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伊勢丹、新ビジネスモデル構築 続

2009年07月08日 | アパレル放談
百貨店の低迷が続く中で、リーディングカンパニーとも言える伊勢丹・三越が、新ビジネスモデルを構築を目指しているという記事が一昨日の繊研新聞の一面に取り上げられていました。
前回のBlogで、この新ビジネスモデルに少し違和感を覚えたと投稿しました。
その新ビジネスモデルの骨子は、商品の上代に対する原価率に対する対策です。
伊勢丹の大西社長は、「ユニクロの上代に対する原価率が45%と程度と目される中で、百貨店のそれは25%であると分析し、今後、これを35%ぐらいまで引き上げる。
そのために、「素材メーカーとの協業推進」を行い、「商品価値向上」を図りる。
同時に、「納入業者が負担している販売員の経費負担の低減のために、自主販売比率を高め販売態勢の効率化を目指した」新ビジネスモデルを構築するとのことです。
この政策が「新ビジネスモデル」と大見出しとなって、業界紙の一面を飾ることにも違和感を感じます。
百貨店の原価率は現場では、全部とは言わないまでも、実質的に25%どころか20%と言われています。
商社のOEM部分を加味すると20%を切っているのが現状ではないでしょうか?
納入業者の販売員人件費コストを、伊勢丹は10%超といっていますが、実態はそれ以上では無いでしょうか?
重要なのは、そのようになった原因と経緯を真摯に受け止めて、それに対する態勢つくりが重要と思います。
百貨店がユニクロのビジネスモデルを“模倣”すること良いとは思えません。
顧客が果たして、それを期待しているのでしょうか?
その態勢とは、「新ビジネスモデルではなく、百貨店の古典的・伝統的なビジネスモデルへの回帰」と私は考えます。
ここで言う百貨店とは呉服屋出身の老舗百貨店のことです。
江戸、明治時代から長く続いた老舗百貨店には、ストアーロイヤルティー、ブランドロイヤリティーとなり、顧客の信頼と憧れ、満足感が定着していました。
また、納入先にも畏敬の念まで持って取引をしてきたのではないでしょうか?
むしろ、「お取引をさしていただいている」といったほうが良いと思えるくらいだったと記憶しています。
それらの老舗百貨店は、元々創業家経営でした。
老舗百貨店には、それぞれ創業者の「家訓・遺訓」があり、大事に守られてきました。
(創業家家訓)
 *大丸の「先義後利」

 *伊勢丹の「お客様第一」「現金正札附掛値なし」

 *松坂屋の「物価の高下に拘わらず、善良なる物品を仕入れ誠実を旨とし利を貪
  らず顧客に接すること」

 *三越の「倹約に努めよ、主人は全業務を知ること・・・三井家家訓」
 

私のアパレル現役時代が、その経営が創業家から変化した時代でした。
  *大丸の下村家から奥田(元)社長
  *伊勢丹の小菅家から小柴(元)社長
  *松坂屋の伊藤家から鈴木(元)社長
  *高島屋の飯田家から岡本(元)社長
  *創業家社長から幹部社員(大番頭)への禅譲が競って行われました。
松坂屋の「お家騒動」や三越事件、そごう百貨店など禅譲といえない面もありましたが・・・・。
創業家のオーナー経営から近代経営へ変化した時代でした。
そのこと自体は、経済構造の変化や市場の変化、資本市場からの要求でありました。
創業家経営からの禅譲・離脱は、時代の要求でもあり、一定の成功を収めました。
一方、そのころから、創業家の家訓とは異なる経営が散見され、それが「今日の百貨店の危機的状態の要因になったのではないか?」と言うのが私の私論・暴論です。
次回へ続く。