一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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「国体」とは何だろう。

2006-04-24 00:09:25 | Essay
連合軍最高司令部(GHQ)の置かれていた第一生命館。

4月22日の本ブログ「現実主義的な、あまりにも現実主義的な」に引き続いて、半藤一利『昭和史 戦後篇』を読んで思ったこと。

第2章からは、新憲法成立の話になる。
第一に出てくるのが、日本の「国体」をどうするか、という課題。
この課題は、ポツダム宣言を受諾するか否かという時点から、「国体護持」の連合国による保証という形で、重要視されていた。

それでは「国体」について、当時の人はどう考えていたのか。
半藤著によれば、
「簡単に言えば、明治憲法にある天皇の国家統治の大権のことです。」
となる。
天皇大権には、
「第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
「第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」
「第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行ウ」
以上の3か条を中心にして、
「立法(第五条)、司法(第六条)、行政(第十条)、軍事(第十一条、第十二条)、宣戦・講和(第十二条)などが規定されていて、その全体をひっくるめたのが日本の国柄でありました。」

これを「国体」としているわけだが、実際には、憲法には表現されていない「国家神道」というものもあるだろう。
いわば憲法上の狭義の「国体」と、信仰的な「国家神道」(靖国神社という宗教施設や教育勅語なども含まれる)も含めて、広義の「国体」と呼んだ方がいいのではないか(ただし「万世一系」などという用語に、「国家神道」的なものが現われてはいるが)。

というのは、江戸時代の国学・水戸学などでの「国体」という語の使い方を考えると、そこまで含ませた方が、伝統的な意識での「国体」概念に近くなる(というより、明治時代、憲法という形で、その一部を「近代化」したと考えた方が正しいか)。

おそらく、ポツダム宣言受諾論議の際に、「国体護持」ということばから、支配者たちの頭に浮かんだのは、狭義の「国体」ではなく広義の「国体」であっただろう。
そして、また多くの知識人においても。

半藤著から、斎藤茂吉(1882 - 1953)の日記を引こう。
「正午、天皇陛下聖勅御放送、はじめに一億玉砕の決心を心に据え、羽織を著(き)て拝聴し奉りたるに、大東亜戦争終結の御聖勅であった。ああ、しかれども吾等臣民は七生奉公としてこの怨み、この辱(はずか)しめを挽回せむことを誓いたてまつったのであった。」