う。
それでも貫地谷しほりは
(劇中では落語を演じる場面はちょっとしか出て来ないが)、
彼女なりの愛嬌を残しつつ、
無理なく演じていて違和感を感じさせないのがえらい。

しかもただ落語だけでなく、
創作落語というものまでそれらしく演じなければならない。
はっきり言って師匠役の渡瀬恒彦よりもうまい。
旦那役の草々の人よりもうまいような気がする。


素の貫地谷しほり自身は、
ヒロインの若狭(喜代美)とは違い、
わりと無口で、どちらかと言うと芸術家肌と言うか、
演技派女優らしく、口が立つ方ではないように思う。

けれども「ちりとてちん」を見ていたら、
しほり自身が、あのようにガチャガチャしていて、愉快で、
おっちょこちょいでブーたれで、
鈍くさいヒロインの若狭とまったく同じ性格なのではないかと思わせてしまう。

大阪の人は、多分、貫地谷しほりが、
打てば響くような、ボケも突っ込みも出来る、
大阪の女性芸人そのものと思い込んでいるのではないだろうか。

だけどそれは彼女の演技であって、彼女は関東人だし、
決してボケとか突っ込みが自然に出来るような、
臨機応変の話術を持った芸人ではない。

それをそうであるかのように視聴者に思わせてしまうのは、
彼女の演技の賜物ではないかと思っている。


そして、何と言っても貫地谷しほりに真剣に感心したのは、
天敵である同姓同名のA子に対して、
私の居場所に入って来ないで、とぶち切れた場面だ。

ヒロインの喜代美はA子が苦手で、
彼女さえいなければ自分が人々の中心になって、
人気者になれるのに、
A子がいるばかりに自分が目立たない、
A子がいるばかりに自分が損してばかり、と考えていて、
そんな日頃の自分のひがみ、妬みをA子に直接ぶつける。

それは喜代美の逆恨みで、
現実的にはこんな失礼なセリフを相手にぶつける人はいないだろう。

自身を貶めるようなネガティブなセリフを言うのは、
たとえヒロイン役であっても、ヒロインだからこそ、
女優ならあまり良い気持ちではないだろうし、
どのように台詞を言っていいのかと迷うだろう。
覚悟も要っただろう。

それを、貫地谷しほりは臆することなく堂々と言い放っていて、
凄いと思った。
女優根性があるなと思った。

つづく




美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村




トップモデル・サマー

2008年03月11日 | 人形
ところで久しぶりにバービーを買った。

ちょっと前にデパートへ行ってみたら、
トップモデルシリーズ・リゾートというのを売っているのを発見。
トップモデルシリーズは新たなシリーズとして
発売された時から気になっていた。

わりと安くて、
安いわりにはそこそこファッショナブルという、
ピンクボックスをちょっと高級にしたような感じ。



バービーとテレサとサマーという3体が売られていた。
テレサは私の知っている以前のテレサとは顔がずいぶん違っていた。
バービーは両腕を曲げていて、
昔の「前へならえ」ボディに退化していた。

サマーという新しいキャラクターが、
実物を見てみたらやっぱりなかなか良いので
(サマーはステッフィ・モールドの模様)、
値段も安く、主にそれが気に入って、
久々にバービーを買う気になったのだった。
商品券を使ったので、さらに安くで買った。
そうでなければ買わなかっただろうというのが、悲しい。

自分のお金のなさが悲しいのでは決してなく、
商品券を使いでもしなければバービーを買う気にならなかった、
と言うことが悲しいのである。

ここらあたりの文意を間違いなく読み取ってくれたまえ。
私はおのが貧乏を嘆いているのでは決してない、ということを。




ということで、
トップモデル・サマーは3300円くらいだから確かに安い。
ボディはミューズ何とかボディのようだ。
鳴り物入りでマテルが発売したポーズを取ってるボディである。
でも可動はしない、堅いボディ。
ただ付属のシューズの形が良いし、悪くないと思う。
安い、かつてのピンクボックス的な扱いみたいなので、
箱出しして遊ぼうと思った。
そこからが、大問題であった。

結論から言えば、箱出しが出来ない。未だに出来ない。
それは精神的に出来ないのではなく、
物理的に不可能に近いからだ。
このトップモデルの人形を取り出すにはどうしたら良いのだろうか。


最も手っ取り早い方法は、のこぎりかカッターで、
前面のプラスチックをガリグリゴレと切り裂いてしまうことだろう。
それ以外に最善の、良い方法を思いつかない。

これまでの普通のバービーのように、
またはほかのお人形の箱と同じように、
天のセロテープをはがし、
上のふたを開ければ簡単に人形(を留めつけてあるボール紙)を箱から出せる、
と簡単に思っていた。
マテルはそんな甘い考えを許さなかった。




箱の上の蓋だけ開けても、びくともしない。
スライドさせて取り出すことが出来ない。

前面と両サイドが透明プラスチックで出来ていて、
人形が見えるようになっている。
そのプラスチック面と箱後ろのボール紙
(トップモデルバービーの3人の写真が写っている)
がボンドでがっちり貼りつけられている。

箱の底(厚紙)も、
前面のプラスチックにボンドでしっかり貼りつけられているため、
底側から取り出すことも出来ない。
人形を留めつけてある厚紙を取り出すには、
プラスチックと厚紙を分離させなければならない。
それを分離させるためには、
どうしても箱を根本から分解しなければ不可能である。
そういう箱として作られているのだった。

これは驚愕だった。
これほど驚いたことは最近珍しいほどに、驚いた。

普通なら外箱があって、
その中に人形が、厚紙に留めつけられて入っている。
箱からその厚紙を取り出して、
厚紙にゴムとか針金で留めつけてある人形を取り出す。
そうすれば人形を箱から出せた。

人形を箱から出す、ということはそういうものだと思っていた。
その常識というか、概念というか、認識を、
マテル・インターナショナルに根本から覆された。

何度も言うが、トップモデル・リゾートは、
厚紙と外箱が一体となっている。
というよりも、外箱というものがなくて、
人形を留めつけてある厚紙の周囲に、
透明プラスチック板がボンドでがっちり貼りつけられている、
という形式なのだ。
ああ驚いた。

最近のバービーの箱がどうもこのように変わったらしいのだ。
いつから変わったのかは、
私も最近、バービーを買っていなかったので良く分からない。

でも店頭で見たら「お正月バービー」がどうやら同じ箱のようだ。
だからおそらく最近になってこのような箱になったのだろう。
最近のバービーを買った人に、
どうやって人形を取り出しているのかを真剣に聞きたいものだ。

怒りを感じずにはいられない。
マテルは、何をどう考えているのだろう。
トップモデルシリーズは低価格で遊べるバービーのはず。

コレクターシリーズならまだしも、
いやそれでも許せないけど、少なくとも遊べるバービーを、
このような取り出しにくい、
取り出すことが殆ど不可能ともいえるような箱に入れるとは、
遊ぶなとでも言うのだろうか。
どう考えても、このような箱にした意図が分からない。

せっかく買って、
箱から人形を取り出す時の喜びというか、
楽しみを奪われてしまった。

子供が遊ぶ人形なのならば、
簡単に取り出せるものにすべきなのではないのだろうか。
トップモデルシリーズは、子供向きではないのだろうか。
短にディスプレイ・ドールなのだろうか。
分からない。本当に分からない。

マテルが何を目指しているのか、理解出来ない。



美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村


ちりとてちん

2008年03月04日 | テレビ
「鞍馬天狗」があっという間に終わってしまうので、
とても悲しい。

カメラが凝っていると思う。
カメラの捉える、京都の風景が素晴らしい。

もちろん、不要な部分はCGなどで消してあるのだと思うが、
神護寺とか仁和寺などのロケ場所が、
ああ、ここだなと分かるのだけど、
現代が写らないようにとても上手に撮ってある。

京都や滋賀に、あんな風に美しく写る風景があることが嬉しい。

NHKの時代劇は春から縮小されるらしいが、
「鞍馬天狗」のような楽しいものはもっともっと長く見ていたいものだ。


というわけで、「鞍馬天狗」も楽しく見ているのだが、
最近は朝ドラ「ちりとてちん」を見ている。
出来るだけ見るようにしている。

NHKと言わず、
基本的にテレビドラマというものを見ない方針の私にとって、
ましてや朝ドラを見ようと思うことは
ものすごく例外的なことだ。

(まあ「風林火山」とか「鞍馬天狗」とか最近は例外が多くなって、
しかもNHKのドラマばかりなのだが、
民放ははなから見ないので、
ドラマを見ると言っても自然とNHKに偏ってしまうわけだが)


朝ドラに関しては私は、
テレビドラマをもともとクソ(失礼)だと思っているのに加えて、
それ以上に、
NHK朝の連続テレビ小説というものをずっと毛嫌いして来た。

その拒絶反応が取れたかなと思ったのが「芋たこなんきん」だったが、
それまではおおよそ虫唾が走るほどきらいだった。

よその家族もそうかもしれないけれども、
我が家でも家族が朝ご飯を食べながら見ているので、
自分も朝の時計代わりに見ることが多かったのだが、
いつの頃からか、なるべくならば見ないで済むように、
ちょうど朝ドラが終る頃にテレビ画面に向えるように
時間調整をしていたこともあった。
それくらい、朝ドラが嫌いだった。


なぜならば、手塚治虫が言ったように、
「…朝の連続ドラマを毎日見ててね。
何故かって言うと、その引きを見てるんだ。
…だから感心するね、僕は。
よくもまあ、あんなにだらだらした話…悪いけど(笑)、
毎回、何十回も引きやってるってねえ」

手塚治虫が生きて見ていた時は、
半年ではなくて1年単位だったからよけいだらだらしていたのだ。


中学生でルキノ・ヴィスコンティに目覚めた私としては(また出た)、
朝ドラのつまらなさ、くだらなさと言ったら拷問のようだった。

それに加えて、
ヒロインの造形がいつもいつも十年一日の如く、
明るくて前向きでひた向きで、それが類型的で面白くない。


昔は朝ドラのヒロインは美人は選ばれなくて、
容貌はぱっとしないが演技はしっかりしている、
と言うような人が多かった。

しかし沢口靖子あたりから可愛くて見栄えは良いが大根、
という女優チョイスに転換したようだ。
芝居が下手でもいい、1年間をかけて女優を成長させる、
という方針になったのだろう。

そうなってからはさらに朝ドラの悲惨さが増した。
あの人やあの人やあの人や…


そんな中で「オードリー」を珍しく良いなと思ったのは、
助演していた佐々木くらのすけの演技がうまいと思ったからだ。
くらのすけのほかに誰が出ていたか、
ストーリーも、ヒロイン女優でさえ覚えていないが。

それから「さくら」というタイトルだったかな?
の小沢せいえつもうまいと思ったので見入ったことがある。
でも小沢の演技はもう飽きたけど。

というわけで、うまい俳優がうまい演技をしている時には、
朝ドラをちょっぴり見るようになった。

というより、朝ドラを見る値打ちといえば、
俳優の演技くらいしかないだろうと思う。

脚本にははなから期待出来ないし、
ストーリー展開も期待する方が間違っている。
時計代わりに見るだけなのだから。

「芋たこなんきん」は、藤山直美の演技が楽しめた。
特に石橋蓮次との掛け合いは面白かった。


今回の「ちりとてちん」も、
俳優の演技が何と言っても見どころだと思う。
特にヒロインの貫地谷(たったかな??)しほりの演技が素晴らしい。
それだけで見てしまう。若いのにすごく達者だ。
そういうわけで、貫地谷しほりに感心して、見ているのだ。

つづく



美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村


隠された十字架と亀治郎

2008年03月02日 | 本・書評
京都新聞の読書欄に、
梅原猛の「隠された十字架」の感想が書いてあったので
読んでいたら、最後に著者(?)が歌舞伎俳優と書いてあった。

それでその文章の始めを見たら、
署名が市川亀治郎となっている。

つまり「風林火山」の武田信玄を演じた亀治郎が、
梅原猛の書評?をしているのであった。


「日本人は権威に弱い」という書き出しで、
「隠された十字架」が発表された時、
フィールド違いの哲学者が日本の歴史の謎に踏み込んで、
しかも歴史家にとって驚天動地の異説を唱えたことで、
激しい排斥と黙殺にあったいきさつを説明していた。


非常に淡々とした書きっぷりなので、
まさか歌舞伎俳優の文章だとは思わずに読んでしまった。

私も梅原氏の「隠された十字架」が大好きだが、読んだのはつい何年か前だ。
亀治郎は20年前に読んだと書いていたと思うが、
いったい幾つよ。
それにしても亀治郎氏に文才があるとはびっくりした。


それはともかく、権威というのはお堅くて、
新しいもの、革新的なものを認めたがらない、
排斥しようという傾向が強い、
パイオニアは常にそうしたものと戦って行かなければならない、
というのが文章の趣旨であると解釈した。


亀治郎は、猿之助の歌舞伎が異端的として、
評価されない(かったのか?)ことと被せて述懐しているような気がした。

猿之助は、考えてみると梅原猛のスーパー歌舞伎を演じているのだった。
そう思って読んでみると、
亀治郎氏の文章は冷静ではなく、
かなり被害者意識があるようでもある。

猿之助の歌舞伎、
というより自身の演技に対するそれなのかもしれない、
とも、今書いていて思える。

つまり「風林火山」では、亀治郎は貫禄がないとか、
演技が歌舞伎的すぎてテレビに合ってないとも批判されたからだ。
まあ私もどうなのよと思った口なのだけれど。


ただ、亀治郎氏の書評に沿って言えば、
梅原猛の、マグマが体内に溜まりに溜まって、
その出口を求めて一気に吹き出て来たような、
そんな異様な熱気に満ちた「隠された十字架」のそのパワーが、
どんなに権威に黙殺され無視されても、
一方で何十年も売れ続け、
大衆に浸透して来たその原動力となったのだろう。

亀治郎の芝居も、
何と言われようとそのような多大なパワーでもって、
演じ切ったのだと言いたかったのではないだろうかなどと、考える。

予定調和的にただ面白い、ただ上手な芝居、ただ良く出来た脚本、
というものは、ひょっとしたら案外忘れてしまいやすいのかもしれない。

どこかぎくしゃくして、どこか調和が取れず、どこか神経に障る。
そういうものの方が忘れがたく、いつまでも記憶に残り、
そして語られるのかもしれない。
「風林火山」とはそのような尺に収まらない、
はみ出たパワーを持っていたのかもしれないとも思った。


「隠された十字架」は、結局、その法隆寺怨念説という結論よりも、
梅原猛の、
何としても真実に到達したいという魂の叫びと熱情によって、
美しい書物になった。

読むと、これまで知っていたと思っていた日本史が、
まったく違って見えて来る。
歴史の面白さが見えて来る。
それだけでも値打ちがあると言える。

亀治郎氏もなるべくなら自己弁護にいそしまず、
ひたすら時を待つ、という態度の方が賢明だろう。
気持ちは分かるけど。



美術館・ギャラリーランキング


京都府ランキング


フィギュアスケートランキング


↓ブログ村もよろしくお願いします!

にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村