一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「軍楽」から西欧音楽導入が始まった。その2

2006-05-22 09:45:43 | Essay
文久3(1863)年から、横浜の外国人居留地を防衛するために、イギリス・フランス両国の軍隊が駐屯した。これは前年に起きた生麦事件などの外国人殺傷事件が多発しためで、幕府もこれを認めざるをえなかった。

フランスは、陸軍のアフリカ軽歩兵第三大隊分遣隊を上海から、海軍の陸戦隊・海軍歩兵隊をサイゴン(現在のホーチミン)から呼び寄せ、現在「フランス山」と呼ばれている山手居留地に駐屯させた。
一方、イギリスは、陸軍の第20連隊第2大隊分遣隊を香港から派遣、現在の港の見える丘公園一帯の山手居留地に駐屯させる。
このイギリス軍は軍楽隊を伴っており、このルートから、ラッパを含めた軍楽が各地に伝わったものと思われる。

現在明らかになっている一つの事例は、信州上田藩である。
藩士の赤松小三郎と浅津富之助が、慶応1(1865)年にイギリスの歩兵操典を翻訳し『英国歩兵操法』として出版しているが、その中に五線譜のラッパ譜が含まれている。
同様に薩摩藩も、慶応3(1867)からイギリス式兵制を採用、陸軍楽隊の編制を行なっている。ちなみに、薩摩藩軍楽隊は、大太鼓・小太鼓・笛の編成であった。

このように、オランダ式の信号はドラムであったのに対して、イギリス式はラッパに切り替わっており、鼓笛は行進や儀式の際に用いられたものと思われる。

このようなイギリス式の鼓笛隊が、戊辰戦争の時に一般の前に登場し、明治新政府軍の特徴として知られるようになるのである。