私たちは何かにつけ、「どうせ分かってもらえないだろう」と、人に対して言葉を尽くして何かを説明することを怠ろうとする。
でも、相手の立場になってみれば分かるが、きちんと言葉も尽くさないで理解しろというのは無理な話だ。
だから、できる限り言葉を尽くして、私たちは自分の思っていることや、スタンスを相手に伝える努力をしなければならない。
言葉を尽くす努力を怠っておいて、安っぽく「言葉では言い表せない」などと言うのは間違っていると常々思っている。
私たちは何かにつけ、「どうせ分かってもらえないだろう」と、人に対して言葉を尽くして何かを説明することを怠ろうとする。
でも、相手の立場になってみれば分かるが、きちんと言葉も尽くさないで理解しろというのは無理な話だ。
だから、できる限り言葉を尽くして、私たちは自分の思っていることや、スタンスを相手に伝える努力をしなければならない。
言葉を尽くす努力を怠っておいて、安っぽく「言葉では言い表せない」などと言うのは間違っていると常々思っている。
体育会の人というのは、これというピンチのときに粘る力があるらしい。
やばい、というときにヘナヘナにならないで、頑張りとおす精神力が鍛えられていると聞いた。
それはすごいなあ。
自分もそういう力を今からでも身に付けたい。
私は、どちらかというと物事、素人的な見方が正しかったりすることが相当あるという立場だ。
専門家が視野狭窄に陥っていたり、データのアップデートができずに古い考えに固執していたりして、物事の本質が見えなくなっていることが結構見受けられるからである。
だから、「このド素人が!!」という考えは比較的持ちにくい。というかあまり持ったことがない。
でも昨日、自分の書いた文章が、自分よりも明らかに国語能力が段違いに低い人に添削されて、良いところが削られて、妙な国語的文法的におかしな表現に変えられてしまったのを読んだときに、
「このド素人がっ!!」
とはっきりと思ったのだった。
それで、この手の感情をしっかり理解しておくことも今後は必要だと考えた。
こういうときはすごく感情的になるのだなあ。
だから人から持たれないようにしないと・・・