ところで、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という本が
話題になるぐらい、エコや環境問題には、ウソくささがつきまとう。
どうしてそうなるのか、
私が考える本質的な理由はふたつ。
ひとつは、自分の目で見ることができないから。
今の環境問題に文脈を通じる「環境問題」の発祥は、
1972年に出版された書籍「成長の限界」だと言われている。
※ Wikipedia 成長の限界
また、気候変動についても、
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)という"誰か頭のいいひと"が言ったことが
「人間が出すCO2のせいで地球が温暖化している」という有力説の根拠になっている。
※「地球温暖化」Wikipediaより引用
地球温暖化は、自然由来の要因と人為的な要因に分けられる。
20世紀後半の温暖化に関しては、
人間の産業活動等に伴って排出された
人為的な温室効果ガスが主因となって
引き起こされているとする説が有力とされている。
2007年2月には国連の気候変動に関する
政府間パネル(IPCC)が発行した
第4次評価報告書 (AR4) によって
膨大な量の学術的(科学的)知見が集約された結果、
「人為的な温室効果ガスが温暖化の原因である
確率は9割を超える」と報告された。
この報告が現在の世界の動きの基礎となっている。
油田の奥底も、空気中のCO2も、
自分の目には見えない。
地球全体の大気の動きだって、見えるわけがない。
しょせんは人から聞いた話だから、
疑いたくなるのもムリはない。
ふたつめは、エコや環境に取り組むことがえらい。という風潮が
どこからともなくつくられていること。
人間には、
「えらい」とされている何かや、それをしている誰かがいると、
偽善を疑い、暴きたくなる心理がある。
だから、権威ある存在によって理論的に
偽善が暴露されると、「やっぱりね。」となり、
誰かに「でもあれ、うそらしいよ。」と
言いたくなっちゃうところがあるんだと思う。
エコや環境問題には、そもそも"存在基盤の危うさ"がある。
そのうえ。
リサイクル業者の悪行が暴かれたり。
エコを標榜する商品やサービスがあふれかえり、
ひとびとを混乱させたり。
☆ヤシをつかったエコ洗剤を大量につくるために、
オランウータンの住む原生林をヤシプランテーションに
してしまったら、それはエコではない。
☆ホットヨガでLOHASに美しくなるために
暖房をガンガン焚くのもエコではない。
あることを解決するように見せかけて、
別の問題をつくりだすような近視眼的な方法が、
解決策として取り上げられたり。
☆二酸化炭素の地下貯留なんて、そのいい例だ。
していれば、そりゃ「ウソくさい」となって当然だと思う。
だから、
「ウソくさいし、目の前にあるしごとは忙しいし、
恋愛も子育ても買い物もしなくちゃいけないし、
もし本当だとしても私に何ができるの?って感じだし」
という無関心状態になってもムリはない。
だがしかし。
*************************
以前に行った新宿Naked Loftでのトークイベントで、
マエキタミヤコさんが、
「そういうときは『たしからしさ』で判断するといい」と言っていた。
私はこの言葉を、
いろいろなことに応用できる、同じ時代を生きる先輩の
珠玉のアドバイスとしてインプットした。
『空気を読む』と言い換えてもいいと思う。
自分の感覚で、気候変動が起きてると思うか。
そして、
もし本当に起きていて、今この瞬間にも悪化しているとしたら、
その先には、何が待ち受けているか。
たしからしさで判断する。空気を読む。
私は、気候変動はたしかに起きていると思うし、
その先には、失業やなんかとは比較にならないクライシスが
待ち受けている空気を感じる。
地球規模の問題で、過去に、比較対象となる危機はない。
金融危機なんかと比べても、リスクの大きさは比較にならない。
目の前にある大切なものだけを見て、
(それは、家族や恋人や友達や生きがいや家やしごとや人生すべて)
それを守ろうとしても、
守ることはできない。
私をふくめ、みんなが住んでいるのは、
権利を持っている家でも、市でも県でも国でもなく、
地球なんだから。
だから、へいきで気候変動懐疑論をばらまく人を見ると、
空気読めないなあって思ってしまう。
何をひとごとみたいに、みんなの"スケベごころ"をあおってんの?って。
そこまで科学を疑うなら、地球がまるいっていう常識だって、
自分の目で見たことがないんだから、ウソかもしれないってことになる。
それに、ここからが重要。
問題は、気候変動だけじゃない。
環境問題をとっかかりにして社会でおきてる
由々しき問題に出会い、掘り下げてみると、
私レベルの人間がちょっと掘っただけで、
すべてはつながっていることが見えてきたのだ。
長くなったので、つづきはまた。
話題になるぐらい、エコや環境問題には、ウソくささがつきまとう。
どうしてそうなるのか、
私が考える本質的な理由はふたつ。
ひとつは、自分の目で見ることができないから。
今の環境問題に文脈を通じる「環境問題」の発祥は、
1972年に出版された書籍「成長の限界」だと言われている。
※ Wikipedia 成長の限界
また、気候変動についても、
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)という"誰か頭のいいひと"が言ったことが
「人間が出すCO2のせいで地球が温暖化している」という有力説の根拠になっている。
※「地球温暖化」Wikipediaより引用
地球温暖化は、自然由来の要因と人為的な要因に分けられる。
20世紀後半の温暖化に関しては、
人間の産業活動等に伴って排出された
人為的な温室効果ガスが主因となって
引き起こされているとする説が有力とされている。
2007年2月には国連の気候変動に関する
政府間パネル(IPCC)が発行した
第4次評価報告書 (AR4) によって
膨大な量の学術的(科学的)知見が集約された結果、
「人為的な温室効果ガスが温暖化の原因である
確率は9割を超える」と報告された。
この報告が現在の世界の動きの基礎となっている。
油田の奥底も、空気中のCO2も、
自分の目には見えない。
地球全体の大気の動きだって、見えるわけがない。
しょせんは人から聞いた話だから、
疑いたくなるのもムリはない。
ふたつめは、エコや環境に取り組むことがえらい。という風潮が
どこからともなくつくられていること。
人間には、
「えらい」とされている何かや、それをしている誰かがいると、
偽善を疑い、暴きたくなる心理がある。
だから、権威ある存在によって理論的に
偽善が暴露されると、「やっぱりね。」となり、
誰かに「でもあれ、うそらしいよ。」と
言いたくなっちゃうところがあるんだと思う。
エコや環境問題には、そもそも"存在基盤の危うさ"がある。
そのうえ。
リサイクル業者の悪行が暴かれたり。
エコを標榜する商品やサービスがあふれかえり、
ひとびとを混乱させたり。
☆ヤシをつかったエコ洗剤を大量につくるために、
オランウータンの住む原生林をヤシプランテーションに
してしまったら、それはエコではない。
☆ホットヨガでLOHASに美しくなるために
暖房をガンガン焚くのもエコではない。
あることを解決するように見せかけて、
別の問題をつくりだすような近視眼的な方法が、
解決策として取り上げられたり。
☆二酸化炭素の地下貯留なんて、そのいい例だ。
していれば、そりゃ「ウソくさい」となって当然だと思う。
だから、
「ウソくさいし、目の前にあるしごとは忙しいし、
恋愛も子育ても買い物もしなくちゃいけないし、
もし本当だとしても私に何ができるの?って感じだし」
という無関心状態になってもムリはない。
だがしかし。
*************************
以前に行った新宿Naked Loftでのトークイベントで、
マエキタミヤコさんが、
「そういうときは『たしからしさ』で判断するといい」と言っていた。
私はこの言葉を、
いろいろなことに応用できる、同じ時代を生きる先輩の
珠玉のアドバイスとしてインプットした。
『空気を読む』と言い換えてもいいと思う。
自分の感覚で、気候変動が起きてると思うか。
そして、
もし本当に起きていて、今この瞬間にも悪化しているとしたら、
その先には、何が待ち受けているか。
たしからしさで判断する。空気を読む。
私は、気候変動はたしかに起きていると思うし、
その先には、失業やなんかとは比較にならないクライシスが
待ち受けている空気を感じる。
地球規模の問題で、過去に、比較対象となる危機はない。
金融危機なんかと比べても、リスクの大きさは比較にならない。
目の前にある大切なものだけを見て、
(それは、家族や恋人や友達や生きがいや家やしごとや人生すべて)
それを守ろうとしても、
守ることはできない。
私をふくめ、みんなが住んでいるのは、
権利を持っている家でも、市でも県でも国でもなく、
地球なんだから。
だから、へいきで気候変動懐疑論をばらまく人を見ると、
空気読めないなあって思ってしまう。
何をひとごとみたいに、みんなの"スケベごころ"をあおってんの?って。
そこまで科学を疑うなら、地球がまるいっていう常識だって、
自分の目で見たことがないんだから、ウソかもしれないってことになる。
それに、ここからが重要。
問題は、気候変動だけじゃない。
環境問題をとっかかりにして社会でおきてる
由々しき問題に出会い、掘り下げてみると、
私レベルの人間がちょっと掘っただけで、
すべてはつながっていることが見えてきたのだ。
長くなったので、つづきはまた。