この前、あるきっかけがあって気づいたことがあります。
それは、私達の祖先を延々とたどっていくと、必ず最初の生命が誕生した場面に行き着くはずだということです。
生命があちらこちらで同時多発的に発生したとしても、とにかく、今の我々の見方からする生命が存在してないところに生命が発生した場所、時間に行き着く他ないのです。
とすると、その前は何なのか?ということになります。
それは、間違いなく、生命ではないもの。生命発生以前なわけですから当然です。生命ではないものから、生命が生まれ、その後脈々とその命を受け継ぎながら私達にまでいたることになるのです。
とすると、祖先という言葉の定義にもよりますが、私達の祖先は究極的には生命以前の存在であることになります。
じゃあ、鉱物とかの、生命じゃないものも、実は遠い親戚みたいなものじゃないかという気持ちになってきたのでした。更に、ありとあらゆる存在が親戚みたいなものであるというイメージが湧いてきました。確かに、全ての物質はどんどんバラしていけば、エネルギーそのものであり、もともと同じ存在なのですから、当たり前のこととも言えます。
そしたら、何だか、身の回りにある全ての物が何だか前よりも愛おしく、輝いているかのように感じられてきたのでした。
最近、そんな、内なるリアリティの変化を体感しています。
そして、この大きな変化を経験した内なるリアリティに少し遅れて変化せざるを得ない、外なるリアリティがどのように変化していくのかとても楽しみな毎日です。
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