一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『偽満州国論』を読む。

2006-04-03 03:15:27 | Book Review
「〈偽〉満州国」との表記がなされるのは、現在の中国であの国が「なかった」ことになっているから。その辺は、現在の日本でもほぼ同様で、「満州(現在の中国東北部)」との表現があるとおり(正確に言えば「満州(洲)」とは、元々地名ではなく、清朝の王族「愛親覚羅(アイシンギョロ)」氏をトップとする民族名を指すことば)。
しかし、著者が「偽満州国」と表記する意図は、若干違っている。それに関しては後述することになろう。

かつて中国東北部には「満州国」と呼ばれる日本の傀儡国家があった。
傀儡国家であるがゆえに、「満州国」には、良くも悪くも、いやおうなく日本人の国家観が反映されていた。したがって、「国家なのか国家でないのか考えれば考えるほどよくわからなくなってくる珍妙な」存在だった(著者は、その点をたとえるのに「ひょっこりひょうたん島」を例にする)。
「いかに観念の国家と現実の国家とがふれ合うか――、満州国にはその重なりぶりがうかがえる。それは現実の国家であることが当たり前過ぎていて、観念の『国家性』を抽出しにくくなっているような、国際的に登記されたまっとうな国家にはない資質だと思うのだ。」
であるから、「国家論」(=「偽国家論」=批判的「国家論」)の対象となる、と著者は指摘する。
「満州国は国家が偽国家に変わる境界線上にある。満州国を語る国家論は、その論証の枠組みそのものが崩壊する一線上を行きつ戻りつせざるをえない。つまり偽満州国論、それは国家論自体の『偽』性をも浮き彫りにする偽国家論なのだ。」

著者は本書において、
「『国家』を考えるテキスト」
として「満州国」のさまざまな側面を分析しようとする。

大きく分けて、本書のポイントとなるのは、
「国体論と日本語論」
「共同幻想再論」
「贋札ばらまけ、アラスカよこせ」
「血と大地と情報と――満州国とスペースインベーダー」
の4つの章。
つまり「言語イメージとしての国家」「国家と幻想」「法(理論) と国家」「情報と国家」ということになるだろう。

そして、それらを踏まえた上で、〈垂直方向への共同体=「国家共同体」〉vs〈水平方向への共同体=「都市共同体」〉という指針を示す(〈「共同性」vs「公共性」〉とも言える)。

「帝国」状況を考えに入れれば、『マルチチュード』で扱われている主要課題とも切り結ぶ点があろうかとも思うが、本書元版は1995年の刊行。そこまで要求はできないであろう。

また「情報と国家」に関して、
「ニューメディア・パラダイス論は、こうした(一風斎註・「インタ―ネット的情報網が国家共同体を都市共同体に変える素振りを見せながら、より強固な国家型共同体を形成をしてしまうという」)ダイナミズムを視野に入れていない無垢さ」
と前振りはあるものの、「支配されることを望む人びと」を考慮に入れていない点で、やや楽観的に過ぎるであろう。

また、「水平性の共同体」と述べていながらも、アナーキズム理解において浅い点があることは指摘しておくべきであろう(対ファシズムという意味合いでのみ、アナーキズムに意義ありとするようなところ)。

それはさておき、「満州国」を一つの切り口として国家論を語るのは、面白いアイディア。
その一点だけでも、知的な冒険の試みとして評価できるだろう。

武田徹
『偽満州国論(ぎまんしゅうこくろん)』
中公文庫
定価:本体857円(税別)
ISBN4122045428