最近、言葉の乱れということがすごくよく指摘されてます。
でも、その中で、乱れとは決め付けられないのではないかという気がするようなものも結構あるように思うときがあります。
例えば、「全然大丈夫です。」は、正しくは「全然問題ありません。」でなければならないといいます。
でも、「全然大丈夫です。」のニュアンスは、「全然問題ありません。」とは違うと思うのです。もっと積極的に大丈夫な感じをアピールしたいニュアンスのときに使うものではないでしょうか。これは新しい表現として認めていっていいような気がします。
あと、有名なのが、「食べれる」とか、「見れる」とかいった、いわゆる「~れる」表現。これは昔から文句を付けられっぱなしですが、私は、これは言葉の正常な進化ではないかと思うのです。
「食べれる」は正しくは、「食べられる」なわけですが、「食べられる」だと、受身の意味にも取れます。一方で、「食べれる」は可能の意味にしかとりようがない表現です。なので、可能の意味であることをはっきりさせるために「食べれる」とするのは明確で良いのではないかと思うのです。また、一字省略することになります。
言葉なんてものは、そもそもそれを使っている人間が使い方を決めるのが原則ではないでしょうか。誰か偉い人が押し付けるものではない面がかなりあると思います。
ま、あまりにも乱れると、バベルの塔みたいに通じなくなってしまい、共同の社会生活を営めなくなってしまうから、もちろん限度はありますが、言葉の変遷において合理的進化とした扱うべきものについてまで、「正しくない」とか言うのは余計なお世話ではないかとたまに思うときがあります。