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「テレビドラマ「官僚たちの夏」と繊維・アパレル産業

2009年07月21日 | アパレル放談
先週日曜日放映のTBS系テレビドラマ城山三郎の原作の「官僚たちの夏」は、丁度、戦後の日本経済の最初の日米貿易摩擦に関係する内容で、繊維・アパレル業界に従事した私にとって興味深いものでした。
1960年代の出来事で、まだ私は高校生のころで、直接的な記憶は無く、大学に入学しだ後に、同年の日米安全保障条約との関係で、大学時代の授業で勉強した記憶があります。
綿製品の輸出自主規制から始まり、その後、「毛製品、化学製品の自主規制」と繊維・アパレルは対米の貿易摩擦の象徴となり、その後日本の産業構造の変化と共に、鉄鋼、テレビ、工作機械、自動車と「日米の貿易摩擦」から「日米経済摩擦」と変化していったのは、記憶に新しいことでしょう。
「1989年の日米構造協議」から「1993年の日米包括経済協議」と進み、「市場開放」が、今日のSC時代とラグジュアリーブランドやファストファッションブランドの日本進出を加速させました。
もう一つ、日本の生産の空洞化の一因になったのではないかと思われる、「関税暫定措置法第8条」も1960年に同時に発布されました。
この法律は「一定の条件下での加工再輸入製品の関税低減」を認める法律です。
私の記憶では、暫定8条の繊維・アパレルの適用が「1993年の日米包括経済協議」の一環として、その時期に組み込まれたと考えられます。
「斬8」によって、日本素材による中国生産が加速され、それまで低価格の商品が中心であった中国製品が「百貨店・専門店ブランド」にも普及しました。
それは百貨店のSPA化や商社によるOEM化を加速しました。
また、国内縫製工場やニッターの中国移転が進みました。
幾つかの国内の縫製工場やニッターが、中国での日系工場として成功を収めました。
一方で、この「暫8」は、結果として、今日の百貨店の危機や生産の空洞化による国内優秀向上の崩壊の危機などの問題を生む結果となったと考えられます。
私は、前々からブランディングやMD、マーケティング戦略などには、直近のファッショントレンド情報だけで無く、むしろ社会構造や産業(流通)構造、政治、経済、社会などの考察も重要と考えてきました。
業界紙などを見ても、ファッショントレンド情報や業界・企業情報などの記事が中心です。
このBlogを投稿するに当たって、繊維・アパレルの歴史の参考にするために、繊研新聞が発行している「Fashion Business Guide2006」=日本のファッション産業全般のガイドブック・参考書」を参考のために見てみました。
そのガイドブックに、繊維アパレル年表が掲載されています。
その年表の“政治・経済・社会の重大事項”の欄に、「日米繊維交渉の歴史」や「プラザ合意」、「大店法」などの重要項目が見当たりません。
今後日本の繊維・アパレル産業がグローバル化や流通、産業構造の変化への対応策が求められる中で、このような歴史感に基づいた思考も軽視できないと考えます。
ライフワークとして、「アパレル史」をまとめてみたい衝動に駆られます。