一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『ウェブ進化論』を読む。

2006-04-04 00:00:42 | Book Review
ウェブにおいての「オプティミズム(楽天主義)に支えられたビジョン」を示したい、というのが、本書における著者のねらい。
そして、若い人たちに「閉塞状況から抜け出す」ための勇気を与えたいというメッセージを込めての著であろう。

その意気は壮とするが、はたして、ネット世界の、この現状にオプティミズムだけで対応できるのだろうか(ビジネス書分野でのベストセラーズには、極端なオプティミズムかペシミズムしかない)。

「この現状」と書いたが、それにはいくつかのフェイズがありそうだ。

第1は、「情報そのものに関する革命的変化」というフェイズ。
これを著者は、「インタ―ネット」「チープ革命」「オープンソース」の「次の10年への3大潮流」として、グーグルの例で示す。

以下のフェイズは、いわば第1のフェイズのサブ・フェイズとなるのだろうが、ここでは記述の都合上、並行して記すこととする。

第2は、「総表現社会」というフェイズ。
これはブログを想起すれば理解できることだから、特に説明を付す必要もないだろう。
ただ、指摘しておきたいことは、著者は、
  総表現社会=チープ革命×検索エンジン×自動秩序形成システム
という方程式で、表現における「玉石混淆問題」が解決できる、というオプティミズムを語っているが、はたして、そうであろうか、とひとまず疑問を投げかけておこう。

第3は、オープンソース現象における "Wisdom of Crows"(群衆の叡智)というフェイズ。
ここで著者が示すのは、リナックスとウィキペディア(wikipedia)の例。
「参加者の敷居が低く、プロジェクトの活性度が上がり、項目増殖スピードが速くなる一方、信頼性が常に問題になる。」
つまりは、改訂は早く、常に進化しているが、信頼性は「そこそこ」ではないか、ということである。
しかし、著者は、
「英ネイチャー誌は、ウィキペディアとブリタニカの科学分野の内容を調査・分析し、全体としてみれば、両者の正確さや信頼性は同程度であると発表した。」
と引用する。
この問題も、第2の「玉石混淆問題」とよく似た様相を呈している。

さて、第1のテクノロジー寄りの問題に関して、小生はまったく門外漢であるので、なるほどそうか、と思うしかないのであるが、「玉石混淆問題」に現われたような、「群衆の叡智」を信じ得るか、という点に関しては、著者の意見に違和感を覚える。

まず、テクノロジーのみで解決できるかのような著者の口ぶりは、オプティミズムというよりは、あまりにも「無垢」に思える(その他、懐疑が少なく、ツッコミの浅い部分が多々ある)。

確かに、テクノロジーの進展は、思いもよらない程、急速に進んでいっている(小生、BASIC 言語によるプログラミング時代の生き残り)。
しかし「あちら側」*の事情は知らないが、「こちら側」も「あちら側」も、ユーザーの心理まで含めたマン/マシン・インターフェイスについての考え方は、大昔と、さほど変わってはいないのではないだろうか。
*著者の用語では、個々のパソコンサイドを「こちら側」、ネットで「こちら側」とつながっている「インタ―ネット上空間に浮かぶ巨大な情報発電所とも言うべきバーチャルな世界」を「あちら側」と称す。

また、現実への違和感なり不満感を、他者への攻撃性へ変換させているような発言が、ネット世界では、リアル世界よりも声高に上がっていることを考えると、「群衆の叡智」論に、そうたやすく組することができない(H. L. A. ハートの法理論で言う「一次ルール」すら守らない/守れない、というお寒い現状!)。
「インタ―ネットの『開放性』を否定するのではなく前提とし、『巨大な混沌』における『善』の部分、『清』の部分、可能性を直視する時期に来ているのではないか」
との著者の意見をひとまず認めた上で、「社会科学的/社会哲学的」「心理学的」の面からの分析が、ネット世界について語る言説には不足しているのではないのか、と言っておこう(「マルチチュード」的な言説との組み合わせは、相性がいいような気がする)。

梅田望夫
『ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる』
ちくま新書
定価:本体740円(税別)
ISBN4480062858