一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「軍楽」から西欧音楽導入が始まった。その5

2006-05-29 09:45:48 | Essay
昭和18(1943)年10月21日に行なわれた〈出陣学徒壮行会〉。
この場で、ルルー作曲『陸軍分列行進曲』が演奏された。

今まで述べたことを整理すると、
 海軍軍楽隊 イギリス式
       教師:ジョン・ウィリアム・フェントン(? - ?)
          フランツ・エッケルト(1852 - 1916)
 陸軍軍楽隊 フランス式 
       教師:ギュスターブ・シャルル・ダグロン (1845 - 98?)
          シャルル・エドアール・ガブリエル・ルルー(1851 - 1926)
ということになる。
ちなみに、フェントンは「君が代」成立に関係した人物で、明治4(1871)年に海軍軍楽隊が創立されると、お雇い教師となり、明治7(1874)年からは宮内省式部寮雅楽部のお雇い教師をも兼任する。

初期の海軍軍楽隊は、当時唯一の西洋音楽演奏団体として、
「軍の諸行事に加えて、72年(明治5年)の鉄道開業式やロシア皇子接遇行事、73年の宮中午餐会・天長節夜会などの演奏にも駆り出された」(塚原康子「軍楽隊と戦前の大衆音楽」。『ブラスバンドの社会史』所収)

一方、海軍と同時に創立された陸軍軍楽隊が、本格的な教育を受けるのは、明治5(1872)年に第二次軍事顧問団としてダグロンが赴任してからのこと。
「陸軍軍楽隊は、73年(明治6年)に旧幕府のフランス式伝習経験者が多くいた静岡などから隊員を徴募し、80年(明治13年)には和田倉門に第二軍楽隊を設置して軍楽隊は二組になった」。(塚原 同上)

海軍のフェントン、陸軍のダグロンが第一世代のお雇い教師だとすれば、第二世代に当たるのが、エッケルトとルルーである。彼らは、音楽学校卒業生で、正規の音楽教育を受けていたので、日本での軍楽教育も、これ以降本格的になる。

特にルルーは、明治18(1885)年に軍歌『抜刀隊』『扶桑歌』を作曲、ついでこの2曲を編曲した『陸軍分列行進曲』を作った。この『陸軍分列行進曲』は、アジア・太平洋戦争において、神宮外苑にて行なわれた学徒出陣式でも演奏されたので、記録映画でご覧になった方もおられるだろう。