地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

自己実現と他人の評価。

2010年10月31日 | お仕事日記
当たり前だけど、自己実現には、他人の評価が必要だ。

ヒマが大事。
それは、大事なことを大事にしながら、好きなことを追いかけて、
自分にピントを合わせて日々を過ごすってこと。
生まれてきた意味は、そこにあると思う。

今でこそ、胸を張ってそう言えるけど、
社会に出てから、堂々とヒマでいられるようになるまでに、
いろんなことがあった。
それは、自分を探す旅ではなくて、
他人の評価を探す旅だった。

2002年に大学を卒業した私は、
失意の中で社会人生活をスタートした。
まわりの親友たちが一流企業で手厚い新人研修を受けていた頃、
私は左手と電話の受話器をガムテープでぐるぐるまきにして、
アポ取り電話にいそしんでいた。
それなのに、私のお給料はみんなよりもずっと低かった。
だから、挫折と屈辱がいつも心の真ん中にあった。

どうしてそんなことになったかというと、
就職活動の最中に、私を評価してくれる人がいなかったから。
なぜいなかったかというと、私自身が、私を評価してくれる人を
探さなかったからだ。
「自分は他の人とは違う」という自意識のかたまりだった私は、
「とりあえず一流企業は全部受ける」というスタンスの同級生を
どこか見下していた。(カッコ悪いw)
それで、学生時代、ウィンドサーフィンばかりして、
ろくに本も読んでいなかったくせに、
ほとんどマスコミしか受けず、ことごとく玉砕して就職活動を終えてしまった。

人一倍負けず嫌いだった。
つまり、人が受ける他人の評価と自分が受ける他人の評価を比べて自分を評価していた。
だから、一流企業に勤める友達の社会的地位と年収に対して、ものすごく嫉妬した。
そこで、私は営業成績で一番になることに決めた。
入った会社は、成果報酬主義というヤツを採用していて、
とにかく数字をあげれば、お給料が上がるしくみになっていたから。
お給料を上げて、「私はできる」ということを確認し、知らしめたかった。

会社では毎週、「営業読み会」というのがあって、
各営業マンが目標数字に対してどのくらい売れているかが
社長や営業部長、マネージャー、他の営業マン全員の前にさらされる。
売れる営業マンは価値があり、売れない営業マンは価値がない。
その現場では、人間性は無視される。
私は価値がある人になりたかったので、誰よりも夢中で数字を追いかけた。
休みの日も、いつも営業目標の数字が頭から離れなかった。
同僚も同期も全員、仲間ではなくライバルだった。
まわりを相当、ギスギスさせていたと思う。

がむしゃらにやった結果、1年後には、トップセールスになっていた。
22歳のときのことだ。

それで、満足したかというと、そうでもなかった。
大きな受注が取れたときはうれしく、楽しかった。
自分が誇らしかったし、自分の成長を感じることができたから。

でも、強くて温かくて威風堂々としてて厳しくてこわい社長に、
「浅倉。日本一売れる女性営業マンを目指せ」
って言われたけど、まったくピンとこなかった。
だって、私はものかきになりたかったから。
キレイな写真がいっぱいの、おしゃれな雑誌の記事をつくったりすることに
心底憧れていたから。

それに、トップセールスになったら、当然、営業目標の数字も増えたし、
「ここから落ちられない」というプレッシャーは相当なものだった。
お給料がどんどん増えて、ストレスもどんどん増えたので、
無駄遣いもどんどん増えた。
7万円の服を衝動買いして、当時の彼氏をあきれさせたことを
今も覚えている。

何よりも、お客さんの顔が札束に見える精神状態を、
自分でやばいな、と思った。
そして、ある時気付いた。
「今私が売っているバナー広告のサービスがなくなっても、誰も困らない」
ってことに。
私は、私のお給料を上げ、私が評価されるためだけに、
時間を浪費しているんだってことに、気付いてしまった。

早い話が、誰かの役に立っている実感も、
自分が本当にやりたいことをやっている実感もゼロだった。
だから、ストレスがたまったんだと思う。
今振り返っても、その頃は、ただただものすごく忙しかった時間として
記憶している。
もし、やっていたことが自分にピントが合っていて、
誰かの役に立っている喜びがあったなら、
どんなに長時間働いていても、
忙しかったというだけの記憶にはなっていないはず。

若い感性と体力がもったいなかったと思う。
そんなことに時間を浪費するぐらいなら、
他にもっと、やっておきたかったことだってある。

だけど、そこで「他人の評価」を見つけたことが、今につながっている。
私にとっての「自分探し」は、「他人の評価探し」だったんだと思う。

「営業成績一番」という「他人の評価」を見つけた私は、
それを引っさげて、大手メディア会社に転職し、
雑誌の編集者になることができた。
失意のうちに社会人生活をスタートさせて、約2年後。
24歳になる直前のことだ。

私がトップセールスになれたのは、そのときの上司が何かと
引き立ててくれたことが大きい。
自分探しをするなら、自分を評価してくれる人を大事にすること。
誰も評価してくれなかったら、評価してくれる人を探すことが、
大切と思う。

おまけ。
営業を頑張ったことで、自己実現以外の、意外な副産物が手に入った。
それは「こけたら営業」という「保険」が自分の中にできたこと。
本当に食べるのに困ったら、完全歩合制の営業をやればいい。
今でもその自信は、好きなことを追いかけるためのエンジンになっている。


ポジティブな社会。

2010年10月31日 | お仕事日記
ピースボートの主役は、参加者だ。
1000人が、寝食を共にしながら
社会をつくっていくさまは、とっても興味深かった。

多分、みんなが入学したての新入生みたいに、
期待に胸をふくらませて初日を迎えたと思う。

与えられた時間を最大限に楽しみたい、
何か一生大切にできるようなものをつかみ取りたい。
という願いが叶えられるかどうかは、自分にかかっている!
と、少なからず気負いながら。

本来、人生そのものがそうだけれど、
「80日間の地球一周の船旅」とか、「3年間の高校生活」という
時限装置付きのステージでは
その願いが凝縮されて現れるように思う。

だから、時間が輝くのかもしれない。

1000人の人間が、自分で自分の願いを叶えようという
前向きな方向に積極的な精神状態をもって
集まっていることは、
船内に独特の空気を生み出していた。
そしてそれは、とっても心地いいものだった。

通勤時間の満員電車に漂う、何とも言えないどよ~~んとしたもの。
疲労と不満とあきらめが沈殿した何か。
の対極にある、キラキラした高揚感が充満していた。

そんな中、350人の若者がつくり出した社会に派閥がなかったことに、
私は感動した。

学校のクラスにも、公園デビューのママさんにも、
一流企業の職場にも、国際政治にも、必ず派閥が存在する。
というのが、今までの私の常識だった。

ボスがいて、とりまきがいて、
何となく別の派閥の人とは仲良くしない。
どこかの派閥に所属していることが自分のアイデンティティでもあり、
派閥は自分に居場所と利益を与えてくれる。
イベントごとのときは、必ず同じ派閥の人と行動する。
という社会。

ところが若者たちは、寄港地ごとに、
そのときにたまたま話が盛り上がった子どうしで
行動していた。
Barでも、夜な夜ないろんな切り口で輪ができていて、
いつもいつも一緒にいて幅を利かせているグループはなかった。
友達になってみると、私が勝手に別々のグループだと
思っていた子どうしが、何の境界線もなく友達だったりした。

みんな仲間で、みんなで楽しみたい。
人と喜怒哀楽を共有したい。
若者たちは、そんなマインドで、
ふわりふわりとしなやかに、生きているように思った。

境界線が戦争を生む。だから、
境界線のない世界をつくれる人々はステキだ。

自分のまわりに派閥や境界線をつくらないことが、
ポジティブな社会をつくる第一歩だ。きっと。