一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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今日のことば(119) ―尾崎行雄

2006-04-26 10:29:50 | Quotation
「彼等は常に口を開けば、直ちに忠愛を唱へ、恰も忠君愛国は自分の一手専売の如く唱へてありまするが、其為すところを見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動を執って居るのである。彼等は玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」
(1913年、桂太郎に対する弾劾演説)

尾崎行雄(おざき・ゆきお、1958 - 1954)
政治家。号は咢堂(がくどう)。「憲政の神様」、「議会政治の父」と呼ばれる。
慶応義塾中退。新聞記者から官僚になるが、「明治十四年の政変」(1881) で下野。立憲改進党の創立に参加、第一回総選挙で衆議院議員となる(その後、連続当選25回)。1903(明治36)年、東京市長の職に就く。1913(大正2)年、憲政擁護運動の中心となり、上記の弾劾演説を行なう。その後、普通選挙運動の先頭に立つ。1922(大正11)年、犬養毅の革新倶楽部に属するが、政友会との合併に反対し離党、以後、無所属として一貫する。戦時中、大政翼賛会による選挙を批判、戦後に、名誉議員の名称を送られる。

尾崎行雄によって批判された、桂太郎に代表されるような、政治的態度には、近代天皇制のはらむ問題の2面が現われている。

その1面は、天皇の神聖視(「現人神」化)、「国家神道」の崇拝対象としての天皇観である(国家機関としての〈天皇〉とは別に、〈神聖天皇〉と呼ぶことも可能であろう)。
このような「国家神道」は、
「日本は太陽神の子孫(=天皇)の永遠に統治するところであり、世界の中心である。と同時に、その秩序原理は世界全体を覆い尽くすべきである」(三谷博『明治維新とナショナリズム』)
という観念を中心に据えている(「国体」観念)。

したがって、「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へ」ることが、有力な政治手段となり得る(〈神聖天皇〉の権威を借りた、より極端な例としては「統帥権干犯問題」を想起)。

また、もう一面は、政治家・官僚の無責任体質に結びつく、明治憲法上の政治構造の問題である。

明治憲法上、政治家・官僚は天皇に対して輔弼(ほひつ。天皇の権能行使に対し、助言を与えること。 「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」)する責任しかない(下世話な言い方を敢えてすれば、政治家・官僚は天皇に下駄を預けてしまうわけである)。
そして、輔弼された(下駄を預けられた)天皇は、「天皇無答責(責任を問われない規定)」を憲法で定められているため、ここで最終的な責任は雲散霧消してしまう(憲法論で天皇の戦争責任はない、とする論拠はここに存する)。

丸山真男の言う「無責任の体系」である(丸山は、より精緻に「既成事実への屈服」と「権限への逃避」という要素に分けて分析しているが、大掴みなところでは、上記の内容に誤りはあるまい)。

ちなみに、小生が今読んでいる半藤一利『昭和史 戦後篇』には、
「戦後盛んに言われた日本の無責任体制そのものといいますか、実際の日本の政戦略はどこにも責任がない、果して誰が真の責任者なのかわからない形で決められていったのです。ちょうど玉ねぎの皮を一枚一枚剥(む)いていくと、最後に芯が亡くなっていって雲散霧消するようなもので」
との記述がある。

尾崎行雄のこの弾劾演説には、そこまでの射程があったように思える。