'06年4月6日、世間を吹く春風に誘われ、『藤田嗣治展』に行ってきた(国立近代美術館にて5月21日まで開催)。
桜はやや盛りを過ぎたとは言うものの、久方ぶりの晴天に人出は多く、11時前だというのに、入場券売場に既に列ができている。
会場に入っても、ほとんどの絵の前には人だかりができ、その頭越しに見るのがやっとのこと。とてもゆっくりと画面全体を眺めるわけにはいかない。
時間をかけて、人の少ない部屋に入った。
照明も他の部屋に比べ、かなり落とされている。
壁面には5点。
かなり暗い色調の絵が掛けられている。
戦争画のコーナーである。
『シンガポール最後の日』(1942)
『アッツ島玉砕』(1943)
『神兵の救出到る』(1944)
『決戦ガダルカナル』(1944)
『サイパン島同胞臣節全うす』(1945)
いずれも、国立近代美術館所蔵作品である(戦後すぐにアメリカに接収され、現在アメリカから無期限貸与されている形をとっている、戦争画コレクション約150点の中で、藤田の作品は最多14点)。
藤田の戦争画に関しては、以前から興味があったので、図版等は見ていた。
その時には、『アッツ島玉砕』が最高の出来かと思っていたのだが、実際に目にすると、それが誤りであったことに気づく。
『サイパン島同胞臣節全うす』が藤田戦争画の最高傑作であろう。
以前に書いた文章を再録する。
「群像の全てが民間人だというのが、まず今までの戦争画とは大きく違っています。小銃を構えている男ですら、もはや軍人ではない。軍の組織的な抵抗は、昭和19(1944)年7月7日をもって終わっているからです。ちなみにこの日、東条内閣が倒れていますが、彼の残した「戦陣訓」は生きていた。曰く、
『生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず』
と。
そのことばが、サイパン島の悲劇を生んだ。
この絵には、互いに見つめあい、これから自決しようとする〈姉妹〉、赤児に最後の乳をやる母親、そして、中景には岬の断崖(マッピ岬。米軍からは〈バンザイ・クリフ〉と名付けられる)から身を投じる人まで描かれている。」
もはや、いわゆる「戦意高揚のための」戦争画ではない。
人類の悲劇の一場面を描いた絵画としか言いようがない。
当時、軍の一部には、藤田の絵は残酷で国民の戦意を喪失する、との意見があった。そのためもあってか、陸軍はこの絵を購入してはいるが、「聖戦美術展」「決戦美術展」などに出品されたという記録はない。
この絵から受ける感動は、一般の絵画から感じる「眼の快楽」ではない。
その意味からすれば「快楽」よりは「不快感」の方が大きいかもしれない。にもかかわらず、眼を引付けてやまないのは、そこに大いなる悲劇が描かれているからであろう。
藤田自身は、次のように語ったという。
「いい戦争画を後世に残してみたまへ。何億、何十億という人がこれを観るんだ。それだからこそ、我々としては尚更一所懸命に、真面目に仕事をしなけりやならないんだ」
乳白色の肌に墨を含んだ面相筆で描いた女性像もいいだろう、ネコの絵も素晴らしいだろう。
けれども、戦争画という、藤田の内面にまで触れることのできるような緊迫感ある絵画にも、注目すべきであろう。