前にも書いたが、私の携帯を姪っ子が私よりも使いこなしていたことについては、結局彼女が私と違い、あらゆるボタンを押しまくっていたことが大きな要因だという結論だった。
そして、今度私はギャラクシーS2というスマートフォンを購入していじってみて、更にその分析が正しいということを身に染みて知ったのである。
何しろ、予断が多い。 「これはこういう機能だろう。」とか、「これは押しても意味がないんだろう。」とかの決め付けがあまりにも多いのだ。とにかく何も考えないでとりあえず押しまくればいいのに・・・
何を恐れているのかよく分からないのだが、「自由に何でも押してみよう!」、とはならないのだ。押して壊れることはほとんどないにもかかわらず。
これは本当に忌々しき事態だ。
たかが携帯ごときでもこのような行動を取っているということは、普段の生活でも同じパターンになっている可能性が極めて高い。
これまでの自分の経験則で、物事を決めつけ、それとは違う行動をしなくなっているはずなのだ。しかも、その程度は携帯の件から推察するに、ひどいに違いない。
この、経験則、学習による呪縛から逃れるには、とにかく「押しまくる」行動療法しかないだろう。
多少の失敗を恐れずに、普段の自分の行動とは逆の行動を取ってみるのだ。
そのことによって初めて、いろいろな「心の目のウロコ」が取れ、私の世界に再びドキドキする新鮮さが戻ってくるのではないだろうか?
全てのルールが急激に変動し、新たな世界が生まれ、旧来の経験則が通用しなくなってきている、この現代という時代においては、なおさらそういうことを始終やっておく必要があると確信する。