一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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またまた『骨のうたう』

2006-04-08 00:24:16 | Essay
藤田嗣治『サイパン島同胞臣節全うす』(1945)

さて、ここ数回『骨のうたう』に関連して文章を書いてきた。
詩の作者・竹内浩三以外に浜田知明、藤田嗣治が登場したわけである。

まずは詩のポイント。
兵士は、
「ひょんと」
死んでしまうという、竹内の表現であろう。
このような実感を込めた内実は、おそらく将校には分らないところ。

ましてや、『戦陣訓』に「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」と書かせた上級将校には、まったく理解もできないことだろう。
彼らの本音としては、1兵士の死は単なる数字であるし、建前としては「名誉の戦死」であるだろうから。

しかし、1兵士竹内浩三には、
「ひょんと」
この世から消えてしまうこと、それが戦死の実感だった。

名誉など、兵士にとっては何の役に立つものか、という湿っぽいニヒリズムが、そこには感じられる(このニヒリズムは、浜田知明の版画とも通底する)。

彼らには「追悼」も「顕彰」も必要がない。
ただ
「骨はききたかった/絶大な愛情のひびきをききたかった」
だけなのである。

一方、藤田の絵画には、「ひょんと消える」前に存在する現実=悲劇が描かれている。しかし、そこにも「追悼」も「顕彰」も必要がない、と思い定めざるを得ない絶望のまなざしが描かれてはいないだろうか(生者の傲慢さを非難する眼を、『サイパン島同胞臣節全うす』画面右手の傷ついた男から感じるのは、小生だけだろうか)。

生者は常に、死者に対して傲慢であることを忘れてはならないであろう。