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専門学校の講義でお世話になった深喜毛織㈱視察研修で、驚きと感銘を受けたことがあります。
それは「深喜毛織㈱の歴史の古さ」と、「技術と設備の新しさ」です。
「歴史の古さ」については、深喜毛織㈱の創業が明治20年(1887年)で、規模は別にしても、明治15年創業の東洋紡らと同じく、深喜毛織の歴史は、日本の紡織の歴史と言えます。
「新しさ」については技術と環境対策に対する姿勢です。
ISO9001は言うに及ばず、環境ISO14001も取得して徹底的な環境対策を行なっています。
私の昔の紡績・機屋、染工場のイメージから程遠いものでした。
今日は深喜毛織の歴史の部分をご紹介します。
私が驚き、感銘を受けたのは本社資料室です。
パンフレットにも「日本の毛織物史を切り開き、その発展の道をともに歩んだ弊社の百十余年の成果が、貴重なサンプルファイルに収められています」と紹介されています。
説明によりますと、明治20年の創業から深喜毛織㈱が生産した生地のスワッチが全部保存されているとのことでした。
資料室には、綺麗なファイルに保存されている資料が、まるで図書館か資料館のように保存されていました。
現在はカシミヤに特化した商品多いが、昔の深喜毛織㈱は、紡毛のトップメーカー(高品質の)でもあり、その資料は貴重なものだと思います。
日本のファッション史や紡績、アパレル史だけでなく、貿易(産業史)や郷土産業史等にも、多いに役立つものと思います。
創業当時は工場の周辺は一面綿花畑だったようです。
深喜毛織㈱も創業は綿紡織からのスタートとのことです。
戦前戦後の日本の基幹産業の一端を担った泉州から泉南にかけての当時の状況が窺えます。
係りの方の説明で興味を感じたのは、資料室には、太平洋戦争の「戦時統制経済」下の数年の資料が無いとのことでした。
戦時統制経済下では、軍の統制のもとに、資料用のスワッチすら流用を認められず、その期間に限って資料の作成が出来無かったとの説明でした。
私は昭和十九年生まれで、「戦後統制経済」の終わりの頃の記憶が微かに残っており、戦時下の状況について、ある程度理解は出来ますが、学生達には意味が充分理解出来ないようでした。
戦時体制下の状況が改めて認識できました。
その意味でも近代史にも貴重な資料だと感じました。
このような資料は少ない様で現存するのは他に1社ではないかとのことです。
当日は時間が無かったので、中身を詳しく見る事ができませんでしたが、後日に時間を作ってジックリ見てみたいものです。
深喜毛織㈱の歴史を改めて感じました。
帰路の車窓から、泉州地区の紡績や機屋、染工場の跡地と思われる土地に、真新しい大きなマンションや分譲住宅が建ち並んでいるのが見えました。
日本の繊維産業を支えてきた工場群が徐々に消えていく光景を目の当たりにして、現在の日本の繊維の縮図を見る思いで、云いようのない寂しさを覚えました。
土曜日の神戸コレクションの華やいだイベントに比べると、この現実に複雑な思いがします。
次回は深喜毛織㈱の「技術と環境対策の新しさ」を紹介したいと思います。
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