地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

競争の流儀。

2010年12月21日 | お仕事日記
つくづく、よのひとびとは、「競争」が好きだよなあ、と思う。

毎日、当たり前のようにニュースに登場する野球やサッカー。
どちらかが勝ったり負けたりすることが、そんなに重要なのかな、と不思議に思う。
競争を娯楽にするというのが、なんだかいまいちわからない。

職場の会話(イメージねw)やゴシップなんかでも、
ソーシャルストリームの分野でgoogleがfacebookの後塵を拝しているとか、
広末涼子の妊娠はどこのメディアが最初にスクープしたとか、
浜崎あゆみと安室奈美恵のCDはどっちが売れたとか。
私なんかは、どっちでもいいじゃん、と思ってしまうので、
プレーヤーAとプレーヤーBの競争と、
その結果にアツくなる心理がよくわからない。

前に働いていた会社では、ウェブマガジンの
カテゴリーAを担当している記者と、
カテゴリーBを担当している記者が、
PVがとれそうな記事をどっちのカテゴリーに設定するかで
小競り合いをしていた。

担当するカテゴリーの総PV数で、
自分の価値が決まるとでも思ってるのかな。
よっぽど、自分が生きてることに、そのすばらしさに、
確かさを感じられていないんだな。かわいそう。

そう思った。

そんなどっちでもいいことに感情を煽られて、
数字に魂を持ってかれてるから、
地球規模で起きている危機に対して鈍感すぎるし、
何も知らないんだな。

そう思った。

小競り合いをしていた人のうちの一人に、
「環境とか、どうでもいいから」と言われて、
「じゃあ、もう何も食べないでください」と言いそうになった。

競り合いの最前線で、その人たちの心にあったのは、
「一緒に媒体をよくしていこう」という志や一体感ではなく、
「自分の方が優れていることを証明したい」
「優越感を持ちたい」
という見せかけの、近視眼的な、短絡的な、エゴイズムだけ。
そういうふうに見えた。

結果的に、
ウェブマガジンがよくならないばかりか、
その人自身もの幸せにそうじゃなくて、
みんなの時間(=命)がもったいない、効率が悪い、と思った。


視野を地球規模に拡げれば、
今、この地球上で同じ時代を生きている人は、全員が、
地球と一緒にサバイブする、という事業の仲間。

だから、エゴイズムのための競争はムダで、効率が悪い。
それよりも、お互いの得意なことを与えあい、
足りないものを補い合うスタンスのほうが、
どれほど早くものごとが進むか分からないと思う。

例えばメーカーの開発競争。
今の文明は、明らかにこのままじゃだめで、
人間社会が地球と一緒にサバイブするためには進化が必要だ。

そのための技術やアイデアは、誰でもいいから得意な人が、
協力しあって早く出してくれなきゃ。

一時的な優越感や利益のために、味方と敵にわかれて
競争することを好むのは、もうやめにしないかな?

それが、ソ連で失敗した社会主義とどう違うの?と言われると、
勉強不足でまだ説明できないのだけどね。

スポーツがきらいなわけじゃない。
むしろ、感情移入して涙して、
「私もがんばろう!」って単純にやる気が出たりして、
石川遼選手や浅田真央選手に感謝している。

野球やサッカーも、すごい守備とか、スーパーゴールとかは大好き!
この一瞬のために、この人は今まで
いったいどのくらいの時間を、たったひとつのことに
費やしてきたんだろう、と想像すると、
そのひたむきさや真摯な思いに、本当に泣けてくるし、
ただただ尊敬する。

だけどそれは、彼ら彼女らが勝ったり負けたりするからいいのではない。
自分をかけて、与えられた自分(それはつまり、好きなことやワクワクすること)を
めいっぱい、やりとげようとしている姿がいいのだ。

「負けたら価値がない?」
そんなわけがない。
負ける人がいるから勝つ人がいる。
コインの裏と表。
だから、負ける人にも価値があるのだ。
せいいっぱい「自分」してれば、とてつもなく大きな価値が。

「2番じゃだめなんですか?」
せいいっぱい「自分」してれば、だめじゃないです。

「競争」の存在意義は、
競争相手をリスペクトしながら、それぞれが、
与えられた才能や命をせいいっぱい表現する
モチベーションになることであるはずだ。

全否定はしないけど、
その本質から逸脱しない競争であってほしい。

それはきっと、「競争」じゃなくて「切磋琢磨」だ。