10月です。
と書く間もなくもう10日。
久高島と沖縄本島を行き来して、
星暦と旧暦と台風で時を刻みながら、
今年もここまで生きてしまいました。
全然ブログ更新してないのに、
相変わらず、
たくさんの訪問者の方々に見に来ていただいてます。
ありがとうございます。
私は、季節の変り目の風邪をひいています。
世界は一見、相変わらずです。
私も一見、相変わらずです。
でも、皮一枚分、その下では、
うねりうごめく大潮流がどこかに向かって
走り始めている。
それは大きすぎて、動いているように見えないだけなのかもしれません。
あるいは、私たちはその大潮流の上に、まるっと乗っかってしまっていて、
自分も動いてる、だから、動いてるのが見えないのかもしれません。
とにかく。
なんだかとてつもないものを、日々感じています。
早いんだけど、濃くて深い毎日。
意味を見出せることがあまりにも多過ぎて、
大変贅沢でありがとう、な毎日。
小さな落胆の裏庭に落ちているもっと大きな希望の種を
見つけて拾って前庭に植える毎日。
大切なものは目には見えないからこそ、
目の前のあなたや感情やできごとから目をそらさない毎日。
嘘と本当の境目が消え去って、
情報の重みは私という存在からの距離で量られる毎日。
すべての人が与えられた使命と才能に気付いて
まじめにその原石を磨ける世界への橋。
その橋を、渡りたい。
世界では相変わらず、
森が焼かれ人が殺され水が断たれ
薬漬けの食べものが売られていて、
人類は自らの生命維持装置を破壊する
緩慢な自殺をやめようとしない。
何が誰のどんなニーズを満たすために
猛スピードでまわっているのか
知っている人はほとんどいない。
システムの破壊力を前に、
どんな名言も知識も一見、
無力だ。
でも。
言葉は、ひとりの人間の意識を変えることができる。
うれしい気持ちや楽しい気持ちで生きていく。
見知らぬ人の願いを叶えたい。
そのために、ためらわずに言おう。
ためらわずに書こう。
もう言い訳をしている時間はない。
今に拘泥して未来を霧と靄の中に隠している時間はない。
あなたの成長のために、私自身の成長のために。
愛をもって厳しく、私は知的怠慢を許さない。
自分の言葉で話さない誰かを許さない。
誰もが発信者になれるソーシャルネットワークにおいて、
発信する力と権利はその背中に義務をくっつけていることを
忘れてはいけないと思う。
真実は自分という深い森、高い山、深い谷の中にある。
義務を果たすことは、その森に分け入り山を登り谷を下り
真実に辿り着こうとする覚悟を決めるということだ。
システムが構築される過程で、
私たちはずいぶんとバカになってしまった。
バカになるようにしむけられてきた。
そうして、
会社をはじめあらゆる組織がなければ生きていけないように
しむけられてきた。
誰かの賢さはときに誰かの自尊心を傷つけ、
疎まれ、そして無視される。
だけれども、そのことを怖がって何になるのでしょうか。
もちろんすべてを知ることは不可能だ。
だから、知的自立とは、自分だけを信じるということではもちろん、ない。
知的怠慢とその裏にある知的崇拝にきっぱりと別れを告げて、
知的自立を目指せば、
おのずと知的謙虚さが訪れる。
そうして実りある対話が生まれ、
そこが新しい文明生誕の地となる。
だからね、もっと勉強しよう。
いくらでも勉強しよう。
勉強がつまらない苦痛だという思い込みは、
システム維持に都合のいい刷り込みだから。
そして、間違ったら間違ったと認め、
知らないことは知らないと言おう。
そうなるように、やっていきます。
次の文明への橋を、一歩前へ、進むために。
と書く間もなくもう10日。
久高島と沖縄本島を行き来して、
星暦と旧暦と台風で時を刻みながら、
今年もここまで生きてしまいました。
全然ブログ更新してないのに、
相変わらず、
たくさんの訪問者の方々に見に来ていただいてます。
ありがとうございます。
私は、季節の変り目の風邪をひいています。
世界は一見、相変わらずです。
私も一見、相変わらずです。
でも、皮一枚分、その下では、
うねりうごめく大潮流がどこかに向かって
走り始めている。
それは大きすぎて、動いているように見えないだけなのかもしれません。
あるいは、私たちはその大潮流の上に、まるっと乗っかってしまっていて、
自分も動いてる、だから、動いてるのが見えないのかもしれません。
とにかく。
なんだかとてつもないものを、日々感じています。
早いんだけど、濃くて深い毎日。
意味を見出せることがあまりにも多過ぎて、
大変贅沢でありがとう、な毎日。
小さな落胆の裏庭に落ちているもっと大きな希望の種を
見つけて拾って前庭に植える毎日。
大切なものは目には見えないからこそ、
目の前のあなたや感情やできごとから目をそらさない毎日。
嘘と本当の境目が消え去って、
情報の重みは私という存在からの距離で量られる毎日。
すべての人が与えられた使命と才能に気付いて
まじめにその原石を磨ける世界への橋。
その橋を、渡りたい。
世界では相変わらず、
森が焼かれ人が殺され水が断たれ
薬漬けの食べものが売られていて、
人類は自らの生命維持装置を破壊する
緩慢な自殺をやめようとしない。
何が誰のどんなニーズを満たすために
猛スピードでまわっているのか
知っている人はほとんどいない。
システムの破壊力を前に、
どんな名言も知識も一見、
無力だ。
でも。
言葉は、ひとりの人間の意識を変えることができる。
うれしい気持ちや楽しい気持ちで生きていく。
見知らぬ人の願いを叶えたい。
そのために、ためらわずに言おう。
ためらわずに書こう。
もう言い訳をしている時間はない。
今に拘泥して未来を霧と靄の中に隠している時間はない。
あなたの成長のために、私自身の成長のために。
愛をもって厳しく、私は知的怠慢を許さない。
自分の言葉で話さない誰かを許さない。
誰もが発信者になれるソーシャルネットワークにおいて、
発信する力と権利はその背中に義務をくっつけていることを
忘れてはいけないと思う。
真実は自分という深い森、高い山、深い谷の中にある。
義務を果たすことは、その森に分け入り山を登り谷を下り
真実に辿り着こうとする覚悟を決めるということだ。
システムが構築される過程で、
私たちはずいぶんとバカになってしまった。
バカになるようにしむけられてきた。
そうして、
会社をはじめあらゆる組織がなければ生きていけないように
しむけられてきた。
誰かの賢さはときに誰かの自尊心を傷つけ、
疎まれ、そして無視される。
だけれども、そのことを怖がって何になるのでしょうか。
もちろんすべてを知ることは不可能だ。
だから、知的自立とは、自分だけを信じるということではもちろん、ない。
知的怠慢とその裏にある知的崇拝にきっぱりと別れを告げて、
知的自立を目指せば、
おのずと知的謙虚さが訪れる。
そうして実りある対話が生まれ、
そこが新しい文明生誕の地となる。
だからね、もっと勉強しよう。
いくらでも勉強しよう。
勉強がつまらない苦痛だという思い込みは、
システム維持に都合のいい刷り込みだから。
そして、間違ったら間違ったと認め、
知らないことは知らないと言おう。
そうなるように、やっていきます。
次の文明への橋を、一歩前へ、進むために。