一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「軍楽」から西欧音楽導入が始まった。その1

2006-05-20 10:19:49 | Essay
幕末に導入された軍事技術は、武器だけではない。
軍楽も、洋式軍事システムのアイテムとして導入されたものの1つである。

既に、天保12(1841)年、高島秋帆が武州徳丸ケ原で、洋式調練の演習を行った時に、鼓手(斉藤留蔵(後、森田と改称) か?)が長崎から来ていたものと思われる。この鼓手は〈太鼓信号〉を奏し、指揮官による行動の指示を、部隊に送ったのだろう。というのは、安政2(1855)年に長崎に設立された海軍伝習所でも、海兵隊用のドラム奏法が教授されているところから推測できる(ヨーロッパでは16世紀から、ドラムが採用されている)。

この間、嘉永6(1853)年7月(旧暦6月)には、ペリーが来航、軍楽隊の『ヘイル・コロンビア』の演奏の中を、久里浜に上陸した。
また、長崎では、同年8月(旧暦7月)ロシア提督プチャーチンが長崎に来航、その上陸の際に鼓笛隊が先導した。
プチャーチンの行列を描いたのが、上掲の『道中ハヤシ方行列之図』という版画である。

一方、海軍伝習所でのドラム奏法の教授の結果は、上原寛林によって「西洋行軍鼓譜」としてまとめられ、安政3(1856)年に刊行された。

それでは、行進の際に、ドラムでリズムをとるのは、いつから始まったのか。
安政4(1857)年、海軍伝習所の教官として来日したカッテンディーケが、『日本回想録』に、
私が初めて日本の人達にマーチ(太鼓の行進譜)を紹介した。
とあることを信ずれば、安政4~5年ごろと考えられる。

ここで注意しておきたいのは、まだ楽器はドラムだけで、鼓笛隊として成立したのは、また別の場所、別の時期であることである。