一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『エルンスト・バルラハ』展を見て。【その1】

2006-05-14 01:49:25 | Art
展覧会の広報記事を見てから、作品造形のある種の象徴性、あるいは抽象性が、どこから来ているのか気になっていた(最も多く使用されているのは木彫の『苦行者』。写真参照)。

その解答が、展示されている一連のデッサンおよび資料を見て、ある程度得られたと思う。
正しい推論かどうかは、確信を持てないが、まあ、聞いてください。

まず結論から言おう。
この造形に到ったのは、演劇の影響ではないのか。

バルラハは戯曲にも才能を発揮し、1924年にはクライスト賞を受賞し、著名な劇作家としても知られるようになっている。また、同時期、トマス・マンもドイツ演劇の重要な劇作家として、ブレヒトとともにバルラハの名を挙げた(ちなみに、小生手持の『新潮世界文学小辞典』にも「バールラッハ」の項目がある)。

ご承知のように、演劇でヴァーバルな要素は重要であるが、ノン・ヴァーバルな要素も忘れることはできない。
つまり、しぐさ(ジェスチャー)・物腰・歩き方・表情、その他その他。
特に、「表現主義」の演劇で、ノン・ヴァーバルな要素はより一層の重要性を増した。
そのような時代の中で、バルラハは戯曲処女作『死せる日』(1919年初演)を書いた。

戯曲と彫刻との中間にある表現としては、一連の版画群が展示されている。
例えば、同時期に描かれた版画連作『死せる日』(1910 - 11) よりの「眼に見えないもの2」の造形と、彫刻『大酒飲み』(1909) の造形との親近性!
また、図録論文では、彫刻『ベルゼルケル(戦士)』(1910) と歌舞伎の見得との親近性が指摘されている。
そう言われると、版画連作『死せる日』の登場人物は、すべて見得を切っていると言えないこともない(「見得」こそ、典型的な演劇におけるノン・ヴァーバルな要素である)。

次回は、小生が、展覧会で最も引っかかった作品『揺れ動く父なる神』(1922) に関して、その推論が当っているかどうか見ていこう。

この稿、つづく