タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

♪高橋真梨子「桃色吐息」~ATUSHI:「ただ…会いたくて」♪

2018-09-13 | その他
昨日は第一曲目に高橋真梨子の「桃色吐息」をUPした積りでしたが、「はがゆい唇」でした。 改めて「桃色吐息」を。








ATUSHI:ただ…会いたくて

 ♪YouTube洋楽再生ランキング第一位の曲:『Despacito(デスパシート)』

2018-09-13 | その他

薔 薇





高橋真梨子:桃色吐息




YouTube洋楽再生ランキングダントツ第一位の曲30億回数以上の堂々1位に輝いたのは、ダディー・ヤンキーとルイス・フォンシのコラボ曲『Despacito(デスパシート)』



ダディー・ヤンキー&ルイス・フォンシ:『Despacito(デスパシート)』





 ♪ ピート・シーガー:『花はどこへ行った』 ♪

2018-09-12 | その他




長崎物語:森昌子

昨日は、ミスチルの♪花はどこへ行った~をチョイスしましたが、今日はピート・シーガー(米国)の英語版を取り上げて見ました


<ピート・シーガー>
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の、ハーバード大学中退のシンガーソングライターと言う異才の人ですが、残念ながら14,1に召されています。 音楽のジャンルとしてはフォークで、担当楽器主としてギターでした。 フォークをこよなく愛し、20世紀半ばには、フォーク・リバイバル運動に取り組んでいました。  「花はどこへ行った」「天使のハンマー」などの代表作を生み出しています。 公民権運動や環境問題について訴える活動を続けていた






ピート・シーガー:花はどこへ行った

 ♪ 井沢八郎~『ああ上野駅』 ♪

2018-09-11 | 風景

花の楽園~ベゴニア・フクシアを中心とした、様々な花が所狭しと咲き誇っています。 これはほんの一部です。





ここから先は、「鳥の楽園」すべて外来の飼育個体です。



オニオオハシクイ~上野動物園や神戸花鳥園など、全国各地の花鳥園で見られるアイドル的な鳥です。



名前は分かりませんがオオハイクイの中間ではないかと思います。 ゲージの中は暖かいので食後のお昼寝をしています。



名前が分かりませんが日本のキジの中間の鳥でしょうか。



可愛いペンギンたちが飼育員が餌をくれるのを待っている図です。 このペンギンと触れ合うショーがあって、交通安全週間やクリスマスのイベントとしては、おまわりさんの制服や、サンタクロースの衣装を着けて、園内を散歩します。







井沢八郎~ああ上野駅

 
昭和39年(1964)リリース(出典:二木紘三のうた物語より)


集団就職で上野駅に降り立ち、東京で職業生活を始めた若者の心情を歌った歌です。 「集団就職」とは、地方の中卒者が東京など大都市の工場や商店に集団で就職したことを指します。 その始まりは、昭和29年に東京・世田谷区の桜新町商店会が合同で求人を行い、東京都などの斡旋により、地方の中卒者を採用したことに始まるとされています。 以後、労働省や都道府県、公共職業安定所が日本交通公社とタイアップして集団就職が本格的に行われるようになり、中卒者は「金の卵」ともてはやされました。(こうした流れは昭和52年に廃止されています。) 上野駅と言えば北海道・東北からの集団就職者は、そのほとんどが上野駅で降り、雇い主に引き渡されました。 家族との別離、新しい生活への期待と不安、東京の文化への驚きなどは、すべて上野駅のイメージと結びついていました。 もっともそれは、集団就職者に限った事ではなく、ふるさとのなまりを聞きに来た 啄木 の昔から、北海道・東北出身者が東京で経験する成功も挫折も、すべて上野駅から始まったのです。それはいくつもの小説や詩・短歌などに表現されています。 その意味で上野駅は、東京のターミナル駅のなかでも最も多くの人びとの哀歓が染み込んだ駅だといえそうです。




 ♪ ミスターチルドレン:『花はどこへ行った』 ♪

2018-09-10 | 風景
今日は、「花と鳥の楽園」松江フォーゲルパークに出掛けて見ました。 途中先日宍道湖の沖合で仲良く泳いでいた、あのコブハクチョウの迷鳥を探しましたが、小雨が降るの中どこかで雨宿りをしているのでしょうか。 見当たりません。 そこで防波堤で休憩中の鵜や鴨を、また水田に降り立った白鷺を狙い撃ちして見ました。 この時期、鵜と白鷺は宍道湖畔に無数に居て、昼間は小魚などを捕食し、夜には近場の塒(ねぐら)に帰って行くのでしょう。 塒は一体どこなのでしょう。(ひと頃まで、白鷺は城山の森で群れて眠りに就いていたものでしたが。〉  









これは松江フォーゲルパーク内にあるため池に、無数にいる鴨やアヒル等が、お客さんが撒く餌を求めて賑やかの集まって来たところです。 かつてはペリカンや白鳥、黒鳥も居ましたが今回は居ませんでした。(ここの白鳥と黒鳥は過去に絵に描き、UPしたこともありました。)






入り口を入って直ぐのところが花の楽園となっています。 以前はこの花の下のカフェで、音楽を聴きながらティタイムを過ごしたこともあります。 フォーゲルパークは巨大なハウスとなっていて、年中適度な温度調節がしてある様です。 頭上には無数の花々が、一年を通して咲き誇っていますが、別棟(ハウス)で年間計画のもとに、たくさんの花の栽培をしていると聞きました。


~~続く~~





ミスターチルドレン:花はどこへ行った

(出典~二木紘三のうた物語より)
">『静かなドン』は、第一次世界大戦とそれに続くロシア革命の大動乱時代に、運命に翻弄されるドン・コサックを描いた大河小説ですが、その初めのほうに次のような箇所があります。 主人公のグリゴーリーが夜遊びから帰ってくると、兄嫁のダーリヤがぐずる赤ん坊を寝かしつけるために、コサックの古い歌を歌います。間に挟まっている文章を除いて歌詞だけを書き出すと、次のようになります

ねんねんよ、おころりよ
おまえはどこへいきました?
お馬の番に行きました
どんなおうまの番をしに?
金でかざった鞍おいた
お馬の番にゆきました……


おまえのお馬はどこへ行(い)た?
ご門の外に立ってます
それじゃあご門はどこへ行た?
水が流してゆきました


それじゃあがちょうはどこへ行た?
あしのしげみに逃げて行た
それじゃああしはどこへ行た?
むすめが刈ってゆきました


それじゃあむすめはどこへ行た?
むすめは嫁にゆきました
それじゃあコサックはどこへ行た?
戦さにでかけていきました……


これを基に作られた歌です。
">『花はどこへ行った』が世界に広まるきっかけとなったのは、キングストン・トリオが1961年にリリースしたレコードです。その後、ピーター・ポール&マリー、ブラザース・フォア、マレーネ・ディートリヒ、ジョーン・バエズなど名だたる歌手・グループが次々とカバーして反戦ソングの定番となりました。 日本では、昭和39年(1964)から、デュークエイセス、園まり、中原美紗緒、牧秀夫とロス・フラミンゴス、梓みちよ、ザ・ピーナッツなどがレコードを発売しています。 その後も、倍賞千恵子、加藤登紀子、フォーク・クルセダーズ、ザ・リガニーズなど数多くの歌手・グループがカバーしていますが、そのほとんどがおおたたかしの日本語詞、もしくはその一部を変えた歌詞で歌っています。






 ♪♪ 鳥撮り初心者~~ ♪♪

2018-09-08 | 風景


田園地帯のど真ん中、こんな小さな水路にも冬は水鳥であふれています。 今日はこの水路周りで「鳥は居ないのかな~。。。」と、探鳥を開始しました。 先ずは先日見たアオサギと白鷺をゲット。




いましたいました、近くの田んぼではトラクターで稲刈りしているのに、私がカメラを向けるとアオサギは直ぐに飛びたってしまいます。 やはり135mmズームでは無理の様です。



近くの既に刈り入れの終わった田んぼには、ミミズや小さな虫を捕食しているのでしょうか?シラサギが一羽。 この鳥もなかなか敏感で、直ぐに飛び発って場所を変えてしまいます。



最後は、先日行ったあの葦原のある小川に行って見ました。 カルガモが数羽泳いでいました。 望遠レンズの修理が終わって返ってくれば、鳥撮り初心者の私にも、もう少しは増しな画が撮れるのではないでしょうか。 乞うご期待を。 と言うところでした






思い出ボロボロ~内藤やす子

 ♪ ヨーロピアン・ジャズ・トリオ~Europa ♪

2018-09-07 | 風景


今から十数年も前に、県総合美術展への出品の為に描いた、この日本画(50号)「カラスウリ」は、長い間物置に眠っていましたが、この作品には、々から何か物足りなさを感じていました。 今回、松江聾学校の学園祭に展示する作品にと、これを契機に絵にメリハリ付けるため、最近、関心を持ってみる様になった、「鳥」の中から「ジョウビタキ(鳥)」を二羽描き加えて、絵の中に少しばかりの動きを与えてみました。 この鳥は、毎年裏山から我が家の庭に時々飛んで来る鳥ですが、ジョウビタキのどちらも雄鳥です。 これまで雌鳥はあまり目にしたことがありません。。。と言うよりは、雌は控え目な色合いですから、実際には私が気付かなかっただけなのかもしれません。


 








ヨーロピアン・ジャズ・トリオ~Europa


~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~

 ♪ 石川さゆり:『 風の盆恋歌 』 ♪

2018-09-06 | 風景

新しく購入した新鋭機キャノンEOS80Dの今日は初撮りに出掛けて見ました。 水都松江の水源宍道湖は台風の影響で強い風が吹いていると言う訳でもないに、水鳥を撮るには最悪の日となった様です。 宍道湖は周囲がマラソン距離とほぼ同じで約45㎞ですが、水深は最も深い所で10m足らずの浅い湖、少しでも風が吹くとこんなに波立ってしまいます。



宍道湖では水鳥も撮れそうにないので、小さな支流に行って見ました。 川の中州は葦が密集して生えていて葦原が年々復活に向かっていて、徐々に鳥や魚の住処となってきている様で、大変喜ばしい事です。(市では、数年前から葦原の復活対策に取り組んでいます。) 

 



この鳥は何と言う鳥なんでしょう。 望遠レンズを持って来なかったために、この写真では識別不能です。 私はこれまでは、この種の水鳥を十把一絡げに「鴨」と呼んでいましたから。。。名前は分かりません。



近寄ってズームアップで撮ろうとすると、驚いて一斉に移動してしまいますから、こんな画しか取れませんでした。 家に帰る途中、刈り取りの終わった田圃に沢山の白鷺や青鷺が降りていましたが、残念ながら近付く事が出来ません。 そんな訳で今日の初撮りは完敗に終わりました。








石川さゆり:風の盆恋歌



 ♪ コーヒールンバ~西田佐知子 ♪

2018-09-05 | その他


ジャジャ~ン、遂に昨日念願のカメラ(キャノンEOS80D(W))を手にしました。 親戚の娘から長らく借りて使っていたコンデジともお別れです。 ヤオフクや楽天のオークション等で、先頃から物色中でしたが、「カメラの〇〇〇〇」知り合いに相談したところ、「それは新品を買うに限る。」と言われ、確たる保証もない中古カメラよりは、こっちの方が。。。と決めました。 なぜ今かと言うと、直接の購入動機はちょっと不純ですけどね。(好きな競馬で、一発ド~ンと来たものですから。) まだ撮影方法については勉強中ですが、眼で見て、聞いてマスターした方が、理解できる(私の場合は)ので、ネットで色々検索して見ました。 そう言えば以前、テレビのリモコンが壊れた際にもYouTubeの動画を見て簡単に修理出来たことがありましから。 と言う事でYouTubeで検索をかけてみると、「カメラの〇〇〇〇」の動画がありました。(カメラの型番で検索) 便利な世の中になったものですね~。 実は今回思い切って買う気になったのは、写真撮り歩きのブロ友S,M,Rさん等に刺激されて。。。と、言うところでしょうか。 以前ポジカメラを使っていた頃の望遠レンズに、コンバージョンレンズを併用すれば400ミリまでは大丈夫です。 昨日は台風の影響で初撮りは出来なかったので、今日から再スタートと行きたいものです。


 


     








コーヒールンバ~西田佐知子


(出典:三木紘三の歌物語より)

ベネズエラのシンガー・ソングライター、ホセ・マンソ・ペローニが、1958年に作詞・作曲した「コーヒーを挽きながら」が原曲。 彼の甥のウーゴ・ブランコが、1960年に演奏してから世界に知られるようになりました。 ウーゴの演奏は歌はありませんでしたが、各国語の歌詞が付けられ、800にも及ぶカヴァー・ヴァージョンが発表されています。 そのなかでも最大のヒットとなったのは「日本語ヴァージョン」で、中沢清二の日本語詞による西田佐知子版でした。(1961・8発売) 『コーヒー・ルンバ』は、日本でつけられたタイトルで、原曲はルンバではなく、ウーゴ・ブランコが創り出したオルキデアというハイテンポのリズム形式です


 
ペローニの原詞の意味は
コーヒー農場に黄昏が迫り、静けさが広がると、聞こえてくる古いコーヒーミルの音。それは悲しい恋の歌のようだ。恋の痛みや悲しみ。それは、夜更けまで休みなくコーヒーを挽き続ける混血児のマヌエルが出す響きだ。 サンボは、南米のスペイン語圏・ポルトガル語圏で、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人と、現地のインディオもしくはムラ-トとの混血のこと。 ムラ-トは、白人と黒人の混血を指します。
Manuelは男性の名前で、末尾のlはルとイの混ざったような音。 女性の場合はManuelaとなります。


中沢清二の日本語詞は原詞とはまったく違い、コーヒーが恋の秘薬のようになっています。 コーヒーはエチオピア原産で、これが中東・イスラム地域からヨーロッパへ、さらに全世界に広まったもの。イスラム世界では、初期には宗教的な秘薬として僧侶にだけ飲用が認められていました。中沢清二の歌詞は、こうした歴史を下敷きにしたものでしょう。


『一杯のコーヒーから』(藤浦洸作詞、服部良一作曲)や『喫茶店の片隅で』『学生街の喫茶店』などにあるように、コーヒーを飲む店は、まさしく恋が生まれ、消えていく場所でもあります。 歌詞に出てくるモカマタリのモカは、アラビア半島南西端にある港町アル゠ムハーから。このローマ字表記Al Mukhaが英語に入ってmochaとなったもの。 15世紀に入ると、イエメン北西部の高原地帯はコーヒーの一大産地となり、アル゠ムハーはその積み出し港として栄えました。 ここから積み出されたコーヒー豆がモカですが、対岸のエチオピア産の豆もいっしょに輸出されたため、両方合わせてモカと呼ばれています。 モカのうち、イエメン産がモカマタリです。


私は、邦楽を聞く場合、その曲の出来た裏話・背景を参考にします。 それがこの三木紘三の歌物語です。 そうする事によって、その曲の世界に入って行けるからです。

~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~

 ♪映画・ララランドの挿入歌~Fools Who Dream:夢見る愚か者たち♪

2018-09-04 | その他


映画「ラ・ラ・ランド」主演女優のエマ・ストーン


 







エマ・ストーンが、映画「ラ・ラ・ランド」のオーディションにおいて歌った曲~少し緊張気味

<Fools Who Dream;夢見る愚か者たち>

あたしの叔母は昔パリに住んでたの
I remember, she used to come home and she would tell us these stories about being abroad.
覚えてるわ、彼女は昔家に来て海外でいる時のことを話すつもりだったの
And I remember, she told us that she jumped into the river once. Barefoot.
あと、昔川に飛び込んだって言ってたのも覚えてる。裸足でね。

She smiled...
叔母は微笑んで…

Leapt without looking
何も見ずに跳び込んで
And tumbled into the Seine
セーヌ川の中に落ちちゃったの
The water was freezing
水は凍ってるところだったから
She spent a month sneezing
1カ月間ずっとくしゃみしてたの
But said she would do it again
でももう一度同じことをやるんだって

Here's to the ones who dream
夢見る人に乾杯
Foolish as they may seem
馬鹿げているように見えるかもしれないけど
Here's to the hearts that ache
痛むハートに乾杯
Here's to the mess we make
私たちが作り出したメチャクチャな状態に乾杯

She captured a feeling
彼女は魅了したの
Sky with no ceiling
どこまでも続く空を
The sunset inside a frame
フレームの中のサンセットを

She lived in her liquor
彼女は酒におぼれて
And died with a flicker
揺らめきながら死んでしまった
I'll always remember the flame
私はずっとあの炎を忘れないわ

Here's to the ones who dream
夢見る人に乾杯
Foolish as they may seem
馬鹿げているように見えるかもしれないけど
Here's to the hearts that ache
痛むハートに乾杯
Here's to the mess we make
私たちが作り出したメチャクチャな状態に乾杯

She told me:
彼女は言ったわ
"A bit of madness is key
ちょっとした狂気がカギになるの
To give us new colors to see
新たに見える色を与えるためのね
Who knows where it will lead us?
それが私たちをどこに連れていくかなんて誰も知らないわ
And that's why they need us"
これが私たちを必要としてる理由よ

So bring on the rebels
だから反対する人を連れてきて
The ripples from pebbles
小石で起こるさざ波を
The painters, and poets, and plays
画家、そして詩人、演劇を

And here's to the fools who dream
夢見るおバカな人に乾杯
Crazy as they may seem
おかしな人に見えるかもしれないけど
Here's to the hearts that break
壊れるハートに乾杯
Here's to the mess we make
私たちが作り出したメチャクチャな状態に乾杯

I trace it all back to then
すべての記憶を辿るの
Her, and the snow, and the Seine
彼女、雪、そしてセーヌ川
Smiling through it
笑顔を絶やさずに
She said she'd do it again
またやるって彼女は言ってたわ

 ♪ カヴァー曲~美空ひばり・ディックミネ・桑田佳祐 ・岡林信康♪

2018-09-03 | その他
カヴァー曲を集めて見ました。


森昌子:みだれ髪(美空ひばり)










宇崎竜童:夜霧のブルース(ディックミネ)










エグザエルATUSI:愛しのエリー(桑田佳祐)









吉幾三:山谷ブルース(岡林信康)





 ♪半崎美子:『明日へ向かう人』♪

2018-09-02 | 風景


三十三間堂 十一面千手観音立像・千体像


図書館でふと手に取った本「仏像の声」西村公朝著を、今日は読んで見た。 そう言えば今から10年程も前から、特に若い女性の間で静かな仏像ブームが続いていて、国宝阿修羅展における、女性ファンの人気には、すさまじいものがあつた様に思う。   この本を私が借りたのは、そもそも仏教の世界に限らず「偶像崇拝」~物質的なものが、神、祖霊、死霊等の超自然的存在の力を表象しているか、それが有るとして、崇拝の対象にすることである。 この国でも仏師が彫った神像(釈迦像等)の、いわゆる偶像「加工された物」を崇拝しているのであるが、多くの人が単純に疑問を抱くのは、「たかが人が作った物を礼拝することに、何の意味があるのだろうか?」と言う事であり、私も同じ思いが心のどこかにあり続けたのだ。 ただイスラム教においては、偶像崇拝は厳しく禁止されているのだが、これも記されたコーランの唱句の文字を神聖視しているのである。


西村公朝氏は、三十三間堂の十一面千手観音立像や千体像等600体以上の仏像の修復等に携わり、また自らも多くの仏像を作った仏師であり、その後、東京芸大教授(名誉教授)を歴任し、退官後は、得度受けて京都天台宗・愛宕念仏堂の住職となった人で、仏師として仏様を彫りながら、感じたことごとなどについて、多くの著書を残し、またこの本の中でも述べている。


西村氏は、年に一度秋に、仏像彫刻や仏画を教えた学生達と共に、仏像・仏画の造形展を開くと言う。  その会場であった印象的な二つの事を序章において述べている。 筆者は、まずこの若者の仏像ブームに対して「本当にそうなのでしょうか。」と疑問を呈している。 


~若者とお不動さん~


造形展の会場に於いて、訪れていた二人の若者カップルが、自分の目の前で150万円もする高価な「不動明王の」像の前を幾度となく行ったり来たりしていたが、自分が昼の食事を終えて会場に戻って来ても、「不動明王」の像を買って行ったと言う事に大変驚いたと言う。 その日二人の若者は、午前中から会場に来ていて、約半日をかけて会場でしきりに考え込んでいる様子であったが、やがて二人は係員のところにやって来て、「この不動明王は、ローンが組めるのでしょうか。」と尋ねていたため、近寄って行き「あんな高い仏像を物を買ってどうするの?」と聞くと、今日はデートでふと立ち寄ったここで、この「不動明王と出会った。」と言う。。。続けて「自分はこの春大学受験に失敗して、いま大工見習として働いているが、棟領に可愛がってもらい「この仕事で身を立てて行く決心をしたした所でした。」「何故かこの不動明王を見ていると、体の中からエネルギーが湧いて来る。 これが人生の新たな決意をして、スタートを切ったその心を失わないためにも、この怖い顔で自分を叱り、かつ力づけてくれそうなこの仏像を、いつも身近に置いて励みにしたい。」と、考えたていたと言うのです。 これから努力して、将来この高価な仏像を置ける仏壇のある様な立派な家を自分の技術で建てたい。」と、 このような結論を出すのに約半日かかったと言うのです。 また、二人は不動明王や制作者の刻印の事などを質問して来ました。 そう、仏像について何も知識がないままにこんな高価な物を買ったのです。 仏師としては、仏像の役割を体感して理解し、仏像のありのままの姿を素直な心で見、正直に感じた結果が、彼の心を購入へと突き動かしたことに感動したと言うのです。 仏像ブームは誠に喜ばしい事ではあるが、この若者の様に「仏像のありのままの姿、形を素直に見、正直に心に感じる。」所謂、「仏像の声」を聞く人間がいたのです。。。と述べている。


また、同じ会場で私の彫った「阿難尊者」の像を見て、「阿難さん泣いている。」と、ポツリともらした方がいたそうです。 自分が「阿難尊者」の像を制作した意図も実は、釈迦の弟子の一人である阿難が釈迦の最後を看取るにあたって、「少しでも長生きして欲しい。」と、南無釈迦、南無釈迦と唱え、きっと心では泣いていたのでしょう。 この阿難の心象表現が正に制作意図であった訳ですが、仏像の内なる声を言い当てられた様な驚きを感じたと述べています。 日本に古来仏教が伝来し仏像を初めて見た日本人は、白紙(ありのままの)の状態で素直に姿形を見、心で感じる所から仏教徒の関りも始まったのではないでしょうか。


なかなか読み応えのある本ではありました。 西村公朝氏は、「仏の道に救いはあるか」等の著書を残しています。


 


 


 


 


 








半崎美子:明日へ向かう人