地球族日記

ものかきサーファー浅倉彩の日記

5月12日(土)のつぶやき

2018年05月13日 | お仕事日記

肩書き保留。

2018年05月12日 | お仕事日記

肩書きが、やっかいでしかたがない。

たった一言で、わたしを表現できるわけがない。

機能で見られたくない。

誰かが代表をしている、なんらかの団体に所属して見られたくない。

わたしはわたし。

わたしはあなた。

今、目の前にいるわたしに集中してほしい。

どこにいるかわからない。

何をしてるかわからない。

あとから全部わかるから、今はまだわからない。

この強烈な願望は、学歴ラベリングへの強烈なアンチテーゼであり、
学歴ラベリング思考が刷り込まれている反動としての、
アンチアイデンティティ思考の現れである。

肩書きも言語であり、言語は「生」の「今」つまり「LIVE」の思考やあり方の排泄物なので、
言語化されたとたんに陳腐化していくのはしかたがない。

言葉って、そういうものだ。

肩書きには柔軟性がない。固定であり、枠組みであり、ラベルであり。
わたしが嫌いなものばかり。

4月8日(日)のつぶやき

2018年04月09日 | お仕事日記

かつてのわたしのような、変わり者の女の子のために。

2018年04月08日 | 自分日記

わたしは、カッコいい女性になりたかった。

凛としている。
賢い。
自分の考えを持ち、はっきりとそれを言う。
潔い。
自分の仕事を持っている。

「お母さんになりたい」と思ったことは、ない。
そして「誰かの妻になりたい」と思ったことも、ない。

将来の夢は?
作家。

お嫁さん、だなんて、絶対に一度も言ったことがないことを、神に誓ってここに断言する。

ただし、
世間では結婚して妻になって子供を産むが当たり前で、
だから、結婚して妻になって子供を産みたいと思うのが当たり前で、
当たり前のことを人と同じように願って実現しないと「できない」と劣等のレッテルを貼られる、
そのことを怖いと思い始めるまでは。

わたしにとっては、
「結婚して妻になって子供を産むのが幸せである」という世間一般の幸せモデルが、
いつのまにインプットされ自明のものになるのか、未だに謎である。

まわりがざわつき始めたのは、26歳ぐらいのときだった。
19歳の時にできた彼とポケッとそのまま付き合っていたわたしに
「彩は``くんと結婚の話とかしないの?」みたいな質問が飛んでくるようになった。

「結婚って大人がするものでしょ」「結婚?なにそれ、美味しいの?」「えーわたしたちまだまだ小娘じゃん」
などと言うわたしに、皆は「いいよね、安定した彼氏がいる人は。そんな感じでそのまま結婚したら、あっぱれだわ」
みたいな反応を示した。
そう、すでにまわりでは、妻という男一人につきひとつしかない席をめぐる、「いい男の妻の座争奪戦」が
始まっていたのだ。

ここでいういい男とは、言わずもがな高学歴高収入高身長、優良企業に勤めていて育ちがよく浮気をしないなどのスペック面で
優れているという意味だ。
今思えば、われわれは超氷河期世代にあたるので、上記の定義上のいい男の総量は少なく、
そこに加えてイケメンだったりスポーツマンだったりするとほとんど絶滅危惧種だった。
そして彼らは、30歳を迎える前にあっというまに絶滅し、既婚者族という鬼籍に雪崩れこんでいった。

今思えば、わたしが私が思うカッコいい女性になることとは、まったく関係のないことだった。

打って出る必要のない、戦いだった。
ただ、若くて血気盛んな若者だったわたしは、「これはこれで味わっておこう」という気分で、
スペック面から見たいい男争奪戦に片足をつっこんだりもしてみた。

戦場では、悲惨な現実を見た。
そこで求められていたのは、男にとって都合のいい女像だった。
モテるために、モテてプライドを満たすために、競争に勝つために、仮面をかぶる女たち。
戦場では、「男ウケ」が正義。いかに上手に仮面をかぶれるかが勝負。
そしてその男ウケとは、それまで頑張ってきた勉強や、今頑張っている仕事とは別物。
「できる」ようになろうと頑張ってもだめで、「俺が守ってやるから、俺の思い通りかわいくおとなしくしてろ」という
男のヒーローイズムにいかにうまく付き合うかがすべて。
はっきり言って、付き合ってられない。

経済的にも精神的にも自立していて、
「ねーねー 仕事とわたしとどっちが大事なの?」なんて口が裂けても言わず、
「わがまま言ってんじゃねーよ(ったくこいつは俺がいないとだめなんだよな♡)」
とか言わせてあげることができない。

それを世の中では「可愛げがない」と言う。

さて、「いい男」とここまで書いてきたが、ここで改めてその定義を整理したい。
身長と浮気の有無はさておき、高学歴高収入、優良企業に勤めていて育ちが良いいというのは、
既存のシステム上の勝ち組になることを目指し、それをなし得たステレオタイプということだ。

ステレオタイプは、当然のことながら女性に求める要求もステレオタイプ。

三歩下がって男を立て、家を整えて待つ内助の功。

それを求める男と、それがしたい女がマッチングして鬼籍に入っていく、それが婚活市場だった。
そこに、わたしの居場所はなかった。それも、片足突っ込んでるだけ腰掛けの(笑)

今振り返れば、ただそれだけのことだ。

でも、時が経っても経っても独身のままでいるうちに、
わたしはいつしか、その競争に乗っかれなかった自分を
責めるようになってしまっていた。

私はただ、小さい頃から変わらずに、優しいお母さんでも、可愛い妻でもなく、
カッコいい女性になりたかっただけなのに。

私に私自身を責めさせた、世間のレッテルには苦情を言いたい。
でもそれ以上に、そんなものに影響されて、自分を責めてきた自分を、とても悔しく思う。

でも、人間は弱い。
嫌われるのも、劣等感を植えつけられるのも、辛いし怖い。

だからこそ、わたしは後の時代を歩く、わたしのような変わり者の女の子のために、
これからも日本社会で生きて行くつもりのわたし自身のためにも、やはり言わなければならない。

「幸せのかたちは人それぞれ」

という、あまりにも当たり前のことを。

3月30日(金)のつぶやき

2018年03月31日 | お仕事日記

地域で働くとかキャリアとかについての考察

2018年03月30日 | お仕事日記
都会は、みんな、はやすぎる。
田舎は、みんな、ゆっくりすぎる。
ちょうどいいところに居場所を見つけられると、幸せなんだと思う。
わたしは、東京のびゅんびゅんな最先端も気になるし、田舎、つまり開発されていない自然が多く残っている、地面がコンクリートでない部分が多くて、朝日が登り夕日が沈む自然のリズムがかき消されていない場所にいる時間もかなり必要。
だから、両方をブレンドして、ベストミックスを見つけたら東京と沖縄の二拠点になった、という感じです。最近そこに鎌倉も加えてみました。

そんな中、今手がけている仕事のために、成功する地域への転職や移住ってどんなものか?ということを考えていたら、「ローカルでの仕事はキャリアになるのか?」という超東京目線ながらど真ん中なテーマのイベントがあったので、行ってみた。

そこから、「ていうかそもそもキャリアって何だっけ?」を考え始めた。「キャリア」を「プロフィールに書けそうなこと」とか「能力」と言い換え思いつくままに書き出してみますと。

ブランド学歴
ブランド社歴
仕事をたくさんとってきたことがある。
たくさんの人がかかわるプロジェクトを立ち上げた。
海外に進出した。
マネジメントした。
社内でMVPに輝いた。
儲かるしくみを考える力がある。
何かしらの技術がある。
新しい技術やアイデアをいち早く取り入れる。
事務処理能力がはやい
脳の情報処理がはやい。
持っている情報量が多い。
いろんな人をたくさん知っている。
意思決定者との距離が近い。
その道のトップランナーを知っている。
有名な話題のプロジェクトにかかわった。
本を出した。
省庁と仕事した。
肩書きがなんとか長でそのあと、なんとか長になった。

「ローカルでの仕事はキャリアになるのか?」が、「これらがすべて、地方でもできるのか?得られるのか?」という問いなのだとすれば、できる人はできるしできない人はできないとしか言いようがないと思う。
そう思いつつ、そもそも、これらができるかできないかを成功するU・Iターンの軸にしようとする時点で、論点がずれているのではないかと思った。(問いの立て方、大事)

注目すべきは、キャリアじゃなくて、からだのリズムなんだと思うんだけど。

ひとりひとりが持っている体内時計に近いペースでまわる生活や社会が本人にとってもその社会にとっても幸せなわけで。はやすぎても遅過ぎても噛み合わない。
双方のメリットを考えるのであれば、「都会のペースに合わせることも能力的にできるからやってるけど、決して心地いいわけじゃない」みたいな人が地方に移住すると、お互い幸せで、仕事でもいい成果が出るんじゃないかと思う。

この「ペース問題」は、人がしゃべるスピードに注目してきた私の、ひとつの視点。
例えばリクルート(わたくしのブランド社歴w)の人は、とにかくしゃべるのがはやいし声も大きい。関西の人も多いから、ラテンの乗りがあり、ユーモアも交えた話術がほんとすごい。相乗効果でどんどんはやく大きくなっていく感じ。

すごい!って感じで面白かったけど、そういう人ばかりがひしめきあっている場は、いるだけでけっこう疲れた。わたしはひとりでじっくりいちいち立ち止まって考えたいのに、それができないから。でも、当時はなんか意地があって「仕事ができるわたし」でいたかったわたしは、無理をしてそこにいた。

若い時分の3年半ぐらいはなんとかなったし、すごいスピードで仕事を覚えさせてもらえたからあの3年半があって本当によかったけど、とにかく「速いの辛い」だったのです。

一方で、沖縄の家族のように愛する親友は、ゆっくりすぎる(笑)おーーっと今沈黙してたんじゃなくて考えてたんだ!っていう間とかが半端なく長い。ホッとはするけど、覚悟を決めてチャンネルを合わせないと、けっこうイライラしてしまう。「ゆっくりも辛い」笑

突然話は飛ぶけど、砂浜で、ヤドカリを集めて、指で砂に道をつくってそこにヤドカリを投入すると、つくった道を我先にと競争し始めるグループが多数派ながら、「は?付き合ってられんわ」って感じでハナから道がないところに迷いなく、速攻で脱線する個体が2割ぐらいいます。

移住する人って、どこかそういう気質を持ち合わせていて、能動的に自分が心地よい場所を探せる主体性があって、キャリアとかいうバズワードにあまり頓着しない人たちなんじゃないかという仮説。

とはいえ、それだと仕事的には答えにならないのでー。

ローカルでキャリアが積めるかという問いが、身も蓋もなく言えば「都落ちじゃないU・Iターンはあるのか」という問いなのだとすれば、上に記した、現状「キャリア」から連想される実績に相当するリストの中に、ローカルでの就業経験(それも3年ぐらい)が入るぐらいの、広く人口に膾炙する意識改革が必要ですよね。むしろ「東京だけなんてダサい」が普通になる、みたいな。

そのためには、地道にローカルをフィールドにして成功して幸せに暮らしてる人を立てていくしかないのかな。(ここで、現在の仕事の意義が腹落ち)

それか、ずっと前に、兵役みたいな感じで農役を導入したら食料自給率上がるんじゃないかとか真面目に思っていたことがあるけれど、人生のうちの何年間かを、国民の義務としてローカルで従事することに決めるとか。

12月20日(水)のつぶやき

2017年12月21日 | お仕事日記

12月18日(月)のつぶやき

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11月20日(月)のつぶやき

2017年11月21日 | お仕事日記

11月19日(日)のつぶやき

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